第6話  訓練の開始


優衣は午後十時にベッドに入った。


いつもより早いが、五時間後に起きるためだ。


枕元にスマホを置く。アラームは午前三時にセットした。


目を閉じる。


すぐに眠れるか不安だったが、疲労が溜まっているせいか、意識はすぐに沈んでいった。


そして──


夢が始まった。


---


大学の廊下。


もう見慣れた光景だ。


優衣は立っている。


そして、すぐに気づく。


──これは夢だ。


明晰夢。視界がクリアになる。


今夜は違う。探索する。答えを探す。


そう思った瞬間、背後に気配を感じる。


振り返る。


誰もいない。


でも、いる。確実に。


足音が聞こえ始める。


鬼だ。


「いや、今は逃げない」


優衣は廊下を歩き始める。


階段を見つける。上へ向かう。


二階。三階。


そして──四階への階段が現れる。


現実には存在しない階。


足音が近づいてくる。


焦る気持ちを抑えて、優衣は階段を登る。


四階。


廊下が続いている。でも、雰囲気が違う。


壁の色が暗い。窓がない。


教室のドアが並んでいるが、全て閉まっている。


優衣は一つのドアに手をかける。


ノブを回す。


開かない。


次のドアも。その次も。


全て、鍵がかかっている。


足音が、階段を登ってくる。


「急がないと」


優衣は廊下を走る。


一番奥に、違うドアがある。


赤い色をしている。


他のドアと明らかに違う。


ノブに手をかける。


その時──


肩に、手が触れた。


「タッチ」


振り返る。


子供の自分が、笑っている。


「捕まえた」


視界が歪む。


「待って、まだ──」


夢が崩れていく。


そして──


---


ピピピピ。


アラームが鳴る。


優衣は飛び起きる。


スマホを見る。午前三時。


「...捕まった」


三回目。


いや、鬼として追いかける夢で失敗したのが二回。


今のは、鬼に捕まった。


また鬼になる。


でも、赤いドアを見つけた。


優衣は震える手でノートを開く。


『四階。赤いドア。鍵はかかっていない(触る前に捕まった)』


書き終えて、スマホを確認する。


LINEグループに通知が来ている。


美優:『起きた。怖い夢だった』


拓海:『起きてる。今から準備』


大樹:『眠い...でも起きた』


香織:『...起きました』


優衣も返信する。


優衣:『起きた。赤いドアを見つけた』


すぐに反応が来る。


美優:『赤いドア?』


優衣:『四階にあった。他のドアと違う』


拓海:『俺の夢では、図書館の地下に階段があった』


大樹:『体育館の奥に、金属製のドアがあった』


香織:『学校の裏に、古い校舎が見えた』


優衣は画面を見つめる。


みんな、何か見つけている。


「特別な場所」が、確かに存在する。


優衣は部屋を歩き回る。


眠気を覚まさないといけない。


キッチンに行って、水を飲む。


顔を洗う。


時計を見る。午前三時十分。


あと二十分。


LINEを確認する。


美優:『ねえ、不安なんだけど』


拓海:『何が?』


美優:『さっきの夢で、また鬼になった。これで、私は何回失敗したことになるの?』


沈黙。


優衣も考える。


鬼として失敗した回数と、鬼に捕まった回数。


どちらをカウントするのか。


それとも、両方?


大樹:『分からない。でも、消えてないってことは、まだ大丈夫ってことだよね?』


香織:『...そうだといいけど』


拓海:『考えても仕方ない。今は、次の夢に集中しよう』


美優:『うん。三時半に寝る』


優衣も返信する。


優衣:『今度こそ、答えを見つけよう』


スマホを置いて、部屋に戻る。


ベッドに座って、深呼吸する。


「赤いドア」


夢の中で、あのドアを開ける。


そう決めて、目を閉じる。


夢のことを考える。


四階の廊下。赤いドア。


イメージする。


時計を見る。午前三時二十五分。


あと五分。


優衣は横になる。


目を閉じる。


「夢の中で気づく。明晰夢に入る。赤いドアを開ける」


何度も唱える。


時計のアラームが鳴る。三時半。


止める。


目を閉じたまま、意識を沈めていく。


「夢だと気づく。夢だと気づく」


呼吸を整える。


意識が、ゆっくりと──


---


優衣は目を開ける。


大学の廊下。


すぐに気づく。


──これは夢だ。


明晰夢。今度こそ。


右手を見る。指が七本ある。確認完了。


「行こう」


階段を探す。


二階、三階、そして四階。


同じ廊下。


でも、今度は落ち着いている。


足音が聞こえる。


背後から。


でも、振り返らない。


「急がないと」


廊下を走る。


一番奥の、赤いドア。


ノブに手をかける。


冷たい感触。


回す。


開く。


中は──


階段だ。


下へ続く階段。


優衣は躊躇する。


背後の足音が近づいている。


「行くしかない」


階段を降り始める。


一段、二段、三段。


暗い。でも、なぜか足元は見える。


十段、二十段。


どこまで続くのか。


後ろを振り返る。


赤いドアは、まだ開いている。


そこに、子供の自分の影が見える。


でも、入ってこない。


まるで、入れないように。


「ここは...」


優衣はさらに降りる。


三十段、四十段。


そして、底に着く。


小さな部屋。


四方が壁。窓はない。


床は石造り。


そして──


部屋の中央に、何かがある。


古びた机。


その上に、ノートが一冊。


優衣は近づく。


ノートを開く。


最初のページに、手書きの文字。


『夢鬼ごっこ』


優衣は息を呑む。


次のページ。


『ルール:


1. 夢の中で「自分」に追いかけられる

2. 捕まったら、次はあなたが鬼

3. 鬼は誰かを捕まえなければならない

4. 三回失敗したら──』


ここで、文字が途切れている。


いや、消されている。黒く塗りつぶされている。


「三回失敗したら...何が起きるの?」


優衣は次のページをめくる。


そこには、名前のリストが書かれていた。


手書きで、何十人もの名前。


そして、いくつかの名前には線が引かれている。


斜線。消された印。


優衣は震える手で、リストを見る。


知らない名前ばかり。


でも、一つ、見覚えのある名前がある。


『木下健』


斜線が引かれている。


「やっぱり...」


さらにめくる。


次のページには、図が描かれている。


円。いくつもの円が、重なり合っている。


中心に、大きな円。


その周りに、小さな円がいくつも。


そして、矢印。小さな円から、中心の円へ。


「これは...」


優衣は理解しようとする。


その時、背後に気配を感じる。


振り返る。


誰かが、階段を降りてくる。


足音。


でも、子供の足音じゃない。


もっと重い。


大人の足音。


優衣は息を潜める。


影が、階段から現れる。


人影。


でも、顔が見えない。


いや、顔がない。


のっぺらぼうのような、ぼやけた人影。


それが、こちらに向かって歩いてくる。


優衣は後ずさる。


でも、壁に背中が当たる。


逃げ場がない。


人影が近づく。


手を伸ばしてくる。


「やめて!」


優衣は叫ぶ。


その瞬間──


---


目が覚めた。


優衣は汗だくでベッドに座り込む。


呼吸が荒い。


スマホを見る。午前四時。


三十分しか経っていない。


でも、長い夢だった。


優衣は震える手で、ノートに書き込む。


『赤いドアの先。地下室。机。ノート。「夢鬼ごっこ」のルール。名前のリスト。木下くんの名前あり。図。円。そして──顔のない人影。』


書き終えて、LINEを開く。


すでにメッセージが来ている。


美優:『変なもの見つけた』


拓海:『俺も』


大樹:『怖かった...』


香織:『...何か、いる』


優衣は返信する。


優衣:『私も見つけた。ノートに「夢鬼ごっこ」のルールが書いてあった』


すぐに反応。


拓海:『俺が見つけたのは、古い掲示板。そこにも「夢鬼ごっこ」の記録があった』


美優:『私は...鏡。鏡の中に、たくさんの自分がいた』


大樹:『体育館の奥で、機械みたいなのを見た。光ってた』


香織:『校舎の中に、誰かがいた。顔が見えなかった』


優衣は画面を見つめる。


みんな、何かを見つけている。


そして、「顔のない存在」も。


優衣:『朝になったら、また集まろう。見つけたものを共有する』


全員から、了解のスタンプ。


優衣はもう一度、自分のメモを読み返す。


『三回失敗したら──』


その先が、黒く塗りつぶされていた。


誰が書いたのか。


誰が消したのか。


そして──


この「夢鬼ごっこ」は、誰が作ったのか。


窓の外を見る。まだ暗い。


朝まで、あと二時間。


もう一度寝るべきか。


でも、怖い。


あの顔のない人影。


何だったんだろう。


優衣は考える。


明晰夢で、夢をコントロールできる。


でも、あの人影は、自分が作り出したものじゃない。


誰かが──


いや、何かが、そこにいた。


優衣は震える。


部屋の電気を全てつける。


そして、机に向かって、ノートパソコンを開く。


検索する。


「夢 顔のない人」「夢 のっぺらぼう」


いくつかの記事が出てくる。


『夢に現れる顔のない人物:


心理学的には、「認識できない何か」の象徴。

無意識の深層にある、まだ理解していない概念や恐怖。


または、「自己の欠落」を表す。

アイデンティティの喪失。』


優衣は画面を見つめる。


自己の欠落。


アイデンティティの喪失。


木下くんみたいに、消えた人たち。


顔も、名前も、思い出せなくなる。


それが──


「自己の欠落」


優衣は理解し始める。


この「夢鬼ごっこ」は、ただのゲームじゃない。


何かを奪っている。


自分という存在を。


そして、その先に──


あの顔のない人影がいる。


優衣は深呼吸する。


「答えは、もうすぐだ」


そう自分に言い聞かせる。


窓の外が、少しずつ明るくなり始める。


朝が来る。


優衣は眠らずに、朝を待つことにした。


机に向かって、これまでの情報を整理する。


ノートに書き出す。


『分かったこと:


1. 夢の中に「特別な場所」がある

2. そこには「夢鬼ごっこ」の秘密がある

3. ルールが書かれたノート、リスト、消された名前

4. 「顔のない存在」がいる

5. 三回失敗すると──(不明)


分からないこと:


1. 誰が始めたのか

2. なぜ広まったのか

3. どうすれば終わるのか

4. 「顔のない存在」とは何か

5. 消えた人たちは、どこへ行ったのか』


書き終えて、窓の外を見る。


オレンジ色の空。


朝日が昇り始めている。


優衣のスマホが鳴る。


LINEの通知。


美優:『おはよう。眠れなかった』


拓海:『俺も』


大樹:『怖くて寝られない』


香織:『...みんな、大丈夫?』


優衣は返信する。


優衣:『おはよう。私も起きてた。九時に図書館で集合しよう。見つけたことを全部共有する』


美優:『了解』


拓海:『分かった』


大樹:『行く』


香織:『...はい』


優衣はスマホを置く。


時計を見る。午前六時。


あと三時間。


シャワーを浴びて、朝食を食べる。


でも、食欲はない。


トーストを一枚、無理やり口に入れる。


コーヒーを飲む。


そして、準備をして家を出る。


早すぎるが、部屋にいると不安になる。


大学に向かう電車の中で、スマホを開く。


「#夢鬼ごっこ」のタイムライン。


相変わらず、投稿は溢れている。


でも、内容が変わってきている。


『楽しい』という投稿が減り、『怖い』『助けて』という投稿が増えている。


『友達が消えた』

『三回失敗した。これから何が起きるの』

『夢の中で、変なものを見た』


そして、ある投稿に目が留まる。


『地下室で、ノートを見つけた。そこには「始めた人」の名前が書いてあった。でも、読めない。文字が歪んでる。誰か、同じもの見た人いる?』


優衣は投稿にリプライしようとする。


でも、その瞬間──


投稿が消える。


「このツイートは削除されました」


優衣は凍りつく。


削除したのか。


それとも──


アカウントごと消えたのか。


電車が駅に着く。


優衣は降りて、大学へ向かう。


図書館に着くと、もう四人が待っていた。


全員、疲れ切った顔。


でも、目には決意が宿っている。


「集まったね」優衣が言う。


「うん」美優が頷く。


「情報を共有しよう」拓海が言う。


五人は奥の個室に入る。


そして、それぞれが見つけたものを話し始める。


長い朝が、始まった。


【第6話 終】


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