第9話 その撮影、グラビアじゃなかった

 ――ん?


 そこで、愛する笑顔に違和感を覚えた。

 ファンデーション越しに、薄い痕が見える。

 それに、肌の血色もこれは真緒姉のそれではない。チークの色だ。


 ――撮影用にメイク変えたのか?


 不安に頭が冷えていく感覚に、声のトーンが落ちる。


「姉さん。最近何かあった?」

「え? 仕事は順調だし今のところ悪質なファンもいないわよ。あっ」


 やっぱり何かあるのかと前のめりになると、


「安心して。弟ちゃんの名前は絶対出さないから。黒瀬なんて苗字日本中にいくらでもあると思うし。お姉ちゃんは何があっても弟ちゃんを利用するような真似はしないから! 何せあたし、弟ちゃんのお姉ちゃんですから!」


 自信たっぷりに右手で胸板ならぬ胸球を叩く。手の平がズムムンと沈む。すげぇ。

 唖然とすると同時に、我が姉の高潔さに胸を打たれた。


 俺の名前を出せばグラビア業界で天下を取ることもできるだろうに。

 異世界に真緒姉のような人がいれば、俺の冒険ももっと楽だったろう。

 なんて、タレレバを言っても仕方ない。


「じゃ、お姉ちゃんちょっと急ぐから」

「そうそう、撮影だったよな」


 姉さんは振り返り、落としたコンビニ袋の許へ向かった。

 短パンが張り裂けそうなお尻が左右に揺れる。

 姉さんがズボンを履くのは公然わいせつだろう。

 アメリカでも天下を取れそうだと常々思っている。


「じゃあ弟ちゃん、また来てね♪」


 俺からコンビニ袋を受け取ると、姉さんは自室のドアを閉めた。


「私より大きかったですね……」


 【家政婦は見た】とばかりに、曲がり角から顔をちょっとだけ出すクロエ。

それからにゅるりと姿を現す彼女に、俺は返事をする余裕がなかった。


「……どうされたのですか?」

「ん、いや」

「ならいいのですが、今の方が噂の従姉の真緒様でございますか? 蓮司様ごのみのセクシーな方でしたね」


 ジト目でぷくっと頬を膨らませる可愛いメイドに苦笑を漏らす。


「まあな」


 姉の部屋の前で立ち話も失礼なので、俺はエレベーターに向かって歩き始めた。


「姉さんは中学時代から爆乳がコンプレックスだったんだ。でも大学を卒業するまえにグラビアにスカウトされて、むしろ武器にしようと思ったんだと」

「豊満なことが欠点になるのですか?」


 無機質な声でクロエは疑問を呈した。


「こっちは価値観が複雑なんだよ。目立つのが恥ずかしい、おっぱい目当てが気持ち悪いとかな」


「つまり蓮司様が苦しめているんですね」

「お前は俺の急所を突くのが趣味なのかな?」

「ライフワークでございます」


 しれっと言う。


「でも俺は誇らしいよ。コンプレックスを明るく笑い飛ばして武器にするなんて俺にはできねぇよ。マジ尊敬。姉さんは一生俺の推しだぜ」


 エレベーターのボタンを押しながらクロエは視線を逸らした。


「そうですね、私より大きいですしね」

「スネるなよ」

「スネていません。ふてくされているんです」

「どう違うんだ?」

「ブラのフロントホックとバックホックぐらい違います」

「それは大違いだな」

「はい」


 短い会話の押収をしている間にエレベーターが到着した。

 電子レンジみたいな音を鳴らしてからライトが点く。重低音の駆動音とともに左右に開いて、空っぽの箱が俺の搭乗を待つ。


「それで、尾けるのですか?」

「なんでだ?」


 互いに横目で視線を合わせる。


「ポートスキルで帰らずわざわざエレベーターを使うのは、私に体験させるためではないでしょう? この場から離れたくない理由があると見ました」

「お前は優秀だよ」

「お褒めに預かり光栄です」


 俺とクロエは同時に認識阻害スキルを発動。

 世界の認識から切り離された俺らを忘れて、空のエレベーターは静かに閉まって降下した。


  ◆


 認識阻害スキルは、カメラを含むこの世の全てから知覚されないスキルだ。

 おかげで真緒姉を尾行するのは簡単だった。


 一時間後。

 俺らが真緒姉はとある雑居ビルの一室に入った。

 中には撮影機材やカメラマン、監督らしき人たちが待っている。


 ――普通の撮影みたいだな。


 肩透かしの俺とは違い、クロエが声を鋭くした


 ――いえ、このカメラに撮影班構成……グラビアではありません。


 犯人の証拠を捉えた探偵のように目を細めた先、別室のドアから筋肉質で浅黒い肌の若い男が現れた。


 なぜそんなことまで解るのか。男は海パン一丁だった。

 男は笑顔で真緒姉に挨拶すると、下卑た目線を隠しもせずに浴びせる。


「いやあ、まさかあの真緒ちゃんと絡めるとは思わなかったよ。いつかこっちの世界に来てくれないかと思っていたけど夢が叶ったよ」


 監督らしき男が下品に口元を歪めた。


「おいおい、このサイズだぞ。脱がないわけがないだろ。あ、真緒ちゃんは向こうで準備して」

「は、はい……」


 青ざめた真緒姉が別室へ下がる。その手は、僅かに震えている。

 海パン男が監督に尋ねた。


「でもいいんですか。デビューしたばかりでしょ?」

「だからだよ。垂れる前の二十代前半のパンパンの胸のうちに収穫しないと」

「旦那もわかってるぅ」


 胸糞悪い会話に、俺は奥歯を噛みしめた。

 隣で、クロエが侮蔑の視線を作る。


 ――どうやら、彼らは悪徳ビデオ業者のようですね。どうしますか?

 ――どうするって……それは……。


 しばらくして、姉さんがビキニ姿で現れた。


 マイクロビキニは姉さんの豊満ボディに食い込んで、瑞々しい肉感を浮き彫りにしてくれる。


 五年ぶりに見る、姉さんのビキニ姿に、だけど俺の感情は絶対零度まで冷めきっていた。


 五年ぶりのセクシーショットがこれかよ。

 カメラの前に座り、堅い表情を浮かべる姉さん。

 胸の中を無数の感情と思考が交錯する。


 真緒姉はグラビアモデルだ。

 コンプレックスだったグラマーボディを武器にして生きると決めた。


 なら、姉さんの決断に俺は口出しできない。

 海パン男が真緒姉に近づいて芝居を始めた。


 少し嫌がっているみたいだけど、これは初めての仕事で緊張しているだけかもしれない。


 何よりも、姉さんは困っていることはないと言っていた。

 異世界と違って地球は複雑だ。人も、社会も、何もかもが。

 俺の勇者ムーブだって、ただ真緒姉のキャリアに傷をつけるだけかもしれない。


 そう思うと、身体が動かなかった。

 クロエが両手にダガーを握り戦闘態勢に入った。


 ――蓮司様。良いのですか?

 ――ああ。洪水とこれは違うからな。


 意識が深海に沈むような感覚の中で、男の手がブラの肩ひもをわしづかんだ。

 真緒姉の表情が怖気に歪んだ。


 ――俺は独善的な支配者になるつもりはねぇよ。前に言ったろ……。


 男のごつい手がブラの肩ひもを引っぱる。

 真緒姉は抵抗するように両手でマイクロブラを押さえた。


「待ってください社長! やっぱり私!」


 真緒姉の目に涙が浮かんだ。

 海パン男は天井に叩きつけられ、カメラは粉みじん。

 真緒姉は俺の腕の中で瞳を震わせていた。


 ――勝てば官軍! 勝者の理屈が正義だ!

 ――それでこそ我が主! 三千世界を照らす救世主でございます!


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