第5話 夢をコントロールできる、でも──
優衣は廊下を走る。
目の前の背中が、角を曲がる。
追いかける。
体が軽い。思い通りに動く。夢なのに、現実よりも鮮明だ。
足音。呼吸。心臓の鼓動。
全てがリアル。
階段を駆け上がる。三階、四階。
でも、大学は三階建てのはずだ。
──これは夢。
そう思った瞬間、視界がさらにクリアになる。
音が、空気が、全てがはっきりする。
完全な明晰夢だ。
目の前の女子学生が、また角を曲がる。
優衣は追いかける。
「待って」
声が出た。夢なのに、ちゃんと声が出る。
女子学生が振り返る。
──誰?
見たことのない顔。でも、追いかけなきゃという衝動は消えない。
手を伸ばす。
あと少し。
指先が、彼女の肩に触れそうになった瞬間──
女子学生の姿が、ぼやける。
「えっ?」
そして、消える。
煙のように、霧のように。
「待って!」
優衣は手を伸ばすが、何も掴めない。
周りの景色も、揺れ始める。
廊下が歪む。
床が傾く。
そして──
目が覚めた。
---
優衣は汗びっしょりでベッドに座り込む。
スマホを見る。午前三時。
「捕まえられなかった...」
二回目の失敗。
あと一回。
震える手で、スマホのメモアプリを開く。
『二回目失敗。相手が消えた。夢の中で、人が消える?』
書き終えて、スマホを置く。
もう一度寝るべきか。
でも、怖い。
三回目の失敗をしたら──
木下くんみたいに、消えるのか。
優衣は立ち上がって、机に向かう。
ノートパソコンを開く。
「明晰夢 コントロール方法」
検索する。
いくつかのサイトが出てくる。
『明晰夢の基本テクニック』というページを開く。
『明晰夢をコントロールするには:
1. 夢だと自覚する
2. 冷静になる
3. 「これは自分の夢だ」と唱える
4. 変えたいものをイメージする
ただし、完全なコントロールは難しい。特に、強い感情や恐怖を伴う夢は、コントロールしにくい』
優衣はスクロールする。
『明晰夢でできること:
・空を飛ぶ
・好きな場所に行く
・物を出現させる
・景色を変える
明晰夢でできないこと:
・完全に感情をコントロールする
・深層心理から来る恐怖を消す
・他人の夢に干渉する』
「他人の夢に干渉する」──
優衣は目を見開く。
でも、私たちは同じ夢を見ている。
それって、干渉してるってこと?
さらに検索する。
「共有夢」「複数人 同じ夢」
いくつかの記事が出てくる。
『共有夢(Shared Dream)とは?
複数の人が同じ内容の夢を見る現象。科学的には証明されていないが、報告例は多数存在する。
可能性として考えられる説:
1. 偶然の一致
2. 集団心理による暗示
3. 量子もつれ理論(仮説)
4. 集合的無意識(ユング心理学)』
優衣は「集合的無意識」をクリックする。
『カール・ユングが提唱した概念。人類が共有する無意識の層が存在し、そこにはアーキタイプ(元型)と呼ばれる普遍的なイメージが存在する。
夢を通じて、この集合的無意識にアクセスできる可能性がある。
特に、明晰夢の状態では、通常よりも深い無意識の層にアクセスできるとされる』
優衣は画面を見つめる。
明晰夢。集合的無意識。
私たちは、何かにアクセスしてしまったのか?
時計を見る。午前四時。
あと二時間で朝だ。
もう寝ないでおこう。
そう決めて、コーヒーを淹れる。
---
土曜日の朝。
優衣は約束通り、大学の図書館で四人と待ち合わせた。
全員、疲れ切った顔をしている。
「おはよう...」美優が力なく言う。
「みんな、昨日寝た?」優衣が聞く。
「寝た」拓海が頷く。「でも、また見た」
「俺も」大樹が言う。「鬼として追いかけた。でも、相手が消えた」
「消えた?」優衣が驚く。「私も!」
「私も」美優が言う。「捕まえようとしたら、煙みたいに消えた」
香織は黙って頷く。
拓海が分析する。
「つまり、全員が昨夜、同じ現象を体験した。鬼として追いかけたが、相手が消えて、捕まえられなかった」
「これで二回目の失敗」優衣が言う。
沈黙。
「あと一回で...」美優が震える。
「消える」香織が小さく言う。
優衣は昨夜調べたことを説明する。
「明晰夢について調べたんだ。私たち、確実に明晰夢を見てる」
「それは分かってる」拓海が言う。
「でも、それだけじゃない」優衣が続ける。「共有夢って概念がある。複数人が同じ夢を見る現象」
「それって...」大樹が考える。「私たちがやってること?」
「多分」優衣がノートパソコンを開く。「昨夜見つけた記事なんだけど」
画面を見せる。
「集合的無意識。心理学者のユングが提唱した概念。人類が共有する無意識の層があって、明晰夢を通じてそこにアクセスできるかもしれない」
「つまり」拓海が理解する。「私たちは、明晰夢を通じて、同じ無意識の空間にアクセスしてる?」
「可能性として」
「だから、同じ夢を見る」美優が言う。
「それに」優衣が続ける。「明晰夢なら、夢をコントロールできるはず。でも、私たちはできない。鬼ごっこのルールだけは変えられない」
「なんで?」
「それが」優衣が画面をスクロールする。「深層心理から来るものは、コントロールできないって書いてある」
香織が口を開く。
「じゃあ、鬼ごっこは...私たちの深層心理?」
「もしくは」拓海が言う。「集合的無意識に元々存在していたルール」
「でも、なんで今?」大樹が聞く。「なんで急に、みんなが同じ夢を見始めたの?」
誰も答えられない。
その時、優衣のスマホがバイブする。
通知。Twitter。
「#夢鬼ごっこ」のトレンドが、さらに上昇している。
タップする。
新しい投稿が流れてくる。
『おかしい。友達が消えた。昨日まで一緒にいたのに、今日は誰も覚えてない』
『夢鬼ごっこ、楽しいとか言ってる場合じゃない。これヤバいやつだ』
『三回失敗したら消えるって噂、マジっぽい』
優衣は画面を五人で見る。
「みんな、気づき始めてる」
「でも、やめられないんだよ」美優が言う。「寝たら、勝手に夢が始まる」
「明晰夢の訓練をしたから」拓海が分析する。「もう、夢を見ない選択肢がない」
「じゃあ、どうすればいいの?」大樹が焦る。
優衣は考える。
「逆に考えよう」
「逆?」
「明晰夢なら、夢をコントロールできる。完全じゃなくても、ある程度は」
「それで?」
「夢の中で、答えを探す」優衣が言う。
「答えって?」
「この鬼ごっこが何なのか。なぜ始まったのか。どうすれば終わるのか」
拓海が頷く。
「確かに。明晰夢なら、普通の夢より意識的に行動できる」
「でも」香織が不安そうに言う。「夢の中で、どうやって答えを探すの?」
優衣は昨夜の夢を思い返す。
廊下。階段。四階。
大学は三階建てなのに、四階があった。
「おかしいものを探す」優衣が言う。「夢の中で、現実と違うもの。それが手がかりになるかもしれない」
「例えば?」
「昨夜の夢で、大学に四階があった。現実にはない階。そこに何かあるかもしれない」
美優が思い出す。
「私の夢では、図書館に地下があった。でも、現実の図書館に地下はない」
「俺の夢では」大樹が言う。「体育館の奥に、見たことのないドアがあった」
拓海も頷く。
「夢の中の建物には、現実にない部分がある」
「そこを探索しよう」優衣が提案する。「今夜、全員で意識的に夢に入る」
「どうやって?」
優衣はノートパソコンの画面を見せる。
「明晰夢を意図的に見る方法。WBTB法って呼ばれてる」
『Wake Back To Bed法:
1. 5時間睡眠後、一度起きる
2. 30分ほど起きている(この時、夢のことを考える)
3. 再び寝る
4. REM睡眠に入りやすく、明晰夢を見やすい』
「それで、確実に明晰夢を見られるの?」美優が聞く。
「確実じゃないけど、確率は上がる」
「じゃあ、今夜みんなでやろう」拓海が言う。
「でも」香織が震える。「今夜失敗したら...」
「三回目」大樹が続ける。
沈黙。
優衣は決意する。
「だからこそ、意識的に行動する。鬼ごっこから逃げるんじゃなくて、答えを探す」
「でも、追いかけなきゃって衝動はどうするの?」美優が聞く。
「抵抗する」優衣が言う。「明晰夢なら、ある程度は自分の意志で行動できる」
拓海が補足する。
「衝動を完全には消せないかもしれない。でも、同時に別の行動はできるはず」
「探索しながら、鬼ごっこもする?」
「そうなるかもしれない。でも、やらないと答えは見つからない」
五人で顔を見合わせる。
「やろう」美優が言う。「このままじゃ、本当に消えちゃう」
「俺もやる」大樹が頷く。
「私も」香織が小さく言う。
「じゃあ、決まり」優衣が言う。「今夜、全員でWBTB法を試す。午前三時に起きて、三時半に再び寝る」
「それまでに、何か準備できることは?」拓海が聞く。
優衣は考える。
「夢日記を詳しく書く。夢の中の建物の構造、現実と違う部分。それを共有しよう」
「分かった」
五人はそれぞれのノートを開いて、これまでの夢を思い返す。
優衣は書く。
『第一の夢:小学校の廊下。現実と同じ。
第二の夢:大学の図書館。窓の数が多い?
第三の夢:テーマパーク。観覧車の色が違う。
第四の夢:大学の廊下。四階がある。』
美優のノートを覗く。
『ショッピングモール:五階がある(現実は四階まで)
図書館:地下への階段
体育館:床の色が青い(現実は茶色)』
拓海は几帳面な字で書いている。
『共通点:夢の建物には、現実にない「追加の空間」がある
仮説:その空間に、鬼ごっこの秘密がある?』
大樹のノートはラフな図が描いてある。
体育館の見取り図。奥に、点線で「謎のドア」と書かれている。
香織のノートは、詩のような文章。
『夢の中の学校は、懐かしくて、でも怖い。
廊下は長すぎる。教室は多すぎる。
どこかに、行ってはいけない場所がある気がする。』
優衣は全員のノートを見て、気づく。
「みんな、同じことを感じてる」
「何を?」
「夢の中に、『特別な場所』がある」
五人で頷き合う。
「今夜」優衣が言う。「その場所を探そう」
「そこに答えがある」拓海が続ける。
「消える前に」美優が小さく言う。
「絶対に見つける」大樹が拳を握る。
香織は何も言わず、ただ頷く。
---
その日は、それぞれが準備に費やした。
優衣は家に帰って、明晰夢に関する情報を集め続けた。
夕方、スマホに通知が来る。
LINEグループ。五人のグループだ。
美優:『今夜、本当にやるんだよね』
拓海:『やる。他に選択肢がない』
大樹:『ちょっと怖いけど、頑張る』
香織:『...みんな、無事でいて』
優衣は返信する。
優衣:『大丈夫。一緒に答えを見つけよう』
そして、最後のメッセージ。
優衣:『午前三時。全員で起きる。三時半に寝る。夢の中で、何があっても、答えを探す』
全員から、スタンプの返信。
優衣はスマホを置く。
窓の外を見る。もう夕暮れだ。
夜が来る。
そして、三回目の夢。
最後のチャンス。
優衣は深呼吸する。
「絶対に、答えを見つける」
そう自分に言い聞かせて、夕食の準備を始める。
でも、食欲はない。
時計を見る。午後六時。
あと九時間で、午前三時。
長い夜が、始まろうとしている。
【第5話 終】
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