10-1
日が沈もうとしていた。
ノープランで走り出したわたなは、できるだけ早く走りながら、どこに向かうべきかを考えていた。今進んでいるこの道を戻ることはできない。きっと今ごろ判場は警察相手に適当にごまかした後、配下にはわたなを探すように指示を飛ばしているはずだ。
候補はいくつかあった。あるいはどういう順番で逃走経路を繋いで行くべきかというステップが、わたなには見えていた。
まず第一に、藤間区、新港区、雨裏区の外に出ることだ。九杯社の本拠地であり、判場の配下がどこで目を光らせているかわからないこの一帯を抜け出すことは、わたなにとっては最優先のことだった。ここを出るまでは、わたなは一息もつくことはできない。だが幸いにも、そろそろ区の境界線には到達しそうだった。
そして次に、市の湾岸・西部・南部を離れ、北部・東部方面へと向かうことだ。九杯社の傘下組織は碧浪港市全体にいるが、その濃淡はエリアによって異なる。西と南は濃くて、北と東は薄い。たしか、北東部のいくつかの区では、九杯社にうんざりした人たちが代わりに帰還兵のグループを雇って、現地組織を追い出したという話を聞いたことがある。もしかすれば、そこで反九杯社的なグループに接触を図ることもできるかもしれない。わたながどう行動するにせよ、まずは北東に走るべきであることは確かだった。
北東にはバスターミナルもある。そこから別の街へ向かうバスに乗り、あとはもう何も知らない新天地で、新しい人生を始めるしかない。そこまで逃げることができれば、おそらく大丈夫のはずだった。
わたなは信号待ちをしながら、ため息をついた。
今さらだが、この車はすでに判場に見られている。この車はすぐに捨てて、早めに公共交通に切り替えた方が良いかもしれない。だが市中央部あたりに来るまでは外に身をさらすことの抵抗感の方が強く、なんだかんだで乗り続けてしまった。
あたりを見ると、嫌にパトカーが多い。さっきのサッカーユニフォームの子も警察に追われていたが、やはりこのあたりで何かあったのだろうか。何も彼女だけがこのパトカーの多さの原因ではないだろうと思ったが、共に追われる身である彼女に、わたなはなんとなく共感の念を寄せた。
交差点の信号が青になり、わたなは車を動かした。交差する道路にパトカーがいて、わたなは少し心をざわつかせつつ走り抜けようとする。
だが、パトカーの目の前を通りがかったとき。
拡声器から声がした。
「そこの黒のピックアップ、止まりなさい」
間違いなく、わたなが今乗っている車のことを言っていた。
「——ッなんで!?」
そしてわたなが思わず踏んでしまったのは、アクセルだった。なぜパトカーに呼び止められたのかわからないが、とにかく今ここで足止めされるのはヤバい。
そう思ったわたなの車が急加速すると、逃走行動を見て取ったパトカーが、瞬時にサイレンを鳴らして走り始めた。
それでわたなは気付いたが、足止めされるよりもパトカーとカーチェイスになる方がもっとヤバい。
しかし、後悔は先に立たない。もう始めてしまったのなら、止まることはできなかった。
わたなは覚悟を決めてハンドルを握り、さらにアクセルを踏み込んだが、それはそうと、大声で叫んだ。
「あー、なんで!? 両元会はともかく、警察に捕まる理由なんて……」
サイレンが鳴り響く中、わたなの視界には今日殺した警官の顔が思い浮かんだ。
「……あるわ……」
わたなはそうこぼすと、もう何も言う気がなくなった。
最初に建てたプランはもののみごとに崩壊したし、正直言ってここから逃げ切れる未来がまるっきり思い浮かばない。わたなは今日一日ずっと腹の底で黒いものがきらめいているのを感じていたが、だからといって急にこのピックアップに黒い翼が生えて外国まで飛んでくれるわけではない。
わたなはとにかくこれまで以上に切羽詰まっていて、それを打開するためにはさらなる機転と、さらにドライブテクニックが必要になってきたということだった。
――無理だ。
わたなは遠い目をする。いや、しない。遠い目をしていたらすぐに追いつかれる。すぐに気を取り直して視界の全てに意識を向けたが、その瞬間、いきなり背後で声がした。
「あれは私を追いかけてるんだと思います」
「えっ!?」
ぞわっとして振り返ると、そこに一人の少女がいた。荷台に面したリアウィンドウが開かれていて、そこから彼女はその顔を覗かせていた。
「えっ、えっ!?」
その顔ははっきり見覚えがある。だってさっき現れたサッカー少女だったから。
もうキャップは脱ぎ捨てたサッカー少女は、きれいな髪を風になびかせていた。こうしてみるとこの子の顔立ちは思ったよりも女の子っぽくて、そしておそらくは同年代だ。
少女は言った。
「警察は私を追っているんです。逃げたいので、しばらく乗せてくれませんか」
「今すぐ降りて!」
わたなはハンドルを切って前方の車を避けながら、大声で叫んだ。街中に配置されていたパトカーは、わたなの車が交差点を渡るたびに、その新たな尻尾を形作った。
少女は言った。
「私は朽丈うなみといいます。霧島で戦っていた元魔法少女兵で、戦後の社会復帰プログラムから脱走したために警察に追われています。今捕まると私はおそらく終身刑になるでしょう。私を助けてくれませんか?」
右に左に何度も車線変更しているのに、うなみと名乗った背後の少女の体はまるでぐらつかず、ソファにでも座っているかのような平坦さで喋っている。私だったら舌噛んで死にそうだ、とわたなは思った。
「名前も罪状も聞いてないんだけど! あのさ、なんでそこにいんの! 迷惑だから今すぐ降りて!」
すると、うなみはまたしても淡々と言う。
「荷台で寝ていれば隠れて遠くに行けると思ったんです。ぱっと見で性別がわからないように変装もしましたし。でも、流石にこの小さなピックアップでは難しかったようです」
「はやく降りろって!」
わたなはまた叫んだ。
だが、うなみは平然とした顔で言う。
「じゃあ、停車して私を警察に引き渡したらどうですか? あなたに何かやましいことがなければ、今なら無罪放免だと思いますが。そういえばさっきあなたを道で見かけましたが、なんだか怖い人たちと一緒にいましたね」
「ぐ……!」
こいつ、あの一瞬で私の顔を覚えていたのか。そしてあろうことか私に目をつけて、いざというときの足にしようとしたということだろうか。
わたながどうしようもない怒りを噛みしめていると、うなみが言った。
「この車、今どこに向かってますか?」
「さっきまでは北東方面向かってバスターミナルから逃げるつもりだったけど、今はもうわかんないよあんたが来ちゃったから!」
「なるほど」
「何がなるほど!」
「じゃあ、今のところは特に目的地があるわけではないんですね?」
「そうだけど!?」
すると、うなみは言った。
「でしたら、私が行きたい場所に向かってくれませんか」
わたなは声を荒げた。
「なんであんたの行きたいところに私が送んなきゃいけないの!? 警察から逃げるのに精一杯でご期待に添えるかなんてわかんないんだけど……ってパトカーまた一台増えた!」
すると、うなみは言った。
「そこに武器があります。とても便利な武器が。それさえあれば、警察も犯罪結社も、たいした敵じゃありませんよ」
その余裕ぶった口ぶりを聞いたとき、さっきなんとなく取りこぼしていた凄まじく重要な情報が、今になって急に意識に上って来て、わたなは叫んだ。
「……え、てかあんた魔法少女なの!? あの、軍とかにいるやつ!?」
うなみは頷いた。
「はい、戦後に社会復帰のための施設で心理治療を受けていたんですが、退屈だったので逃げてきました」
「退屈!? それだけで!?」
「はい」
そんな馬鹿がいるものかと思いつつも、なんだか身に覚えのある行動だと感じてしまったので、わたなはそれ以上追及するのをやめる。
そして、さらに重要な情報を確認する。違っていてくれと思いながら。
「じゃあもしかして、探してるのは……セプターってやつ?」
うなみははっきりと肯定した。
「そうです。それはこの近くにあります。それを手に入れられれば……」
その答えを聞いて、わたなは遠い目をして言った。
「それ、さっき取られた」
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