第10話 帝王学のおもてなし
「これはわざとじゃなく…」
魔王は焦って状況を取り繕うとしたが、社長は聞かずその場を去った。
「もう終わりか…」
しょげる魔王にセナが微笑みながら近づいてきた。
「綺麗に切れましたね。」
「社長にものを壊す場面を見られてしまった…面接はもうダメだよ…」
「まな板や包丁を壊すぐらいは事故ではありません。」
そう言ってセナは新しいまな板を調理台の上に置き、包丁を渡した。
「やり直せばいいです。」
彼女は野菜をまな板の上にして魔王の後ろに立った。そして包丁を握った魔王の右手を掴んだ。
「私が手伝いますから。」
セナは魔王の左手をニンジンに移動させ、軽く握らせた。そして包丁を左手の指先に当てさせた。
「包丁を使う時には食材をこんな風に持ちます。」
魔王は自分より背が少し高いセナをちらりと振り向き、またニンジンに目を戻してから頷いた。
「力が入りすぎています。」
今度は右手から力を抜いた。
「よろしいです。じゃ、ゆっくり切ってみましょう。」
トン、トン。
ニンジンはさくさくと切れた。ニンジン一本を切った後、セナは魔王の手を離した。
「今回は一人でしてみましょう。」
「うん!」
魔王はもう一本のニンジンをまな板に置いてセナに教わった通りに切り始めた。不慣れな手つきだったが、今回はなにも壊さずうまくいった。
「できた!」
笑顔を浮かべる魔王を見てセナも笑った。
その後は今までしたことの繰り返しだった。主な仕事は部屋の掃除。だがセナはロビーを担当しなきゃいけなかったので、ほぼ魔王一人ですることになった。
そしてその夜。
「今日はどうだったかしら?」
フロントで待機していた魔王とセナに社長がやってきた。
「マオウノ様の仕事ぶりが初心者とは思えないくらい上手で普段より仕事が大変楽になりました。」
「あたし偉かったでしょう?厨房の下ごしらえは難しかったけど…」
社長は口元を押えて笑った。
「じゃ、面接の結果を発表するわね。」
魔王は唾を飲み込んだ。
「明日からユリアちゃんは…」
その時だった。宿の正門が開いて客たちが入ってきた。
「あの…二人用の空き部屋ありますか?」
フロントの前に立った男の人がなんだか照れくさそうに聞いてきた。後ろからついてきている女の人も男と似た表情をしていた。
「二人用の部屋は…」
セナがすぐ前に立って案内しようとしたが、
「待って、セナちゃん。」
社長が彼女を止めた。
「ユリアちゃんは今日接客業務は経験したかしら。せっかくだからしてみたら?」
「うん…はい!」
魔王はとっさに出てくるため口を押えて一歩前に出た。セナは応援するように微笑みを見せて下がってくれた。
接客は勿論、帝王学で学んだことがある。魔王の仕事って実は接客と同然なのだ。勇者を待って、迎えて、対応する。今は迎えている状況だから帝王学の規則通りセリフを言えばいい。
それで魔王は一旦フロントカウンターの上に立った。迎える時は勇者を見下ろさなければならない。上からの目線は相手の挑戦意識を刺激し、やる気を出させる。
「えっ?」
「今なにを…」
周りがちょっとざわめいたが魔王には聞こえなかった。後は勇者をもてなすセリフを言うだけ。
「貴様らか。待っていたぞ。だが、なんという体たらくだ!勝負を挑みに来たというのに、その照れたような顔は!部屋はあるぞ!存分に準備するがいい!」
魔王の言葉が終わったロビーは静まりかえった。みんな顎を落としたまま魔王を見上げた。女の客の顔だけがだんだん赤く染まっていくばかりだった。やがて顔が真っ赤になった女は何も言わず宿の外へと走り出た。それを見た男の客も彼女をついて行った。
「え?待って!」
魔王は戸惑って去っていく客の後ろに手を伸ばした。彼女には訳が分からなかった。もてなし言葉は間違いなく完璧だった。それを聞いたら誰だってやる気になる。
「まあ、面接の結果は不合格としよう。」
社長が告げた。
ガーン!
魔王は心の中で何か崩れ落ちる音がするような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます