3

 ヘリコプターの操縦をする自衛隊員に、十代後半の若者が何を言えば良いのか。

 悠汰ゆうたは、特には話さなかった。

 資料に目を通し、時間に鈍感になる。

 ものの数分でとある小学校の運動場に着陸し、隊員が、

「着きました。ここからあちらの方面に、数百メートル行けば団地が見えてきますので」

 と言いながら、腕ごと指し示した。

 その学校の校舎とは反対の方向だった。

「わかりました」

 悠汰はそう言って降り立ち、見やった。風景の中に目的地を探す。

 一軒家が何件が連なっているが、その向こう側に高くそびえ立つ集団があるのをすぐに見つけた。

「……『蒼天そうてん』……」

 まるでそこにいるかのような呼び方をしながら、魂素こんそを練り上げる。筋肉による物理的なエネルギーを体内から抽出するように。守護体しゅごたいのイメージを、瞬時に、フラッシュバックのように浮かび上がらせる。

 召喚には名前が必要だった。その時々に呼ぶためではなく、その存在が主を理解する為に。その従者だと理解すること。存在を認められること。信頼するに足る者からの呼び名。命名は召喚の契約。この『守護名しゅごめい』と『守護姿しゅごし』――名と姿が決まって初めて呼び出せる。それは主従の度合いをも表していた。それはそうだろう、なぜなら彼ら――『魂術こんじゅつ』の能力者は、『力』という魔物にまれているのだから。主となり得なければ……自身は心を壊され、身体からだを喰われる。

『なんだ?』

 青い鱗をきらめかせて、輝くような吐息で悠汰に答えたのが、蒼天。

「僕をあの団地の方へ運んで」

『ふん……落ちるでないぞ』

「わかってるよ」

 自信たっぷりに言い放ち、斜陽とは逆向きに。まだ少し青い空に、紅い日を背に受けながら、無音で、静寂を作りながら飛んで行った。

 空中から見下ろしてみた悠汰だが、障害物が無いに等しい視界の中にいても人の姿はほとんど見られなかった。

「あそこだ!」

 資料の中の記述や写真を頭の中で再度廻らせながら、小さく叫んだ。

 龍を地面にうように止まらせ、降りると、その龍を体内に吸引するようにして――き消す。

 七階建てくらいの中流住宅。暫くそれを眺めた後で、大きく空気を吸い込んだ。そしてゆっくりと吐き出す。彼なりの深呼吸を終えると、悠汰は、その目の前の階段を、覚悟を踏み締めながら上がり始めた。

 物思いにふければ耽るほど、足が速く進んでいく。ここに棲むという魔物に恐れもなしていないかのように――心が警戒に疎くなる。

 閑寂だった。

 まるでそこに在る物が音を出すことを拒んでいるかのように。

 どこからか、たまにテレビや調理の音が悠汰の元に届く。それが少なくなった時、悠汰を不安にさせた。

 辿り着いた。一つの部屋の前に。壊されたような形跡は何一つない。変哲のない扉がある。

 もし、賢い魔物が疑われないようにしているのであれば、そんな形跡は残すさぬようにするだろう。が、資料ができているからには、何かに影響をもたらしているのは確かだ。

 緊張が彼を一瞬意味なく迷わせた。だがやるしかない。その指で、呼び鈴を鳴らした。

 数秒後。

 わずかにドアが開いた。防犯用のチェーンを掛けたままでの限界の隙間から、

「はい……?」

 と、弱々しい声が。

 女性だった。魔物の目撃者がいるこの部屋に、普通に暮らしているのか、それとも他の可能性か。

「えっと。対魔警軍の……新施設の者です」

 悠汰ゆうたは反応を待った。

 すると、女性はうつむき――

「……入れてもらえませんか?」

 しかし、彼の言葉を待っていたように、扉を開放した。

 別段変わるところもなく、何事もなく居間に到着し、黒髪の少年、悠汰は見渡した。

 意外なものが見つかるはず……が、発見することもなく。見つけたのは、すやすやと寝入っている赤子くらい。

 魔物が棲んでいるという情報では?――という疑問だけが頭を駆け巡る。

 悠汰がそんな様子なのを確認すると、彼女はまた俯いた。

「助けて……ください……!」

 震えたその声が、それだけが、少年の胸を貫いた。

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