第二章 真紅の怒り

1

 あの洲田すだ悠汰ゆうたの任務地である団地の近くの、見晴らしのいい広場で。

「――くたばれ!」

 くまで冷静な積もりでいながら、矢川やがわ正継まさつぐが、吐き捨てるように言った。

 自分の右腕の近くをうろうろと浮遊する魂玉こんぎょくを、その右手のてのひらの上に移動させ、正嗣は何かを呼び出した。無理矢理な温度差と、空気を構成する分子の移動が起こる。

 緑色の魂玉の前から空気の断裂を感じ取った狼が、追う速さを横方向に強く変換させてけ切ると、そこに生じた鎌鼬かまいたちとなって、直立している木々に当たりそうになってから霧散した。そうさせた。正継がだ。

「くそっ」

 そこには最初からその選択肢しかなかった。

 いきなり襲い掛かってきた狼――にとって、正継がそこに現れたことの方が突然だったが、狼はそれに面食らうことがそれほどなく。

 正継の攻撃は、直前ですべてかわされていた。

(熱や空気に敏感なのか?)

 それが思考の始まり。思考の中腹でやるべきは、この場合は原因の究明。その終わりで対処法を見出すため――

(温度差と空気、それをもたらすのが能力、か?……もしくはその影響を受ける――)

 横移動から縦移動に変化し、正継の目の前まで近付いていた狼が、その巨体を自身の筋肉で持ち上げ、両腕をかざした。それで押し潰されると一溜りもない。

 今度は彼が縦方向の動きを横方向へと。

 その刹那。

「エメラルド!」

 彼が叫んだのは守護名しゅごめい。その瞬間に、彼のいつものイメージの姿で現れる、緑色の鳥。くちばしから尾までのすべてが新緑のような色で、輪郭は白が混じるような、羽の境目は黒が混じるような、そんな彩り。そのままの色で輝くそれは、まるで彼の宝石だった。

『何でしょうか?』

 と、それが聞き返した。

「俺を乗せて飛べ!」

 一切の無駄なく述べると、軽く足を曲げ、彼は小さく跳躍した。

 その瞬間に、彼と地面のあいだに新緑の身体からだを滑り込ませ、重力に逆らわない彼の落下を、エメラルドが受け止める。その滑り込む方向へ翼をはためかせ急上昇し、速度を増して、狼の追撃を空中に逃れて避けた。狼の腕は地上で空振り。

「ちっ――攻撃が当たらない。これじゃどうしようもないぞ」

 はっきり言って防戦一方だった。身体能力に差があり過ぎるのだ。

 魔物とその力を扱う人間とではこうも違うのか。

 正継は実感するしかなかった、自分は弱いと。

 しかし、この地形を創造したのは人間。そして彼も人間だ。それを利用することはできる。

「さて、どうするかな」

 さして意味なく発してから、狼の『魂術こんじゅつ能力』の究明がまだだったことに気付いた。

(そういえばあいつの能力って何なんだ?)

 彼が考えていると、地上が光った。

 ごう音を立て、何かが急速に近付いていく。

「――! 避けろ!!」

 火柱だった。

 一瞬の判断が命取りになり得た。最悪の状況。地上ではその身体能力に、空中ではその魂術能力に追いやられる。

『どうします?』

「ちょっと待ってくれ。今……考えてる」

 途切れ途切れの言葉の間でも、熟考で脳を満たす。が、また業火が来る。

『避けます!』

 新緑の鳥が注意した後、大きく揺れた。羽ばたいて、さっきより前方の空間に浮遊する。その高度を維持する為に、羽ばたきを止めずに地上を見下ろしている。

(火を消してもまた出されるだけ。そもそも消せる代物じゃない、か。それなら奴の身体を切り刻むか?……くそっ、それでもかわされるのがオチだ!)

 再度、何かが飛んでくる気配があった。

 当然エメラルドは避けるのだが――

(何か、確実な方法はないのか?)

まさ様! 前を――!』

 彼が目を向けた時、視界に入ったのは、全身に火をまとった狼だった。

「に、逃げろ!」

 これほど強敵だとは――正継は思っていなかった。

 狼は作り出した火を逆噴射して浮遊している。また別の火まで作り出し、眼前で彼に向けて大きく吠えた。

 その様を見て、正継の心には畏怖が。

 彼に従う大きな鳥が方向転換し、背中を見せたその時、直撃を受けた。

(火が爆発まで!)

 エメラルドから引き離され、ほぼ水平に吹き飛ばされる。その先には、悠汰のいる団地がある。

(やっ……べ、ぶつか――)

『正様!』

 彼にとってその声はかすかなものだった。もう意識が遠退いていた。何かに肩をつかまれる。急に風が逆向きに吹く。途中から上昇を始めたからだった。

 彼の視界に地面が入る。彼自身の制服もその目に映ったが、彼は、焼け焦げている場所はないようだと判断した。火に当たっただけであり、焼かれたわけではなかったのだ。背にも上着の重さが残っている。

 安した。だが緊張がほぐれただけでも正継は気絶しまいそうだった。何とか意識を保ち、従える鳳凰に告げようとした。

「――あいつヴッ!」

 しかしそれもさえぎられた。

 炎の魔獣が、猛スピードで、その前足でもってエメラルドごと弾き飛ばしたのだ。爆発的な噴射する力とその一つの前足の力、それらが合わさり、更に強い外力となった。

 エメラルドはある種、求めていた。故に、その飛翔に加えられてしまった外力を受けながらも――

 ガゴンッッ!!

「わ――っ!?」

 そこは、悠汰ゆうたの訪れた部屋だった。声を上げたのは悠汰で、そこにいた女性は声も上げられなかった。

 そのリビングからすぐのベランダに、声なき声を発しているものが、二つ。確認しに行った悠汰は、目を白黒とさせた。

 同じ灰色の制服の青年と、新緑色の鳥。近くではガラスが散乱。

(対象じゃない。確か、ええっと――)

「狼は!? 退治はしたんですか!?」

 だが、返答がない。正継は、どうしようもない痛みを無言で訴えているのみだった。

 悠汰は警戒して外を見た。

 何かの衝撃を受け、すぐそこの窓枠に衝突したようだと判断。

(ということはまだ近くに狼が?)

 推測しながら、玄関に置いていたブーツを持ってきた。

 窓の外に出てそれを履くと、悠汰は、意識して呼吸を整えた――仲間を倒された怒りはそこそこにしか感じぬようにし、自信を持って臨むために。

「任務を交代しましょう。落ち着いたら彼女の方をお願いします。いいですね?」

 ただ、彼の承諾を聞こうとはしておらず、悠汰の目は女性に向いていた。

 その部屋の女性。

 魔物の問題に直面している女性――は少し戸惑った様子だった。

 彼女は、事態が悪いことを察し、

「……はい」

 と、意を決した旨を、少年悠汰に伝えた。その声はほのかなもので、弱々しく室内に消えた。

蒼天そうてん!」

 悠汰は叫びながら想像した。青い龍を。

 長大で、堅く太い胴に、クリスタルのように輝く鱗。鋭利な空色の牙に、切れ長の眼光。二本の透き通るような角。――くるくると、現れるようなイメージをすると――

『今度は何だ……?』

「狼をたおす。手伝って」

『……まあ、良いが……ではずは何をするのだ』

「問題の奴を探す。飛んで!」

 悠汰の言い終わりと同時に、蒼天が背を向け、その体躯を水平にして悠汰の目の前に集めた。

 その首元に手を掛けた悠汰の身体からだ全体を乗せると、その守護体しゅごたいあおく輝きながら飛び始めた。

 ばねのように一瞬で加速。

 そして蒼天は、屋上より遥かに上空からすべての号棟を見下ろした。同じように彼も。

 そうしたのは数秒だけ。

 緩やかに停止した龍が、太い管楽器の低音のような声で、

『居たぞ、右だ』

 と。

 現時点での右――狼がいる地点というのは、さっきの棟の南東の方角だと悠汰は認識し、背に陽光を浴びながらその付近に降り立った。

(あれが)

 その狼の大きさは尋常ではない。蒼天の全質量はある粘土でそのまま狼の形を作ったくらいの巨体。しかし相手は人形ではない。

『手加減をする、か?』

「いや、しないよ。外に人がいないうちに片付けよう」

 青い龍の言ったことが、悠汰には今一わからなかった。自分の魂術こんじゅつが、人のためとはいえ脅威となり得るのは知っていた。が、周りに危害を加えないように使える。そう意識した上での手加減なら必要ない。

 彼はそう考えながら、戦闘の準備に取り掛かった。

 スゥッ――と、龍の青さが消え失せ、そこに空気の透明さが復活。交代するように青い魂玉こんぎょくが現れ、たった一つのそれが悠汰の胸の前に浮遊。

 魂玉。術の根源。悠汰はそれにそっと触れた。

「氷原の岩肌に抱かれよ……」

 ぎゅるヴっ――という音がまず鳴り、魂玉から、が吐き出される。

 それは、青白くきらめく氷の大地そのもの。

 創り出された氷の地面から、三メートル四方ほどががされ、そしてそれが、勢いよく投げ付けられた、念力のようなもので。

 その一瞬で空気が変わる。冷気がこの辺りの熱を押しやったり吸い込んだりし、一定の気温になろうとして風を起こす。それに気付いて狼が目線を上げた。

(なんでこんな所に徘徊はいかいしているのか……でも、やるしかないんだ)

 ズガンッ!

 激しい衝撃音。振動も。その地点を悠汰は見詰めた。

 悠汰の目の前には、氷の壁と土の地面がある。狼は、本能と感応速度を駆使し、それらに挟まれずに、脇に逃げることに成功していた。そして横の棟の正面からにらみ返す。

氷柱つららの弾丸に貫かれよ……」

 彼が更に言い放つと同時に、狼からも炎が。

(確かに手ごわいな)

 地獄の使徒のように、狂乱の魔獣のように、己が火をまといもしつつ悠汰に向けて放った――渦巻く火柱。それはほぼ水平に進んだ。

 氷柱と相殺――かと思いきや物すごい熱気が悠汰を襲った。大きな火の欠片が手元付近まで。危うく火傷まみれだ。

 狼も驚いていた。というのも――放った業火の中を突き進んだ青く透き通る巨針が、その狼の片目に突き刺さっていたからだ。白い冷たさと赤い生温さの中で、苦もん赫怒かくどの表情を見せている。且つ、牙を見せ付けている。

「もう一押しか? でも相性悪いか」

 つぶやきながら、呼び出したものを消化し、あおの魂玉を体内に戻した。悠汰は別の作を考えた。ただ、案は一つだけ。

「『紫眼しがん』……!」

 狼の追撃の前に悠汰が呼び出したのは――もう一つの守護体だった。

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