第38話 聖薬師

 望月の間を、夕海と肩を揃えて出る。

 廊下に出た途端、夕海は息を吐いて肩をぐるぐると回した。


「はぁ。あいつの相手は疲れる」

「凛太郎さまって無邪気ですよね」

「琴も無邪気で可愛いよ」

「そんなことないですよ」

「そうやって照れてる琴も可愛い!」


 夕海に頬をつんと突かれ、顔が熱くなる。

 可愛いなど、和之と明子からしか言われたことがないのだ。夕海にそう言われて、なんだか気恥ずかしくなる。

 すると。


「何やってるんだ?」


 冷たい声が、廊下に響き渡った。

 聞き覚えのある、冷静沈着な声。

 はっとして振り返ると、そこには涼人が仁王立ちしていた。

 凛太郎と将大よりも細身なのに、その目は眼光だけで人を射止めそうで迫力がある。瑠璃色の衣が彼の雰囲気を引き出していて、涼人が聖薬師以前に武人でもあることに気づかされた。

 そんな彼が、ふたりをじろりと見た。


「せっかく緻密な計算をしていたのに。誰かが俺の部屋の前で大騒ぎするから、計算がおかしくなっちゃったじゃないか」

「どんな感じにおかしくなったの?」

「酒豪の爺さまたちを静かにさせる薬が、逆にうるさくなる薬になるところだった」

「あれ、酔い止め薬を作ってたんですよね。酔わないってことは、うるさいってことでは……」


 確か、涼人は祝宴のために酔い止め薬を作ると言っていた。その薬だと、誰も酔わずにずっと騒ぎが続くのではないだろうか。不思議に思って問いかけると、涼人はふんと鼻を鳴らした。


「琴、余計なことを言うな。酔い止めより静かに寝てくれた方が、俺的には嬉しい」

「そういうものなんですか……」

「とにかく」


 少しあきれる琴を尻目に、涼人は改めてふたりを見つめてきた。


「何か用か?」

「あ、忘れてたよ。これ、あげる」


 夕海は空色の巾着袋を差し出した。

 まるで、今日の青空のような青色。知的で高潔な涼人にぴったりの色合いだ。

 それを受け取った涼人は、珍しく顔を綻ばせる。


「お、良いものくれた。ありがとう。ちょうど、袋を探してたところだったんだ」


 涼人はからりと襖を開けて、部屋に入って行く。

 夕海は、その襖からすっと部屋に踏み入れた。そのため、琴もそれに続いて部屋にお邪魔する。

 室内はきっちりと整頓されていて、とても綺麗だった。涼人の性格が前面に現われたような、洗練された美しさ。

 文机の上には、書きかけの紙がたくさん置かれていた。


「ほら。良い感じだろ」


 棚に並んでいた、いくつもの薬たち。どれも綺麗に油紙に包まれ、整頓されている。

 涼人は、その中からいくつかの薬を手に取り、空色の巾着袋の中に入れた。


「ちょうど袋がなくてさ。助かったよ」

「うーん。文句言いたいけど、ものすごくぴったりだ」

「だろ」


 夕海が想定している巾着袋の使い道は、『真珠を入れるもの』だ。しかし、そのぴったりさに、夕海は思わず感動していた。

 なぜか意気投合をして盛り上がるふたりに、琴は「あの」と口を開いた。


「それ、真珠を入れて持ち歩くものらしいです……」

「そうなのか?」

「そうだよ! ちゃんと真珠入れて使いなさいよね!」

「あー、わかったわかった。そんなに大声出すな。うるさいだろ」

「凛太郎よりはうるさくない」

「それは否定できん」


 夕海の言葉に、涼人はすぐに頷く。

 一体、皆の中で凛太郎はどんな存在になっているのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る