第11話 契約妻の女官勤め(5)

「ご機嫌よう、撫子さん」


 翌日出勤をした撫子に声をかけたのは、昨日しげみで言葉を交わした初音であった。


「ご、ご機嫌よう」


 普段なら「おはようございます」とあいさつをしたいところだが、宮中内でのあいさつは「ご機嫌よう」なので撫子もまだ慣れないながらもそう返答した。


「昨日のことといい、色々と戸惑われているでしょう?」


 撫子は頷いた。


「何ぶん、初めてのことばかりで。誰に何を聞いたらよいのかもわからなくて……」

「一つ、大事なことを教えて差し上げますわ。こちらの御所では、二つの派閥がございますの。にょかんとは生涯未婚であり伝統第一という保守的な考えを持つ女官の派閥、もう一つは既婚者中心に洋風も取り入れるべしという先進的な考えを持つ女官の派閥。紫の濃き色のはかまが未婚者で、いろの袴が既婚者ですわ。あなたは既婚者ですので、保守派の女官からは特に風当りがきついのでしょうね」


 撫子は納得した。確かに今のところ、何となくではあるが風当りが強いのは濃い紫色の袴を着けている人が多い気がする。露草の時代は未婚の者ばかりだったので、女官教育でそういったことは話題に出なかったのだろう。

 そして、初音の袴が紫色であることに気付く。

 視線を受けて、初音はほほんだ。


「でも、私たちは気にせず、仲良くしましょう」


 思いがけない言葉に、撫子は目を丸くした。


「昨日、あなたがかけてくださったお言葉、私もとてもほっとしましたの。お勤め上、どうしてもそれぞれの派閥の女官の方にも、ご用を伺わなければならないことは出てくるわ。その時は、あなたに頼むこともあるでしょうから、あなたも私におっしゃってくださいね」

「ありがとうございます!」


 ありがたすぎる申し出に、撫子は強くお礼を伝える。そして少し気になった疑問を尋ねた。


「あの、女官長さまは……」

「あの人は中立よ。既婚者だけど、今はお屋敷を出て宮中に住み込みで働いているの。旦那さまはどなたか、絶対に口にされないのよね」


 女官長の源氏名はやまざくらといい、本名は誰も知らないという。

 撫子は宮中に入るにあたり、出生についてたかがわのみや家の分家筋である遠縁の娘だが、理由があって寺に預けられたということになっている。半分は事実が混じっているものの、それで本当に大丈夫なのだろうか、と思っていたが、女官長がそのような状況ならば、撫子も詮索は受けづらい状況だったのだろう。


「宮中仕えは名誉なことではありますが、ご結婚されているのにあえて宮中にいらっしゃるのは、旦那さまを亡くされたり、おしゅうとめさまが取り仕切られていたり、何か訳がある方も多いですからね。かといってみかどのお世継を産む可能性があった昔ならともかく、縁遠くなるのを覚悟の上で宮中仕えをするのも、訳ありと思われて仕方のないことなのでお互いさまですけど。だから、ちょっとした談笑でもおうちの話を振るのはお気を付けて」


 初音はにっこりと笑いながらくぎを刺す。ということは、初音も何か家の事情があるのかもしれない。

 撫子も深く探られたくない側であるので、初音の忠告にしっかりとうなずいた。

 すると前から年上の女官が歩いて来て、初音に言いつけをした。


「初音さん。東宮さまに、おひるのお茶を」

「はい」


 初音は一礼をした。

 一瞬お昼のことかと首を傾げかけたが、すぐにおひるが「お目覚め」という意味だったと思い出した。宮中には御所ことば、という独特の言葉があるのだ。

 他にも両親のことを「おもうさま」「おたたさま」と呼んだり、「お」を付けて上品な言い回しにしたり、忌言葉のため、あえて別の表現をする言い回しもある。


「東宮さまは最近朝が起きられなくて、お茶を飲んでいただいているのです。ちょうどいわ。あなたにも用意の仕方をお教えいたしますね」


 そしてお茶の用意の仕方を教わり、初音が東宮の御前へ、撫子はふすまの裏に控えてその作法を学ばせてもらうことになった。


「東宮さま、眠くてもそのような力の抜けた座り方をしてはなりません」


 そばについていた女官が、眠そうに正座をしていた東宮を厳しくたしなめる。


「うう……」


 東宮は眠い目をこすった。

 眠気がまだ残っているのか、かなりつらそうである。


「普段のお振る舞いが、とっの時に出てしまいます。立派な東宮さまになりたいのでしょう。このようなお姿をあの方に見られたら、叱られてしまいますよ」


(あの方?)


 撫子は誰だろうかと疑問に思った。

 東宮が渋い顔をしながらお茶をすすっている中、戻った初音に尋ねると。


「東宮さまの教育係の方です」


 初音は袖を口元にやって、ひそりと教えてくれた。その声音は厳しく、女官らの間でも好意的でない様子がうかがえた。

 撫子は初めて東宮御所に召し出された時、優雅から聞いた話を思い出した。


『今の教育係が厳しく、神経衰弱症の一歩手前となってしまわれたのだ』


 一体どれほどの無理を強いているのだろうか。

 初音に続いて部屋を下がり、廊下に出ると、撫子は本日の予定の確認も兼ねて尋ねた。


「東宮さまは本日も朝から夕方までお勉強なのですか?」


 初音は頷いた。


「午前中は座学中心で、様々なごしんこうや手習い、午後は日によりますが、和歌や雅楽のお稽古、お茶にお花、絵などの美術、洋式の礼儀作法などです。夕方は日曜以外、毎日剣術や武術、体操など体力づくりです」


 予想以上の過密な日程に、撫子は聞いているだけでめまいを起こしそうになった。

 上の身分に生まれついた者はある程度幼い頃からお稽古事もこなしていくのだろうが、なにしろ東宮はまだ五歳である。

 教育係は東宮に相当に厳しい生活を強いているというのがわかった。

 きっと、日常の姿勢や作法、歩き方など様々な点において、日頃から女官も含めた周囲の者たちに東宮らしさを求められるのであろう。


(気が詰まりそう……)


 撫子も宮中に慣れていないこともあり、我が身に置き換えながら思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る