第12話 契約妻の女官勤め(6)

 その日の夕刻。宮中での勤務時間が、終わり近くになった頃。


「ネズミが出ましたわ!」


 鋭い女官の悲鳴が建物内に響き渡った。

 それを聞いて、女官らは一斉に廊下に集まる。

 撫子も初音もそちらへ向かい、端の方で大人しく様子を窺っていた。

 どうやらネズミを廊下で発見したものの、どこかに姿をくらましてしまったようだ。

 しばらく各々分かれて、東宮御所内を総出で捜していたが見付からず、やがて幾人かは声をあげた。


「もうよいではありませんか。どこかへ行ってしまったんでしょう?」


 すると別の女官がきっと眉をり上げて反論する。


「東宮さまが夜に遭遇されて驚かれたらどうするんですか。お通いの人たちも、まだ帰らずに捜してくださいませ」


 みるみるうちに、半数近くの女官が不機嫌になっていくのを撫子は肌で感じた。

 撫子もそうなのだが、きっとその女官らは、住み込みではなく通いで東宮御所に勤めている者たちなのだろう。通いの女官は既婚者で占めるため、派閥でいうと先進派の者たちである。


「ああ、では新参さんに任せるのはどうでしょう」


 鶴の一声のように放ったのは、濃い紫色の袴に深い緑と茶を重ねた衣の女性であった。にょかんの中でも特に年長の者であるようだ。

 突然話題に出され、襖の陰にいた撫子はびくっと震えた。

 それではネズミを見付けるまで、必然的に帰れなくなってしまう。それも撫子一人に任されるなど、責任重大すぎる。


(ど、どうしたら……)


 初音に相談をしたいが、彼女は別の所を捜しているのか、まだこの場に戻って来ていない。出るに出られなくなってしまった撫子の傍に、いつの間にか女官長の姿があった。

 彼女はこそっと撫子に耳打ちをした。


「あなたはもうお帰りなさい」

「え、でも……」

「今、あなたが出て行ったら、余計ややこしくなります。まだこちらに来て二日目です。私が先に帰したことにするので、さっさとお帰りなさい」

「ですが……」

「よいから」


 そして女官長が襖から皆のもとへ出た直後。


「どうしたんだ?」


 東宮がげんな顔をして、庭に通じる廊下から現れた。

 どうやら体力づくりのお稽古が終わったようだ。

 現れた幼い主に、傍にいた女官は状況を説明した。東宮は「ネズミか……」とつぶやく。

 女官はこそこそとざわめいていた。


「ですから、もう一旦終わりにしましょう。捜してもいないということは、どこかへ行ってしまったのですよ。私たちも、勤務の時間は終わりになりますので」

「いいえ。夜中に出たらどうするのです。帰る人らにはお気の毒やけど、今日は少しばかりお残りさんになってもらいますよ」


 東宮はこわった顔つきでざわめく女官らの様子を窺った後、静かに口にした。


「ネズミも生き物だ。無闇に捕らえたり傷付けたりしなくてよい」

「ですが、私たちは東宮さまのことが心配で……」

「私なら、平気だ。おばあさまの所でも、ネズミは見たことがあるから」


 そして東宮は布をぐっと目深にかぶり直した。もうこの話はおしまい、と言わんばかりの様子だった。


「東宮さま。お気を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした。さあ、どうぞこちらでご休息を」


 女官長がそっと東宮を促す。

 そうして東宮の言葉のおかげでネズミ捜しの必要はなくなり、場は解散の流れになった。

 緊張状態だった空気が緩み、ようやく撫子は息をつく。

 けれど同時に、幼子らしくない東宮の大人びた振る舞いがとても気にかかった。



 宮中の女官とはみやびな仕事のように思えるが、男手がないということで、ネズミの駆除や力仕事も引き受けなければならない。みずみや洗濯は、にょじゅという別の担当の者らが行うが、東宮周りのことは女官らが取り仕切るのだ。

 そのため翌日の早朝。撫子は朝一の仕事で、御殿の縁側を布で拭き清めていた。

 拭きがあまいと他の女官から注意をされてしまうかもしれないし、何より東宮に気持ち良く過ごしていただきたい。そういうわけで、時間をかけすぎないように気を付けながらも、念入りに行っていたところ、気になる声が耳に入ってきた。


「伝言です。東宮さまは、本日も散歩にはお出ましにならないとのことです」


 立ち上がって様子を窺うと、庭にいた優雅が、他の女官にそう告げられているのが見えた。

 優雅は黙礼をすると、そのまま洋館の方へと立ち去って行った。

 優雅がいたことや、散歩という言葉に疑問を覚えていると、気配を感じたので撫子は振り返った。


 すると、襖の陰から、庭の方をじっと見ている東宮の姿が目に入った。

 東宮の起床や部屋を出る時間は決まっている。まだ予定より少しばかり早い。

 東宮は優雅のいた箇所を眺めながら、被っている布を握り締めた。

 眉根をぎゅっと寄せており、その瞳は悲しそうだ。


「東宮さま……?」


 その呟きが聞こえてしまったのだろうか。東宮はびくりとした様子で一度撫子の方を向いた。

 初日以来、撫子は東宮の世話をする時は姿をさらさないよう、びょうの裏や襖の後ろに下がっていた。だから顔を合わせたのは二日ぶりである。

 しかし彼は瞬時に険しい面持ちになり、奥へ去ってしまった。


「あっ……」


 何のばんかいも出来ないまま撫子が手をさ迷わせていると、廊下の奥から現れた女官に声をかけられた。


「新参さん、ちょっと来てもらえる? 実は風で布が飛ばされて、屋根に引っ掛かってしまったのですよ。とって来られるかしら」


 撫子は目を丸くした。


「えっ!? すぐに参ります!」


 二階へ向かうと、確かに窓の向こうの屋根に、白い布が引っ掛かっていた。

 東宮が普段、頭に被っている布とよく似たものだ。


「お若い人が来てくれて、良かったですわ。ささ、取りに行ってくださいませ」


 撫子を呼びつけた女官は笑顔で促す。彼女は撫子と同じいろはかまを着用している。

 撫子は辺りを見回したが、勉強用の部屋なので、特に竿さおなどがあるわけでもない。

 ここから手を伸ばしても届きそうにないし、屋根に下りるのは危ないのではないか。


「あの……」


 撫子が口を開こうとしたが、笑顔でたたみかけられる。


「お若いのだから、私たちより身軽でございましょう。もしくは屋根に、はしごでもかけましょうか?」


 そう言う彼女も撫子より少し年上であるぐらいで、年齢はさほど変わらない気がする。けれど、撫子が断る選択肢ははなからなさそうだ。元々人の表情の裏を読むのは得意な方ではないが、このにこにこした笑顔に悪気があるのかないのか、さっぱりわからない。

 派閥でいうと撫子と同じはずなのだが、同じ派閥内の新参女官だからこそ呼びつけやすかったのかもしれない。


(夜のネズミ捜しに比べたら、平気……!)


 撫子はそう思うことにすると、はい、とうなずいて窓枠に手をかけたのであった。


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