第7話

30分ほどのドライブを終えて、到着したのは、輸入食材を扱う小さな店だった。


イタリアのパスタ、スペインのオリーブオイル、フランスのチーズ。匠は理仁に説明をしながら、慣れた手つきで商品を選んでいく。


ワインの品ぞろえもそれなりで、匠と話しながら、最近気に入った銘柄を中心に選

ぶ。


「フェウド・アランチョ グリッロ……。この前飲んだのって、これですよね?」


「ああ、覚えていたんだね」


匠の返答に頷きつつ、値札を見て理仁は驚いた。


「意外です。フルーティーで飲みやすくて……。正直もっといい値段のワインかと」


「はは、ごめんね、期待に沿えなくて。でも、魚介に合うし、値段も手ごろだから常備してる銘柄の一つなんだ」


「値段だけじゃないんですね。ワインって」


「うん。もちろんこの値段だけあるなってヴィンテージのものや希少性の高いもので好きなものもあるけれど。僕は料理に合わせて気軽に飲めるものも色々試してる」


匠はいくつかのワインを指さす。


「その辺も、過去に出したことがある銘柄だよ」


「あ、これは覚えてます。気軽にピノ・ノワールを出すんだなってちょっと驚いて」


「はは、でもこれはチリ産だから。手頃だろ?」


「ほんとですね。今まで全然興味がなかったから知らなかった……」


「ま、君が以前飲んだピノ・ノワールはきっと高級品だと思うよ」


匠は図星だろう?と笑いかける。


「えっと、どうなんですかね……」


一流レストランや、料亭でも食事の機会は幼いころからよくあった。けれども、値段も味も、そこまで興味もなく。ただ、好きか嫌いか、そのくらいの尺度でしか食事を見たことがなかったように思う。


「ふふ、もったいないなぁ。きっといいワイン、たくさん飲んでるよね」


匠の言う通り、どこも最高級のワインをそろえるような店が多かったように思う。けれど、理仁の印象に残っているワインは、匠と飲んだものばかりだ。

そもそも、食事だって、匠が作る物以外にはほとんど興味を持ったことはなく、詳しいことを知ろうとも思わなかった。


きっと、匠との時間を過ごしていなければ、この店にある物もこんな風に興味深くは見れなかっただろう。


「こんないいお店が、あったんですね」


ぐるりと見渡せばそれで終わってしまうサイズの小さな店。けれど、そこにはオーナー選りすぐりの商品が並んでいた。


「車で30分かかるけどね。でも、ここがないと生きていけないんだ」


匠は笑った。



会計に進むと、理仁が思うよりもずっと高い金額が表示される。いくら思ったよりもワインが安かろうが、食材はそれなりの値段もするし、いかんせん量も多い。


「あの、払います」


今まで無頓着にごちそうになっていたが、さすがにこれはまずいと思い理仁が財布を出そうとするが、匠はそれを遮った。


「気にしないでいいよ」


あっさりと匠がカードで支払った後、理仁はせめてこれだけはと荷物を運ぶことにしたのだった。



車に乗り込むと、助手席の理仁はやはり決まりが悪そうな様子を見せた。

匠もそれに気づいたのか、エンジンをかけながらも優しく語り掛ける。


「学校じゃ使いどころもないんだ。せめて食事くらいは良いものを食べたいだろう?」


その気持ちは十分わかる。だけど、ここまでよくしてもらう理由があるだろうか。

匠はそれ以上この話を続けず、近くにビールの醸造所があると話題を変えた。


「へえ、クラフトビールってやつですか?」


「そう。隣にソーセージの店もあるから、今日はそれとビールにしようか」


「じゃあ、それは僕が払います!」


理仁が勢いよくそういうと、匠は思わず笑ってしまった。


「気にしなくていいのに」


「僕だって給料もらってますし、使い道もないですし」


理由を並べると、匠はわかったわかったというようにうなずいた。


「ビールとソーセージをごちそうになることにするよ」


そう話すと、理仁は満足そうに笑ったのだった。




その夜、匠の部屋では買ってきたソーセージとザワークラウト、それにバゲットが並んでいた。ビールは濃厚なスタウトで、ソーセージの塩気によく合う。


「美味しいですね、これ」


「だろう? この辺りにも良いものはあるんだよ」


どんどんと食べ進める理仁を見ながら、匠は満足そうに笑った。


「そうですね、初めて知りました。ビールもすすみますし」


ゴクゴクと理仁がビールを流し込むのを見て、匠も飲み進める。

しばしの沈黙の後、理仁はふと口を開いた。


「美味しい物があるお店があるのはわかりましたけど、匠先生はこのままここにいるつもりですか?」


以前も一度聞いたけれど、その時ははぐらかされた質問を改めてしてみる。


ここには高名な学者の先生もいるが、大体はある程度年を取って隠居がてら来るような人が多い。若手の教師は、自分のような縁故は少なく、大抵は良い大学を優秀な成績で卒業した有能な人材ではあるが、短期間稼いで出て行ってしまうものがほとんどだ。


匠はここに来て3年。満足はしているようだけれど、やはり不便はあるだろう。

そろそろやめてしまう可能性もあると理仁は考えていた。


「そうなるのかな」


匠は曖昧に笑った。


まだ一緒にこうした時間を持てるとわかった瞬間ホッとしたものの、断言ではないその返事に、理仁はもどかしさを感じてしまう。


けれど、自分だっていつかは、いや、ついこの間までは少しでも早くここから離れる機会をうかがっていたのだ。


理仁の沈黙をどうとったのか、匠は言葉をつづけた。


「でも、悪くないと思ってるよ。静かだし、生徒は素直だし、それに……」


「それに?」


「君みたいな面白い同僚もいるしね」


匠の言葉に、理仁は少し照れた。うまく質問をかわされただけなような気もするし、本音も混じっているようにも思えたからだ。


ビールを飲みながら、理仁は思う。


匠はいつまでここにいるのだろう。そして、自分は――。


答えの出ない問いを、理仁は心の中にしまい込んだ。

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