第31話 簪

(おじいさまに会える!)


 久しぶりに会う祖父に、心が躍る。琴は、ウキウキとしながら戸が開かれるのを待つ。

 やがて、戸がすっと開かれた。

 そこから覗いた祖父の姿に、琴は満面の笑みになる。


「おじいさま!」

「琴。良かった、馴染んでいるそうじゃないか」


 抱きついてきた琴の頭を、和之が優しく撫でてくれる。変わらないそのあたたかい手に、琴は嬉しさが込み上げてくる。


「家にいるより楽しいか?」


 和之は琴を座らせ、自分も円座に腰掛ける。

 そして、にこにことしながら問いかけてきた。その問いの答えなど、一つしかない。琴は、元気よく首を縦に振った。


「はい。とっても楽しいです!」

「それは良かった」


 そこに小夜がお茶を持って現れた。

 ふたりの前にそっと置くと、一礼をして音を立てずに去っていく。

 和之は、出された湯呑みに口をつけた。一口飲んで、ほぅと息を吐く。


「明子が心配していた。どうかお元気で、と」

「明子には、お母さまの替わりみたいに良くしてもらいましたから」

「そこで、明子から贈り物だそうだ。聖職者への贈り物は一度、宰相である私を通らなければいけないからな。私が直々に持ってきた」


 和之はたもとから木箱を取り出した。

 真珠の入っている箱には負けるが、何も施されていない木箱の表面はつるりとしていて、それがまた美しい。質素な美しさというものが、その箱からにじみ出ていた。


「開けてみなさい」


 箱を手渡され、琴はそっと箱を開ける。

 そこには。


「わぁ!」


 中には綺麗なかんざしが入っていた。

 桃色の花が咲き、虹色に光を放つ蝶があしらわれている。

 まるで春を告げるような簪だ。


「明子から琴へ、別れの贈り物だ。以前から欲しがっていた簪を贈りたかったらしい」

「そんな……。私、明子に何も……」

「明子はたくさん箏を聴かせてもらったと言っていた。この国を担う聖琴師の音を、一番近くで最も聴いたのは自分だと。ありがとうと伝えて欲しいと言われたのだ」

「嬉しい……。大切にします」


 簪を胸に当て、明子の姿を思い出す。

 母の替わりみたいな存在だった明子。

 明子がいてくれたから今、琴は生きていると言っても良い。大好きで信頼できた侍女のおかげで今の自分がいる。


「ところで、琴」


 和之がきりっと話を変えた。

 思い出に浸っていたところから引き出されたように、現実に戻された。

 こういうところは、和之らしい。今も昔も、話題をきりっと変えるときがある。

 それに慣れていた琴は、背をぴんと伸ばして和之を見た。


「昨日、男たちに絡まれたとは本当か?」


(……あ。やっぱり)


 やはり、和之に話が行っていたようだ。

 琴は、簪を丁寧にしまいながら口を開く。


「はい。本当です」

「そうか。私も一応、天弓座について調べてみた」


 和之はお茶を一口飲む。

 好みの濃さらしく、目を細めてもう一度口を付けた。


「どうやら、天弓座の中で仲間割れをしているそうだ」

「仲間割れを?」

「聖琴師を琴と認めているか否かで分かれている。ほとんどの者が琴を認めているらしいが……」


 ちらりと琴を見た。

 鋭いその目は、何もかも見透していそうだ。帝を支える宰相であるから、その目で何事も見通してきたのだろう。普段は優しい祖父だが、宰相であるという威厳が溢れている。琴は、こくりと息を呑んだ。


「昨日絡んできた者たちは反対している。なんでも、天弓座の歴史を大切にしすぎているとのことだ」

「天弓座の歴史ってすごいのですか?」

「あぁ。歴代最多で聖琴師を出している。現に、今の天弓座座長は二代前の聖琴師だ。ただし」

「続いている時代で代替わりしてしまったから、正式な聖琴師ではない、と」

「ほぉ。良く知っているな」

「朝陽さまに教えていただきました」

「陛下もそのことには心を痛めている。今でも途中で代替わりをした『聖職者』は、巫女に認められなかったならず者として見下されているからな」

「そんな」

「そしてその怒りは帝一族へ向かう。今は陛下の、東宮時代から築き上げた信頼で留めているが、いつ反乱が起こるかはわからない」


 どんなに平和な都でも、反乱は起こる。京の外では反乱など日常茶飯事だが、京から出たことのない者たちが反乱に巻き込まれれば、大きな被害が出るだろう。

 琴もついこの前までは、ひとりの京人で反乱のことなんか考えたこともなかった。しかし、この国を担う聖職者となった今、それは絶対に止めなければいけない。


「そのためにも私は、聖琴師として皆さんに認めてもらわなければいけないのですね」

「そういうことだ」


 和之は琴を改めて見た。

 手を伸ばし、琴の髪をそっと触る。さらりと撫でて、優しく微笑んだ。


「明子はお前なら絶対にできると言っていた。披露目ノ儀に晴れ姿を見せてほしい、それが簪の礼だそうだ」


 明子の想いに胸を打たれる。

 ずっと一緒にいてくれた明子。

 母のように接してくれた明子。

 明子は優しく、自分よりも琴のことを一番に考えてくれる人だった。そして、一番近くで寄り添ってくれた、大切な存在であったのだ。


「……わかりました」


 思い切り息を吸い込む。明子から、激励の贈り物をもらった。この礼は、きちんとした態度で返したい。半人前ではなく、一人前の奏者として。


「絶対に認められるようにがんばります」

「それでこそ、私の孫だ」


 くしゃりと頭を撫でられた。

 心地良さに目を細める。聖職者という立場になったが、祖父のあたたかさはいつまでも求めていたい。琴にとって、和之の存在もまた、大きな心の支えなのだから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る