10 アクドポッカリ

 鈍色の空を急くように雲が横切っていく。

 先を歩く丹弥たんやとどちらが速いのだろうと、くだらないことを考えて気を紛らわせる。五兵衛ごへえにまた会うのかと思うと気が重くなるから、考えないようにしたかった。


 亀岡屋かめおかやの前まで来たところで、とうとう主膳しゅぜんの足が止まった。


「ここまで来たのに立ち止まって、どうした。妖のせいか」


「いえ、何でもありません。早く入りましょうか」


 黒い塊を救うと決めて、ここまで来た。何かよくわからないけれど五兵衛が怖いから、と逃げるわけには、いかない。


 気持ちを奮い立たせて覚悟を決めた時、右肩にいる山囃子やまばやしが声を上げた。


「主膳、おろして。ここ、怖い奴がいるから、入りたくないよ」


 怖い奴とは恐らく五兵衛だろう。しゃがんで、山囃子を地面に降ろした。


「主膳も、ここに残ろうよ。あいつ、怖いよ」


「俺は行くよ。今、逃げても、何にも掴めないままだから。俺が戻ってくるまで歩き回っていてもいいけれど、迷子にならないようにね」


「山囃子は店に入りたくねえのか」


 見えないのに、丹弥が山囃子を探すように主膳の周りの地面に目を走らせている。


「どうも山囃子は五兵衛さんが不得手なようです」


 店先だから声を潜めて丹弥に伝えた。

 

 黒い塊は嫌がっていないだろうか。気になって左肩の黒い塊を見たが、じっとしている。

 問題ないだろうと判断して店に入るとすぐ、五兵衛の姿が目に入った。


「おや旦那、昨日も来たのに。何か買い忘れかい」


「いや、俺は、ただ話をしに来ただけです。最近、妖の話を何か聞きませんか」


 五兵衛への聞き取りは丹弥に任せる。主膳はしばらく生活するのに入用な物を買うために吉助きちすけに声を掛けた。


 主膳がお願いした品物を吉助が持って戻ってくる間、五兵衛の言葉に耳を傾ける。


「ここら辺にいる有名な妖は、それぐれえですね。そう言えば最近、変わった妖の噂を聞きましてね。奥羽の妖で、アクドポッカリって言うんですよ」


「それ、それ、アクドポッカリ」


 唐突に黒い塊が低い声で呟く。話せるのかと驚いた主膳は、まじまじと黒い塊を見た。相変わらず、口がどこにあるのかわからない。


「変わった名前ですね。どんな妖なんですか」


 主膳の様子を見て察したのか、それとも単に関心を持っただけなのか。わからないが、丹弥がアクドポッカリを更に詳しく知るために問い掛ける。


「墓場で人を転ばせて殺す妖ですよ」


 五兵衛の答えは納得できなかった。


 人を殺した妖は、他とは明らかに違う気配がするものだ。今まで人を殺した妖も征伐してきたから、どんな気配かは身をもって知っている。だからこそアクドポッカリは確実に人を殺していないと言い切れた。


 はたと五兵衛の気配が、人を殺したことのある妖の気配と似ているのだと気付く。

 怖いと感じる理由がわかった。わかったはずなのに、何故か釈然としない。何か、それ以外にも理由がある気がする。


 考えようとしたが、世の中には気付かないほうが良いこともある。ひとまず考えるのをめた。


「随分、物騒な妖なんですね」


「妖なんて、そんなもんです。大抵、人を殺そうと思っていますよ」


 眉を寄せる丹弥を見て、わはわはと、わざとらしく笑う五兵衛は、やはり得体が知れない感じがした。


 奥から主膳が頼んだ物を持って吉助が戻って来た。横に十歳くらいか、主膳より少し小さい子供が引っ付いている。むすっとした顔をしているが、亀岡屋で働いている子供だろうか。


「五兵衛さん、墓場の怖い話は、やめてくだせえ。俺、今夜、墓地を通って得意先に行くんですよ。怖いなあ。嫌だなあ」


六郎ろくろうと一緒だから、怖くねえだろ」


 きひひと笑っている五兵衛が子供に顔を向けた。


「若旦那、悪いが、怖がりの吉助のために、瓢箪に水を入れて持たせてやってくれねえですかい」


 どうやら吉助に引っ付いている子供は、亀岡屋の大旦那の息子らしい。


「前に若旦那が用意してくれた水を飲んだら、元気が漲って来たんだ。もし、今夜も飲めたら、今度は、きっと怖さが、ぶっ飛んで、墓場だろうが怖くねえんだろうな」


 吉助の言葉を聞いた若旦那は、不機嫌そうな顔から一転、得意顔になる。そのまま何も言わずに再び店の奥に走り去った。恐らく、瓢箪の用意をしに行ったのだろう。


「若旦那、元気そうですね。最近は以前にも増してあまり良い話は聞かねえが、手伝いはしっかりしているみてえですね」


 丹弥の手厳しい言葉に、五兵衛が苦笑いしている。


 吉助から品物を受け取った主膳は、早く店から出たかった。妖の正体もアクドポッカリだとわかったから、もう亀岡屋に用はなかった。だが、五兵衛が言葉を続ける。


「悪戯坊主で世間様によく迷惑を掛けていますがね、普通の可愛い子ですよ。一度、水を用意してくれた時に吉助が褒めたら、それから準備するようになってくれましてね」


 五兵衛が嬉しそうに笑みを深めた。傍目に見れば、孫を慈しむ祖父のような優しい笑みだ。だのに、やはり何故か、得も言われぬ怖さを感じて落ち着かない。纏う気配のせいだけではない怖さが何かある。


 早く店から出たい。だが、丹弥が動く気配はない。帰ろうとも言えず、手元の箱膳を意味なく撫でながら五兵衛の言葉を聞く。


「若旦那は可哀想な子でもあるんですよ。おっかさんを小さい頃に亡くし、大旦那は仕事に励んで、若旦那に構いやしねえ。だから誰か大人に構ってほしくて悪戯したり、褒められようと、ちょろちょろ店に顔を出したりしているんです」


 ふいっと五兵衛が後ろを見た。つられて主膳も後ろを見ると、目の端に逆柱さかばしらが映る。有り得ないとわかっているが、前に見た時より太くなっている気がした。


「そういや、吉助、こんな唐辛子を売ってくれってお客がいるんだが、伝手でどうにか用意できねえかい」


 急に話題が変わったのを訝しんでいると、後ろでかたん、と物音がした。もしかしたら、若旦那が聞いていたのかもしれない。


 五兵衛から唐辛子の名前が書かれているらしい紙を受け取った吉助が渋い顔になった。


「これは伝手を辿れば用意できますが、儲けが」


 ちらりと主膳たちを見て、吉助が口を閉じる。


「懇意にしてくださる方にお願いされたら、大旦那はどんな無茶な注文も引き受けるから、苦労しますよ。時には入仏事いれぶつじなこともあるくれえです」


「俺も無茶を言う客の一人だから、耳が痛てえです」


 丹弥の無茶な注文は絵具だろう。丹弥の軽口から、五兵衛との付き合いの長さを感じた。


 まだ帰らないのかなと思いながら、何とはなしに左肩にいるアクドポッカリを見る。


「ところで旦那、妖の絵は描けたんですかい」


 五兵衛の目が主膳の左肩辺りに向いた気がした。アクドポッカリが乗っている側だ。偶然だろうか。


「おかげさまで描けました」


「それは、ようござんした。ちなみに、どんな妖ですかい」


「山囃子って狸みてえな妖です。びんざさらとか、龍笛りゅうてきとか、楽琵琶がくびわとか、色々な楽器を演奏する、愉快な奴らなんです。機会があれば、山囃子の話も広めてくださいよ」


「恐らく、可愛らしい見た目の妖なのでしょうね。主膳さんも旦那の描いた妖を見たんですかい」


 急に話し掛けられて、持っている箱膳をつい強く抱き寄せる。

 

 怖がっていると見抜かれてはいけない。主膳はすぐに力を抜いて、心を落ち着かせた。


「見ましたよ。とても愛嬌がある見た目でした。山囃子は、酒盛りも好きな、気が良い妖ですよ」


「色々な妖がいるもんですね。心が和む話も悪くねえですから、話の種に加えておきましょう」


 アクドポッカリの話みたいに、何かの折に五兵衛が山囃子の話をするのかもしれない。


 山囃子の存在が広まるのは喜ばしいはずなのに、何故だか胸騒ぎがした。

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