11 名もなき饅頭

 亀岡屋かめおかやを出て、すぐに主膳しゅぜんは大きく息を吸い込んだ。呼吸が浅くなっていたせいで、ぼんやりとしかけていた頭が、すっきりとする。


「妖の名は、わかったのか。アクドポッカリか、それに近いと思って話を進めたんだが」


「名はアクドポッカリで間違いないです。自分で言っていましたから」


 案じ顔の山囃子やまばやしが建物の陰から飛び出してきた。そのまま、ぶつかるような勢いで主膳に駆け寄った山囃子は、主膳の足首に尾を巻き付けた。


「主膳、よかった。無事だった。戻ってこなかったら、どうしようって怖かったよ」


「不安にさせて、ごめんね」


 肩に乗せようと、山囃子を掬い上げる。


 胸の辺りにまで持ち上げた時、山囃子の尾がぶわりと膨らんだ。山囃子はまばたきもせずにアクドポッカリがいる左肩を熟視している。


「そいつ、名前を思い出したの」


 何故、山囃子が、わかったのだろうか。


 左肩を見ると、錫色の毛を持つ、もぐらみたいな生き物が座っていた。もぐらと明らかに違うのは、熊のような大きな手だ。ちぐはぐさを感じるほど、体に対して大きすぎる。


「アクドポッカリに何か異変が起きたのか」


 丹弥たんやの問いに、はっと我に返る。


「名前を思い出したからか、形が変わったんですよ」


 見たままのアクドポッカリの姿を伝えると、丹弥は首の後ろに手を当てて、静かになった。頭の中で姿を思い描いているのかもしれない。


 亀岡屋に入ろうとする客が主膳たちの横を通り過ぎる。

 いつまでも店先に立っていたら邪魔になるだろう。主膳たちは店の前を離れた。


「気になっていたんだが、店を出てからずっと顔色が悪いぞ。もしかして、主膳も五兵衛ごへえさんが苦手なのか」


「上手く伝えられないのですが、言い知れぬ怖さを感じるのです」


 知人を悪く言われたら、嫌な気持ちになるかもしれない。できるだけ言葉を選んで苦手だと伝えた。


「怖い、か。確かに笑い声は変だし、常に恵比寿顔かと思えば、目が笑っていねえ時もあるからな」


 主膳と話しているからか、隣を歩く丹弥の足取りは、ゆったりとしている。丹弥の本来の歩く速さを知っている主膳は、できるだけ急いで歩いた。


「大旦那がお人好しなのに亀岡屋が潰れねえのは、五兵衛さんのおかげだと皆、言っているんだ。五兵衛さんが憎まれ役になって、裏で色々、手を回しているからだって。もしかしたら、お前たちは五兵衛さんの非情な裏の姿を感じたのかもな」


 裏の姿と聞いて、誰かを呪っている人たちも、人を殺した妖と似た気配だったと思い出す。


 もしかしたら五兵衛も、亀岡屋を守るために後ろ暗いことをしているのかもしれない。そう考えると、将監しょうげんのために妖を殺してきた自分と、どこが違うのだろうと思えてくる。


 案外、五兵衛と主膳は、似た者同士かもしれない。


 気分が沈みそうになった時、どこからか香ばしい匂いが漂ってきた。美味しそうな匂いだが、何の匂いだろう。


 辺りを見回すと、行き交う人々の間から、お多福の仮面を被った木製の馬が見えた。何かのまじないだろうか。異様な見た目に、目が離せなくなって立ち止まる。


「菓子屋が気になるのか」


「菓子屋だったんですね。江戸には、変わったまじないか、占いの商いがあるのかと思いました」


「言われてみれば、確かに、この馬を見ても菓子屋だと、わからねえな。足を止めたついでだ。師匠に本を返す時に何か菓子を渡すか」


 ふらりと丹弥と一緒に菓子屋に入ると、よりいっそう香ばしい匂いが強まる。深く吸い込むと、体の隅々にまで幸せが行き渡った気がした。


 山囃子も匂いがわかるらしく、嬉しそうにびんざさらを左右に揺らしている。


「丹弥さん、俺もお礼に菓子を渡したいのですが、如川様じょせんさまが好きな菓子は何ですか」


 高い菓子を好んで食べていたら、どうしよう。不安になり、銭が入っている巾着をぎゅっと握った。


「主膳から貰ったほうが師匠は喜びそうだな。この店なら、助惣焼すけそうやきが美味い。お前が買って渡してくれ」


 初めて聞く菓子の名前に困惑していると、察した丹弥が代わりに注文を入れる。


 すぐに出てきたのは、水に溶いた小麦粉を薄く伸ばして焼いたと思われる四角い菓子だった。真ん中には餡子が包まれているらしく、ふっくらとしている。

 先ほどから漂っている、いい匂いの正体は、助惣焼を焼く匂いだったらしい。


「美味しそうですね。でも、お礼にしては、安いと思うのですが」


「師匠は一字拝領も終えていねえ弟子から高い菓子を貰うと、何故か機嫌が悪くなる人だから、安い菓子のほうが良い。そもそも、気持ちが籠っていれば問題ねえだろ」


 丹弥も団子を何本か買って店から出た。如川に返す本を取りに、一度、長屋に戻ろうと歩き出す。


「師匠は京菓子が美味いとよく言うが、主膳が今まで食べた中で特に美味しかった菓子は何だ」


 菓子は、甘味が不得手な将監からよく貰っていた。饅頭や団子、季節菓子、どれもこれも、美味しかったが、一つだけ変な菓子があったと思い出す。


「特に美味しかったというより、特に気になっていた菓子の話なのですが」


 前置きをしてから、主膳は話し始めた。


「俺の主は、よく菓子を分けてくれる人なんです。渡す時は毎回、名前だけではなく、由来なども教えてくれるのですが、一つだけ、名前をはっきり言わなかった菓子があるんです。見た目は、ただの饅頭なのに」


「名前を忘れたんだろう。中身はどんな饅頭なんだ」


「具は白っぽくて、味噌の味がしました。何度もくれたのに、一度もはっきり教えてくれなかったので、恐らく言えなかったんだと思います。でも、とっても美味しかったんですよ」


「饅頭より点心に近いのかもしれねえな」


 将監が名前のわからない饅頭をくれるのは、体が怠いなど主膳の身体の調子が悪い時だった。饅頭を食べた後は、身体の調子が良くなったから、もしかしたら何か薬が入っていたのかもしれない。 


 薬を飲みやすいように饅頭に混ぜる心遣いは将監らしい。嘘の名前を教えて、ごまかさない誠実さも、将監らしい。


 優しく誠実な将監は、きっと新しい目とも上手くやれているだろう。京へと向かう雲を静かに見送った。

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