第6話
あるよく晴れた週末、理仁が部屋を出ようとした際にスマホが震えた。
着信元は匠だった。
連絡先の交換は早いうちにしたものの、ほとんどがメッセージで、しかも
「来る?」
「行きます」
等の短いものばかりだったので、少し驚いてしまう。
もしかしたら匠に急用ができたのかもしれないと思い、すぐに電話に出た。
「まだ、部屋?」
匠の調子はいつもと変わらないようで、緊急事態ではないであろうことはわかりホッとする。
「はい、ちょうどそちらに伺おうかと思ってたところです」
「そう。もしよければこれから出かけないか?」
「いいですけど、珍しいですね」
すっかり週末を匠の部屋で過ごすのが当たり前になっていた理仁は少し驚きつつも了承する。
考えてみれば、これだけ週末顔を合わせるようになったというのに、一緒に外出をするのは初めてだ。10分後に、学園のエントランスで落ち合う約束をして、理仁は通話を切った。
「お待たせしました」
コートを着込み、エントランスに到着するとすでに匠は待っていた。
学園に併設されるようにある近くの商店が並ぶエリアに行くのかと思ったが、匠は車のキーを手にしている。
「えっと、今日は何を?」
「食材を買いに。君にも目を養ってもらおうと思ってね」
遠出の予定は意外だったが、それはそれで楽しそうだと理仁は思う。匠は理仁の肩を叩いた。
「こっちだよ」
匠に案内されて教職員用の駐車場に向かうと、理仁は思わず足を止めた。
「……これ、匠先生の車ですか?」
匠が立ち止まったのは、黒いランドローバー・ディフェンダーの前だった。無骨で重厚感のあるボディは、どこか軍用車を思わせる。洗練されたヨーロッパの雰囲気を持つ匠には、少し意外な選択に思えた。
「ああ、そうだよ。もしかして意外だったかい?」
匠は少し楽しそうに笑いながら、ドアを開けた。
「いや、その……もっとこう、スタイリッシュな車に乗ってるのかと」
どう答えて良いかわからず、思わず素直な感想を漏らすと、匠は気にした様子も見せずにロックを解除する。
「確かに、以前はそういう車に乗ってたけどね。でも、この辺りは雪も多いし、山道も多い。実用性を考えたら、これが一番だったんだ」
なるほど、と理仁は納得した。確かにこの学園周辺は、冬になれば積雪も多く、都会のような整備された道ばかりではない。
自分であればそんな日に車に乗るどころか、外に出ようとも思わないが、匠はそうではないのだろう。
「乗って」
匠に促され、理仁は助手席に乗り込んだ。
車内は広く、快適だった。シートは革張りで、ダッシュボードもシンプルながら高級感がある。無骨な外観とは裏腹に、室内は洗練されていた。
「はい、これ」
シートベルトを付けると、ホットコーヒーの缶が差しだされる。
「何もなければ30分で着くけど、よかったら飲んで」
気の利いた対応に感謝して、理仁は缶を受け取った。
「あったかい」
「うん、エントランスに向かう途中の自販機で買った」
匠は笑いながら自分の分もドリンクホルダーに置き、シートベルトを付ける。
その慣れた様子がすごく様になっていて、理仁は何となく目をそらす。
「イギリスにいた頃も、こういう車に?」
なんとなく前を向いたまま理仁が尋ねると、匠はエンジンをかけながら答えた。
「ロンドンではもっと小さい車だったよ。でも、週末に郊外に出かける時は、友人のディフェンダーを借りてた。それで気に入ってね。日本に戻った時に、自分でも同じモデルを探して買ったんだ」
匠はハンドルを握りながら、どこか懐かしそうな顔をした。
「友人は『しっかりメンテナンスすれば一生モノだ』って言ってたよ。実際、大切に乗れば長く付き合える車なんだ」
車は滑らかに駐車場を出た。重厚な車体からは想像できないほど、走行は軽やかだった。
学園から続く山道に入ると、匠の運転技術の高さがよくわかった。カーブに差し掛かる前に、ほんの少しだけ速度を落とす。ブレーキングは驚くほどスムーズで、理仁の身体が前に揺さぶられることはない。
そしてカーブを抜ける際のアクセルワークも絶妙だ。車体が大きいにもかかわらず、まるで車が道に吸い付いているような安定感がある。
「匠先生、運転上手いんですね」
理仁は素直に感心して言った。自分であればこんなスムーズな運転は無理だろう。
「まあ、色々な国で運転してきたからね。イタリアの狭い路地も、ドイツのアウトバーンも経験したよ」
匠は淡々と答えたが、理仁にはその経験の豊富さが少し羨ましくなった。
理仁は免許は取ったものの、実家のある都会での暮らしにはほとんど必要がない。車はあっても、どこか遠出をするような趣味もなかったので、免許証は身分証明書に過ぎなかった。
学園では足が必要だろうと、車を持って来たが、たまにバッテリーが上がらない程度に乗るだけのものだ。
車窓から見える景色は、紅葉で彩られた山々。曲がりくねった山道を、ディフェンダーはそのまま安定した走りで進んでいく。途中のアスファルトがやや荒れた場所のみ、ほんの少しバウンドしたが、それでもほとんど気にならない程度だった。
「この車、悪路でも平気なんだ。以前、大雪の日に買い出しに行ったことがあるけど、問題なかったよ」
本当にこの車を気に入っているのだろう匠の言葉に、理仁は改めて車内を見回した。
洗練された料理を作り、ヨーロッパ各国を渡り歩いてきた匠。そんな彼が、こんな無骨で実用的な車を選んでいる。
その意外性が、理仁には新鮮で。
そして、なぜかその選択が、匠らしいとも思えた。
見た目の洗練さだけでなく、本質的な価値を見極める。
そんな言葉がふと思い浮かんだ。それができるのが、匠という人間なのかもしれない。
「どうかした?」
急に黙ってしまった理仁に、少し心配そうに匠が尋ねる。
「いえ、この車、匠先生に似合ってるなって思って」
「そうかな」
理仁の言葉に、匠は少し嬉しそうに笑った。
ディフェンダーは山道を抜け、隣町へと向かっていく。
エンジン音は力強く、でもどこか心地よい。
理仁は、この車での時間が気に入った。
匠と二人、どこか冒険に出かけるような気分になれる。
どこか心躍るような、少年のころに戻れるような。
そんな時間が、外の景色と共に流れて行った。
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