第37話 聖食師
聖麗殿の中央に位置する、聖の間。その廊下の向かい側に、聖職者たちの食事などを管理する望月の間がある。
聖食師である凛太朗は、望月の間にある厨によくいる。そこに行くために、夕海と琴は望月の間に入った。
「夕海さま、琴さま。どうされましたか?」
二人がやってきたことを悟った侍女が、いそいそと姿を現した。頭を下げて、二人を出迎えてくれる。
「あ、奈緒さん。なんでもないよ。凛太郎いる?」
出てきてくれたのは、聖衣師直属の侍女である奈緒だった。
奈緒は、こくりとうなずいて厨の方を見る。
「凛太郎さまは、奥の厨にてお料理をなさっています。お呼びいたしましょうか」
「ううん、厨まで行くよ。このままでも大丈夫?」
「はい。大丈夫ですよ」
奈緒は微笑んだ。
綺麗に切り揃えられた前髪が特徴の侍女だ。小夜よりも年上で、大人な雰囲気を醸し出している。小夜が友達なら、奈緒はお姉さんのよう。琴は、奈緒の優しい微笑みに心がほんわりとする。
「ありがとう」
教えてくれた奈緒に、夕海は丁寧にお礼を言う。そして、すたすたと中に入っていった。
ぼんやりしていた琴は、あわてて夕海を追いかける。
紺色の大きな暖簾がかかった厨。その暖簾をくぐると、ふわりと良い匂いがした。
甘い匂いと白い湯気が立ち込める真ん中に、凛太郎らしき人影がある。
夕海が「凛太郎」と呼ぶと、人影が振り返って目を丸くした。
「夕海じゃないか。珍しいな、厨に来るなんて。どうしたの?」
「どこまで準備できたかなって」
「できてはいるんだけど、なかなか良い料理が決まんないんだ」
凛太朗は、腰に手を当ててため息を吐いた。
そんな彼の前にある調理台の上には、たくさんの料理がずらり並んでいる。和菓子から大皿料理まで、色とりどりの食べ物が皿を飾っていた。
まるで、ここだけが宴のようだ。琴は、目を輝かせて料理を眺める。
「すごいですね」
「あれ、琴も来てたのか。夕海に隠れてて見えなかった」
凛太朗は、琴の姿を見つけて目を大きくさせた。
確かに、琴は夕海の後ろにいたため、その陰に隠れていた。驚く凛太朗へ、琴はひらひらと手を振ってみる。すると、それを見ていた夕海が、琴の頭にぽんと手を置いた。
「琴に失礼よ、凛太朗。琴も私も、もう準備を終えたんだからね」
「うわ、本当!? それは急がないと」
「急ぎすぎて、指とか切らないでくださいね」
凛太郎ならあり得ると思って口にすると、凛太郎は再び驚いたような顔をした。
持っていた包丁を置き、口元を両手で覆う。
「琴、優しい。ときめいちゃう」
「何言ってるの。怪我でもしたら、沁みる薬を塗らせたい涼人とやり合うでしょ。それが面倒くさいだけよ」
「そんなぁ」
「私はあんたと漫談しにきたわけじゃないのよ」
目的を思い出した夕海は、懐から緋色の巾着袋を取り出した。それを、凛太郎の顔にぐいっと押し付ける。
「これ、あげる。布が余ったから」
「うん、ありがとう。……って、何も見えない」
押し付けられているのだから、当たり前だ。凛太朗は、巾着袋に触れてそれを顔から離す。渡された巾着袋を見て、「おぉ!」と目を輝かせた。
「すごいな、これ。何に使うの? 餅米入れとか?」
「……あきれて教える気にもならない」
「えっと、真珠を入れて持ち歩くようにってお姉さまが」
琴はくすくすと笑って教えた。
笑いながら、綺麗な袋に餅米を入れて持ち歩く凛太郎の姿を想像する。懐から出てきた巾着袋の中に、餅米。得意顔で餅米を見せてくるのではないかと考えると、なんだかおかしかった。
「なるほど、なるほど。いやぁ、悪かった。ちょうど餅菓子を作ってたところだったから」
凛太郎は笑いながら、調理台の上に並べられた餅菓子を指差した。
「これ、俺が作った餅菓子。良かったら食べてみてよ」
その餅菓子は、淡い桜色をしていた。しっかりと蒸してあるようで、かすかに湯気が立っている。
凛太朗が、餅菓子をそっと手の上に乗せてくれる。礼を言って、一口かじってみた。
口に含んだ途端に広がる、花の香り。口の中で花が咲いたように華やかで、でも食べ慣れた甘い餅菓子だった。
すると、隣で同じように食べていた夕海が、何かを感じ取って凛太朗を見た。
「これ、桜が入ってるの?」
「え、桜って食べられるんですか?」
「食べられるよ。桜を塩漬けして、中の餡と練り込んであるんだ」
桜が食べられるなんて、知らなかった。この華やかな甘さは、桜の味なのだろう。琴は、感動して餅菓子を眺める。
「桜って美味しいんですね!」
「そう言えば、さっき奈緒さんがくれたお菓子も美味しかったよ」
「あ、私も小夜さんからいただきました。すごくおいしかったです!」
「お、やる気の出る意見をありがとう。よし、がんばっちゃいますぞ!」
凛太朗は満面の笑みを浮かべると、気合いを入れて腕まくりをした。
かなり気合が入っている。そんな凛太朗をを見た夕海が、苦笑して言った。
「あんまり侍女さんたちに迷惑かけないようにね」
「かけてないぞ!」
「かけてそうだけど」
「うるさい! 餅米ぶっかけるぞ!」
「餅米なくなって困るのは凛太郎でしょ」
「……う。そうです」
「仲良しですね」
琴は二人の息ぴったりな会話に吹き出す。ずっと聞いていても飽きないような、おもしろい会話だった。
すると、凛太郎は「わはは」と胸を張る。
「一度会った人は俺の友達だからな!」
「はいはい。じゃあがんばってね」
「応援してます! がんばってください!」
夕海は凛太郎を適当にあしらうと、さっさと厨を出て行く。
琴は、凛太郎に微笑むんでから夕海の後を追った。
「応援してますだって」
二人が去った後、凛太郎はぽっと頬を赤くした。琴が最後に言っていった言葉が、頭の中で反芻される。
ぼんやりと思い返していると、危うく包丁を落としそうになった。
それを間一髪のところで受け止めた凛太郎は、より袖を力強くたくし上げた。
「……がんばろ」
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