第22話 あたたかさ

「琴?」


 夕海が琴の顔をのぞき込んできた。

 喉がツンと痛くなる。震える右手──箏を爪弾く手──をもう片方の手でぎゅっと握りしめた。


「私は……っ」


 ──この泣き虫が。泣けば許されると思うな。


 傷痕が残るその心に、また新しい傷が刻まれそうになる。

 重く暗い父の言葉に負けないように、声を絞り出した。


「私は、箏しかできません。箏で人を救うことなんてできません。でも皆が誰かに 認められるような世になって欲しいです。認められない人なんていません。みんな……皆、がんばって生きてるんだから。この世に価値のない人なんていないんだから」


 ぽたりと涙が衣に落ちる。

 悔しかった。

 自分のことを知らない父にあれこれ言われることが、すごく悔しかった。筝しかできないのは誰のせいか、泣き虫になったのは誰のせいか。それをまず知ってから、罵るなら罵って欲しい。何も知らない人に罵られることが、一番腹が立つのだ。


「……琴」


 優しい声が自分を呼ぶ。

 顔を上げると、朝陽が自分を見つめていた。

 その瞳には、慈悲の光が宿っている。水晶のように透き通った瞳は、何の影も映っていなかった。


「ありがとう。良い意見だった」

「……」

「苦しい過去に耐えてきた者の意見だ。それは、すごく価値のあるものだからな」


 初めて会ったときと同じように、朝陽の手がぽんと頭に置かれる。

 そして、穏やかな笑みを見せた。


「ここにお前を否定する者はいない。お前の過去はこの国のための力に変えることができる」


 朝陽は皆を見回した。

 一人ずつゆっくりと、目と目を合わせながら。


「俺は、お前たちと運命共同体だ。嫌かもしれないが、俺と共に良い国を作って欲しい」

「へ、陛下ぁ……。俺、がんばりましゅぅ……」


 涙声が聞こえてきた。

 見れば、いつもは明るい凛太朗の顔がぐちゃぐちゃになっている。


「お前、なぜ泣いている」

「琴の意見に感動しちゃってぇ……うわぁん!」


 改めて皆を見ると、凛太郎は号泣、将大と夕海は目を潤ませ、涼人は赤い顔で目を逸らしていた。

 あまりにも性格が現れているその姿に、琴はくすっと笑みを漏らす。その弾みで落ちた涙を、そっと拭った。


「やった、琴が笑った」

「うわん、気分転換に、新しい布買いに行こ」

「この流れでなぜそうなる」

「俺、緋色が良い……」

「まったく」


 朝陽は大きく笑った。


「話が思い切りずれたな。確か、披露目ノ儀の話だったな」

「誰からずれたんだろ」

「わかんないから、凛太郎のせいと言うことで」

「お前らぁ、覚えとけよぉぉ……」

「涙声で言われてもねぇ」


 どっと笑いが起こる。

 琴も笑った。

 家ではこんなに気持ち良く笑ったことはない。


(皆さまと一緒にいるからだ……)


 嬉しい。

 まだ父の毒が抜けた訳ではないが、楽しい仲間ができた。

 毒はいつか抜けるだろう。

 それまで、たくさん辛いことかあるかもしれない。

 新しい場所で、新しい仲間と共に、毒を抜いていく。

 そう考えると、また涙があふれてくるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る