第二章 真紅の怒り
1
あの
「――くたばれ!」
自分の右腕の近くをうろうろと浮遊する
緑色の魂玉の前から空気の断裂を感じ取った狼が、追う速さを横方向に強く変換させて
「くそっ」
そこには最初からその選択肢しかなかった。
いきなり襲い掛かってきた狼――にとって、正継がそこに現れたことの方が突然だったが、狼はそれに面食らうことがそれほどなく。
正継の攻撃は、直前ですべて
(熱や空気に敏感なのか?)
それが思考の始まり。思考の中腹でやるべきは、この場合は原因の究明。その終わりで対処法を見出す
(温度差と空気、それを
横移動から縦移動に変化し、正継の目の前まで近付いていた狼が、その巨体を自身の筋肉で持ち上げ、両腕を
今度は彼が縦方向の動きを横方向へと。
その刹那。
「エメラルド!」
彼が叫んだのは
『何でしょうか?』
と、それが聞き返した。
「俺を乗せて飛べ!」
一切の無駄なく述べると、軽く足を曲げ、彼は小さく跳躍した。
その瞬間に、彼と地面のあいだに新緑の
「ちっ――攻撃が当たらない。これじゃどうしようもないぞ」
はっきり言って防戦一方だった。身体能力に差があり過ぎるのだ。
魔物とその力を扱う人間とではこうも違うのか。
正継は実感するしかなかった、自分は弱いと。
しかし、この地形を創造したのは人間。そして彼も人間だ。それを利用することはできる。
「さて、どうするかな」
さして意味なく発してから、狼の『
(そういえばあいつの能力って何なんだ?)
彼が考えていると、地上が光った。
「――! 避けろ!!」
火柱だった。
一瞬の判断が命取りになり得た。最悪の状況。地上ではその身体能力に、空中ではその魂術能力に追いやられる。
『どうします?』
「ちょっと待ってくれ。今……考えてる」
途切れ途切れの言葉の間でも、熟考で脳を満たす。が、また業火が来る。
『避けます!』
新緑の鳥が注意した後、大きく揺れた。羽ばたいて、さっきより前方の空間に浮遊する。その高度を維持する為に、羽ばたきを止めずに地上を見下ろしている。
(火を消してもまた出されるだけ。そもそも消せる代物じゃない、か。それなら奴の身体を切り刻むか?……くそっ、それでも
再度、何かが飛んでくる気配があった。
当然エメラルドは避けるのだが――
(何か、確実な方法はないのか?)
『
彼が目を向けた時、視界に入ったのは、全身に火を
「に、逃げろ!」
これほど強敵だとは――正継は思っていなかった。
狼は作り出した火を逆噴射して浮遊している。また別の火まで作り出し、眼前で彼に向けて大きく吠えた。
その様を見て、正継の心には畏怖が。
彼に従う大きな鳥が方向転換し、背中を見せたその時、直撃を受けた。
(火が爆発まで!)
エメラルドから引き離され、ほぼ水平に吹き飛ばされる。その先には、悠汰のいる団地がある。
(やっ……べ、ぶつか――)
『正様!』
彼にとってその声は
彼の視界に地面が入る。彼自身の制服もその目に映ったが、彼は、焼け焦げている場所はないようだと判断した。火に当たっただけであり、焼かれたわけではなかったのだ。背にも上着の重さが残っている。
安
「――あいつヴッ!」
しかしそれも
炎の魔獣が、猛スピードで、その前足で
エメラルドはある種、求めていた。故に、その飛翔に加えられてしまった外力を受けながらも――
ガゴンッッ!!
「わ――っ!?」
そこは、
そのリビングからすぐのベランダに、声なき声を発しているものが、二つ。確認しに行った悠汰は、目を白黒とさせた。
同じ灰色の制服の青年と、新緑色の鳥。近くではガラスが散乱。
(対象じゃない。確か、ええっと――)
「狼は!? 退治はしたんですか!?」
だが、返答がない。正継は、どうしようもない痛みを無言で訴えているのみだった。
悠汰は警戒して外を見た。
何かの衝撃を受け、すぐそこの窓枠に衝突したようだと判断。
(ということはまだ近くに狼が?)
推測しながら、玄関に置いていたブーツを持ってきた。
窓の外に出てそれを履くと、悠汰は、意識して呼吸を整えた――仲間を倒された怒りはそこそこにしか感じぬようにし、自信を持って臨む
「任務を交代しましょう。落ち着いたら彼女の方をお願いします。いいですね?」
ただ、彼の承諾を聞こうとはしておらず、悠汰の目は女性に向いていた。
その部屋の女性。
魔物の問題に直面している女性――は少し戸惑った様子だった。
彼女は、事態が悪いことを察し、
「……はい」
と、意を決した旨を、少年悠汰に伝えた。その声は
「
悠汰は叫びながら想像した。青い龍を。
長大で、堅く太い胴に、クリスタルのように輝く鱗。鋭利な空色の牙に、切れ長の眼光。二本の透き通るような角。――くるくると、現れるようなイメージをすると――
『今度は何だ……?』
「狼を
『……まあ、良いが……では
「問題の奴を探す。飛んで!」
悠汰の言い終わりと同時に、蒼天が背を向け、その体躯を水平にして悠汰の目の前に集めた。
その首元に手を掛けた悠汰の
ばねのように一瞬で加速。
そして蒼天は、屋上より遥かに上空からすべての号棟を見下ろした。同じように彼も。
そうしたのは数秒だけ。
緩やかに停止した龍が、太い管楽器の低音のような声で、
『居たぞ、右だ』
と。
現時点での右――狼がいる地点というのは、さっきの棟の南東の方角だと悠汰は認識し、背に陽光を浴びながらその付近に降り立った。
(あれが)
その狼の大きさは尋常ではない。蒼天の全質量はある粘土でそのまま狼の形を作ったくらいの巨体。しかし相手は人形ではない。
『手加減をする、か?』
「いや、しないよ。外に人がいないうちに片付けよう」
青い龍の言ったことが、悠汰には今一わからなかった。自分の
彼はそう考えながら、戦闘の準備に取り掛かった。
スゥッ――と、龍の青さが消え失せ、そこに空気の透明さが復活。交代するように青い
魂玉。術の根源。悠汰はそれにそっと触れた。
「氷原の岩肌に抱かれよ……」
ぎゅるヴっ――という音がまず鳴り、魂玉から、何かが吐き出される。
それは、青白く
創り出された氷の地面から、三メートル四方ほどが
その一瞬で空気が変わる。冷気がこの辺りの熱を押しやったり吸い込んだりし、一定の気温になろうとして風を起こす。それに気付いて狼が目線を上げた。
(なんでこんな所に
ズガンッ!
激しい衝撃音。振動も。その地点を悠汰は見詰めた。
悠汰の目の前には、氷の壁と土の地面がある。狼は、本能と感応速度を駆使し、それらに挟まれずに、脇に逃げることに成功していた。そして横の棟の正面から
「
彼が更に言い放つと同時に、狼からも炎が。
(確かに手
地獄の使徒のように、狂乱の魔獣のように、己が火を
氷柱と相殺――かと思いきや物
狼も驚いていた。というのも――放った業火の中を突き進んだ青く透き通る巨針が、その狼の片目に突き刺さっていたからだ。白い冷たさと赤い生温さの中で、苦
「もう一押しか? でも相性悪いか」
「『
狼の追撃の前に悠汰が呼び出したのは――もう一つの守護体だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます