第4話 クラスメイトが消えた

金曜日の朝。


優衣は目覚めた時、妙な高揚感を感じていた。


昨夜の夢。鬼になって、誰かを追いかけた。大学の廊下を走り抜けて、階段を駆け上がって。でも、捕まえる前に目が覚めてしまった。


不思議なことに、がっかりしている自分がいた。


もう少しで捕まえられたのに。


「...何考えてるんだろう、私」


優衣は頭を振る。ただの夢なのに。


でも、あの感覚は確かにあった。「捕まえなきゃ」という使命感。美優が言っていた通りだ。


スマホを開く。


タイムラインは相変わらず「#夢鬼ごっこ」で溢れている。


『鬼になった!追いかけるの楽しい』

『明晰夢でこんなに動けるとは思わなかった』

『これ、夢なのに本気で走ってる自分がいる』


みんな、楽しんでいる。


でも、少し下にスクロールすると──


『三日連続で捕まえられなかった。なんかイライラする』

『夢なのに疲れる。寝ても休んだ気がしない』

『現実でも夢の続き考えてる自分がいる。ヤバい?』


優衣は画面を見つめる。


ネガティブな投稿も、増えてきている。


そして、「時計仕掛け」のアカウントをチェックする。


やはり、四日間更新されていない。


最後の投稿:『鬼になった。今夜、誰か捕まえないと』


それきり、沈黙。


優衣は不安になる。


大学に着くと、美優が疲れた顔で座っていた。


「おはよう。大丈夫?」


「うん...ちょっと寝不足」美優が笑う。「昨日、五回も同じ夢見た」


「五回?」


「うん。鬼として誰かを追いかける夢。でも、毎回捕まえる前に目が覚めちゃう」


拓海と大樹も到着する。二人とも、少し疲れた様子だ。


「おはよう」


「お前ら、なんか顔色悪いぞ」大樹が言う。


「お前もな」拓海が返す。


「昨日、夢見た?」優衣が聞く。


「見た」拓海が頷く。「鬼になった。大学の図書館で誰かを追いかけてた」


「俺も」大樹が言う。「でも、捕まえられなかった」


香織が教室に入ってくる。明らかに疲労している。目の下にクマができている。


「香織!」美優が駆け寄る。「大丈夫?」


「...ごめん、ちょっと」香織が席に座り込む。「昨日、一睡もできなかった」


「えっ?」


「夢を見るのが怖くて」香織が小さな声で言う。「目を閉じると、すぐ夢が始まる。だから、眠れなかった」


優衣は心配になる。


「保健室行く?」


「ううん、大丈夫」香織が首を振る。「ただ...」


「ただ?」


「この夢、おかしいよ」香織が五人を見る。「みんな、気づいてないの?」


「気づいてないって、何に?」大樹が聞く。


「頻度だよ」香織が言う。「最初は週一だったのに、今は毎晩。一晩に何回も。これ、普通じゃない」


沈黙。


「確かに」拓海が認める。「頻度は上がってる」


「それに」香織が続ける。「みんな、夢のことばかり考えてない?授業中も、休み時間も」


優衣は、ドキッとする。


確かに。昨日の授業、ほとんど頭に入ってこなかった。夢のことを考えていた。


「それは...」美優が言いかける。


「それに、木下くんのこと」香織が声を潜める。「誰も覚えてないでしょ?」


「それは...たまたまじゃ」


「たまたまじゃないよ」香織が首を振る。「おかしいよ。同じクラスなのに、誰も顔を思い出せない」


その時、教授が教室に入ってくる。


「あ、そうだ」教授が言う。「木下くんだが、今週いっぱい休むそうだ」


優衣は手を挙げる。


「先生、木下くんは体調不良なんですか?」


「ああ...詳しくは聞いてないが、家族から連絡があった。しばらく休養が必要だと」


「いつから復帰予定ですか?」


教授は少し考える。


「...分からない。特に期日は聞いていない」


授業が始まる。


でも優衣は集中できない。


木下健。


どんな人だったか、本当に思い出せない。


授業の後、五人で屋上に向かう。


「ちょっと、真面目に話さない?」優衣が提案する。


「何を?」


「この夢のこと」


五人で輪になって座る。


優衣はスマホを取り出す。


「まず、事実確認。みんな、夢を見始めたのはいつ?」


「私は...」美優が考える。「先週の月曜くらい」


「俺も同じくらい」拓海が言う。


「私もそう」香織が頷く。


「じゃあ、全員ほぼ同時期」優衣がメモする。「頻度は?」


「最初は週一。今は毎晩、複数回」拓海が答える。


「同じく」大樹も頷く。


「夢の内容の変化は?」


「最初は体が動かなかった。今は思い通りに動く」美優が言う。


「明晰夢化してる」拓海が分析する。「夢だと自覚できるようになった」


「でも」香織が言う。「鬼は消せない。コントロールできない」


優衣は頷く。


「そう。それが一番変なところ。明晰夢なら、夢をコントロールできるはず。でも、鬼ごっこのルールだけは変えられない」


「それに」拓海が付け加える。「『捕まえなきゃ』っていう使命感。あれ、自分の意志じゃない気がする」


「分かる」美優が言う。「夢なのに、強制されてる感じ」


優衣はスマホの画面を見せる。


「これ、見て」


「時計仕掛け」のアカウントだ。


「この人、四日前から投稿してない。最後の投稿が『鬼になった。今夜、誰か捕まえないと』」


「飽きたんじゃないの?」大樹が言う。


「それか...」香織が小さな声で言う。「捕まえられなかったとか」


「捕まえられなかったら、どうなるの?」美優が聞く。


誰も答えられない。


沈黙が流れる。


「ねえ」優衣が言う。「木下くんのこと、本気で思い出せない。顔も、声も」


「私も」美優が認める。「いたことは覚えてるけど、それ以上は...」


「LINEの履歴も、ほとんどない」拓海がスマホを確認する。「名前は出てくるけど、本人の発言が見つからない」


「まるで」香織が震える声で言う。「最初からいなかったみたいに」


優衣は立ち上がる。


「確かめよう」


「何を?」


「木下くんの家」


---


放課後。


五人は木下健の住所を調べて、アパートを訪れた。


古い二階建てのアパート。階段を上がって、204号室の前に立つ。


「ここだ」


優衣はドアをノックする。


返事がない。


もう一度、ノックする。


やはり、反応がない。


「留守かな」美優が言う。


その時、隣の部屋のドアが開く。


中年の女性が顔を出す。


「どちら様?」


「あ、すみません」優衣が頭を下げる。「木下くんの大学の友人なんですが」


「木下...?」女性が首を傾げる。


「204号室の」


「ああ」女性が思い出したように言う。「でも、あの部屋、確か...空き部屋じゃなかったかしら」


「えっ?」


「最近、引っ越してきた人がいたような気もするけど...」女性が曖昧に言う。「でも、顔を見たことないのよね」


「ありがとうございます」


女性はドアを閉める。


五人は顔を見合わせる。


「どういうこと?」大樹が混乱する。


「分からない」優衣も困惑する。


拓海がドアノブに手をかける。


「鍵、かかってない」


「開けていいの?」美優が心配そうに言う。


「緊急事態だ」


ドアを開ける。


部屋の中──


何もない。


家具も、荷物も、何もない。


まるで、誰も住んでいないような。


「...嘘でしょ」美優が呟く。


床に、埃が積もっている。


少なくとも、数週間は誰も出入りしていない様子。


「木下くんは...」香織が震える。「本当にいたの?」


優衣はスマホを取り出す。


木下健のLINEアカウントを開く。


プロフィール写真は初期設定のまま。


過去のメッセージを見る。


「木下くん、ノート貸して」

「木下、明日来る?」

「木下さん、課題の締切いつでしたっけ」


名前は出てくる。でも──


「本人の返信が、一つもない」拓海が画面を見る。


優衣は震える。


「まるで、幽霊みたいに」


「やめてよ」美優が怯える。


その時、優衣のスマホがバイブする。


通知だ。


Twitter。「時計仕掛け」のアカウントが、投稿した。


全員で画面を見る。


新しい投稿。


『たすけて』


それだけ。


投稿時刻は、たった今。


「...生きてる?」大樹が言う。


優衣はアカウントページを開く。


でも、おかしい。


過去の投稿が減っている。


昨日まで二十個以上あったはずなのに、今は十個しかない。


「投稿、消されてる...?」


そして、プロフィール写真を見る。


昨日までは、風景写真だった。


今は──


真っ黒。


何も映っていない。


「これ...」香織が震える。「木下くんと同じ」


優衣は理解する。


「消えていってる」


「何が?」


「存在が」優衣が呟く。「時計仕掛けも、木下くんみたいに」


「そんな...」美優が言葉を失う。


拓海が冷静に言う。


「つまり、鬼になって、捕まえられなかったら──」


「消える」香織が続ける。「記憶からも、記録からも」


沈黙。


優衣は自分の手を見る。


昨夜、鬼になった。


誰かを追いかけた。


でも、捕まえられなかった。


「私」優衣が震える声で言う。「昨日、捕まえられなかった」


全員が優衣を見る。


「何回失敗したら...」美優が聞く。


「分からない」


でも、なぜか、数字が浮かぶ。


三回。


なぜか、そう思う。


「三回」優衣が呟く。「三回失敗したら、消える」


「なんでそう思うの?」大樹が聞く。


「分からない。でも...そう感じる」


香織が立ち上がる。


「帰ろう。ここにいたくない」


五人はアパートを出る。


外はもう夕方だ。オレンジ色の空が、不気味に見える。


「今夜、どうする?」美優が聞く。


「寝ないわけにはいかないよね」大樹が言う。


「でも、寝たら...」


「夢を見る」拓海が続ける。


優衣は決意する。


「情報を集めよう。SNSで、同じ状況の人を探す。何か分かるかもしれない」


「私も探す」美優が頷く。


「俺たちも」拓海と大樹が言う。


「明日、また集まろう」優衣が言う。「情報を共有して、対策を考える」


五人は別れる。


優衣は家に帰る道すがら、スマホを見続ける。


「#夢鬼ごっこ」のタイムライン。


投稿は増え続けている。


でも、時々、アカウントが消えている。


昨日まで投稿していた人が、今日はいない。


プロフィールを開こうとすると、「このアカウントは存在しません」。


増えている。


消えていく人が、増えている。


家に着いて、部屋に入る。


夕食を食べる気にもなれず、ベッドに横になる。


スマホの画面を見続ける。


そして、一つの投稿を見つける。


『三回失敗した。今、この投稿を書いている。でも、なんか変だ。周りの人が、俺のことを見ていない。まるで透明人間みたいに』


投稿時刻は一時間前。


リプライを見る。


誰も反応していない。


いや、違う。


リプライはある。でも──


『誰に向けて書いてるの?』

『返信先のアカウントが見つかりません』


優衣は震える。


投稿は見えている。でも、投稿者はもう「いない」。


スマホを置く。


時計を見る。午後八時。


寝るには早い。でも、疲れている。


目を閉じたら、すぐに眠ってしまいそうだ。


そして、夢を見る。


鬼として、誰かを追いかける。


もし捕まえられなかったら──


二回目の失敗。


あと一回。


「寝ちゃダメだ」


優衣は立ち上がる。


コーヒーを淹れる。


机に向かって、スマホとノートパソコンを開く。


情報を集める。


「夢鬼ごっこ」「明晰夢」「消える」「三回失敗」


検索する。


でも、答えは見つからない。


時間が過ぎる。


午後九時。十時。十一時。


目が重くなってくる。


「ダメだ...起きてないと」


コーヒーを飲む。


でも、効かない。


体が、眠りを求めている。


午前零時。


もう限界だ。


ベッドに倒れ込む。


目を閉じる。


「お願い...今夜は見ませんように」


でも、そんな願いは無駄だと分かっている。


意識が沈んでいく。


そして──


夢が始まった。


大学の廊下。


夜。電気は消えている。


月明かりだけが、窓から差し込んでいる。


優衣は立っている。


そして、気づく。


──これは夢だ。


明晰夢。


体が、自分のものだ。


でも。


目の前に、誰かの背中が見える。


女子学生。


追いかけなきゃ。


その思いが、湧き上がる。


優衣は走り出す。


鬼ごっこが、また始まる。


二回目の、チャンス。


捕まえなければ──


【第4話 終】

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