第5話

その日の夕食は、ラタトゥイユにジャガイモのオーブン焼き、それに赤ワイン。当たり前だけれど、学食には並ばないラインナップな上、下手なお店よりも美味しかった。


「匠先生、料理上手すぎません?」


常に思っていたことではあったが、そういえば口にしたことがなかったと思い、聞いてみる。匠はそうだろうかと首を傾げた。


「ヨーロッパにいた頃は、自炊しないと生きていけなかったから、勝手に身についただけだと思うけど」


「ああ、確かにあっちでは、一人で食事は厳しいですもんね」


理仁も一時留学していた時期があり、匠が言っていることが理解できた。

ヨーロッパでは特に、パートナーや友人たちと食事を食べる文化が根強い。そうでなければ買ってくるか、自炊をするしかないのだ。


「君も留学してたことがあるんだっけ」


「イギリスに。でも、短期ですよ。食事も付いてくるようなところで下宿してたんで、料理の必要はなかったですけど」


「なるほど」


イギリスの食事は言われているほどまずくもなかったが、いかんせんレパートリーが少なく、日本から持って行ったカップラーメンに随分助けられたことも思い出す。


「高校時代に留学を?」


「いえ、中高一貫で六年間はここにいましたよ。留学したのは大学に入ってから」


この学校では提携している海外の学校も多く、途中で留学する学生も多くいる。しかし、理仁はその道を選ばなかった。


「意外だね」


「そうかもしれないですね」


本当は高校時代に何度か留学を考えたこともあった。最低限の英語は話せたし、少なくともこの学園よりは刺激的な生活ができるだろうと思ったこともある。


ただ、一つ、その時の理仁には日本を離れられない理由があった。

でも、今それを言う必要はないだろう。理仁はワインを一口飲んだ。


「匠先生は、ずっとあちらにいたんですか?」


質問の矛先を変えるように問うと、匠はこともなくうなずいた。


「そういえるかな、幼少期からイギリスで過ごしていたからね」


何度か日本にも戻ってきていたが、生活の基盤はイギリスにあったという。


「成長してからは、イタリアにいた頃もあったし。スペインやドイツで暮らしたこともあった」


懐かしそうに、匠は過去に住んだ先々の国の名前を上げていく。


「へぇ、日本に戻ってきた理由はなんだったんです?」


わずかな郷愁を感じる匠の表情に、思わずそう聞いてしまった。


「理由は色々かな。自分のルーツを考えて帰ってきたというのもあるし」


そこまで言うと、匠の口が重くなったように感じた。

これ以上踏み込むのはよくないような気がして、理仁はまたワインのグラスを傾ける。


少しの沈黙の後、匠がふと思いついたように尋ねてきた。


「君は、まだこの学校での生活が不満なのかい?」


「不満……というか、こうなるつもりじゃなかったなって」


都会の享楽的な暮らしを理仁は求めていた。でも、匠とのこの時間は何物にも代えがたいものになりつつある。それが伝わったのだろうか。


「でも、今は?」


優しいまなざしで問われ、理仁は口ごもった。そしてやっと出た答えは、


「まあ、悪くないかな」


というものだった。


愚痴は出るけれど、生徒たちは基本的にいい子たちだ。そもそもこの学校に入学できる時点で様々なものが備わっている子どもたちばかりでもある。悪ぶっている子も中にはいるが可愛いものだし、中には職員の娘や、飲食店のアルバイトなどと付き合っているような生徒もいるが、ごく限られた人数だ。学園も締め付けるばかりではなく、ある程度生徒の自治を許していることもあり、閉じられた環境以外は案外自由な空気があった。


「そうか」


匠は優しく笑った。


「人生、色々と計画通りにいかないものだよ。でも、その時その時で楽しみを見つければいい」


ワインを揺らし、芳香を楽しむ匠を見ていると、ふと理仁に疑問がわいた。


「匠先生は、ずっとここにいるつもりですか?」


「さあ、どうだろうね」


匠の答えは曖昧だった。



その理由を理仁はまだ知らない。そして、匠もまた――

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