10-2
「え?」
うなみが窓から首を突っ込んだ。
わたなは全身から力が抜けそうになりながら、ハンドルを握り続けた。
「私が追われてる理由……私、両元会の下っ端やってて……警察から間違ってセプターを盗んじゃったんだけど、絶対手を出しちゃいけないやつで……それで腹切らされそうになってるの……だから近くにセプターがあるんなら、それってきっと、そういうことだと思う……」
「……その、両元会は、どこにいるんですか?」
うなみが不安そうに尋ねる。ずっと敬語で淡々と喋っているが、思ったよりテンションの上がり下がりがわかりやすい。
「だいたいこの辺、新港区を拠点にしてる……セプターもこのあたりのどこかにあると思うから、たぶん今からこの道を逆走したら出会えるかも……しれない」
「ということは……私たちは今、セプターから正反対の方向に向かって走っている?」
「そうなる」
うなみがぽかんと口を開け、そしてわかりやすく動揺した。
「そんな! そんなはずはないです!」
わたなも負けじと声を張り上げる。
「そんなはずはないもなにも、持ってかれちゃったんだって! それでついでに私も殺されかけて、なんとか逃げてるのが今なの!」
そうだ、そんな便利で強いものがあるのなら、今すぐ渡している。そう思ってわたなは言ったが、うなみは妙に強弁した。
「そんなことはありえません! だってセプターは、今かなり近くにあるはずなんです! さっきからずっと近くにあるのに、一向にそれ以上近付きも遠ざかりもしないから、こうやって街を流して探してたんです!」
「近くにって……そんなの、どうやってわかるの!?」
うなみは言う。
「魔法少女には聞こえるんです、誰も持ってないセプターからは、持ち主を求める声が!」
「何なのそれ、私は聞こえないんだけど、適当こいてないよね!?」
「聞こえないのはあなたが魔法少女じゃないからです!」
わたなは言った。
「じゃあさっさとセプター見つけてよ! この辺にあるんだったら、どっちの方かくらいはわかるよね!?」
「だから、それが……」
と、窓に首を突っ込んだまま言い争いを始めようとしていたうなみだったが、やがて静かになって、視線を下に向けた。
「……ヤバい、ヤバいヤバいヤバい」
急に静かになったうなみと対照的に、わたなは慌てた声を出す。パトカーに気を取られていたが、気付けばさっきのマンションの周囲に停まっていた車が数台、わたなを追いかける車の中に紛れている。騒ぎを聞きつけた両元会の追っ手だ。
どうやるのかは知らないが、警察がうなみを捕まえたら、残ったわたなを持って行くつもりなんじゃないだろうか。
さらに悪いことはもう一つ。途中からわたなは、もう自分がどこを走っているのかよくわかっていなかったし、自分を追いかけている車がもう何台あるのかもわかっていなかったが、急に開けただだっ広い道路に出たことで、自分が完全に追い込まれたことを知った。
新港区臨海公園に隣接する直線道路。直線だったら、どう考えたってパトカーの方がずっと早い。このままだとすぐに追いつかれると悟り、わたなは何か打開案を探して、うなみに叫んだ。
「ねえ、もう追いつかれそうなんだけど、どうしよう! 魔法少女ならなんか不思議な力でなんとか……」
だがうなみは、わたなにこう尋ねた。
「すみません。そのスーツケースの中、何がありますか?」
うなみの視線の先、そこに転がっていたのは、小さな青いスーツケースだった。
「何も!」
だがうなみは言った。
「そんなはずはありません。セプターがあるはずです。そこから声がします」
「だから、ないって! だってそこに入ってたセプターが両元会に取られたんだから! その残り香みたいなのでも嗅いだんじゃないの!?」
だが、うなみは言った。
「そこに入ってたんですか?」
「だからそうだって言って……」
「ちょっと、ドアの窓を開けてください」
何か雰囲気が変わった。わたなは言われるままにウィンドウを下げる。わたなは器用にそこから車内に入りこむと、スーツケースを抱え上げた。
「これが、セプターの入っていたケースですね?」
「そうだけど。開けてみれば、そこに何もないことはすぐに……」
うなみはスーツケースを抱きかかえるようにすると、何か得心したように言った。
「……ああ、はい、なるほど」
「うなみ?」
「セプターの声に残り香なんてありませんよ。声なんですから」
その声色からは焦りの色がすっかり抜けきっていて、すっと芯の通った響きが取り戻されていた。
「じゃあ、いったい何が……?」
わたながミラーごしにちらりと目を向けると、そこにあったはずのスーツケースはなくなっていた。
――なくなってる?
後ろを振り返ると、確かにスーツケースはどこかに消え去っていて、代わりにうなみの手に握られていたのは、わたなが追われるきっかけになった、あの黒い塊だった。
わたなの頭上に、特大のクエスチョンマークが浮かぶ。
「えっ? なんでそれが……それは、だってさっき、両元会が回収していったはずじゃ……」
うなみが言った。
「スーツケースですよ」
「え?」
「セプターはその形状を、重さはそのままで自由に変えられるんです。中にあるものが大事そうに見せた上で、本当はケースが本物だったってことです。気付きませんでした? あのスーツケース、意味不明なくらいに軽かった」
わたなは言った。
「あんた、もしかして本当に……」
うなみが笑う。
「両元会が取ってったんでしたっけ? それが本物かどうかさえ、確認せずに持って行ったんでしょう? そういうせっかちな人を騙す最後の仕掛けとしては、なかなかうまく機能したんでしょうね」
そしてうなみは言った。
「車を停めてください」
わたなはブレーキを踏んだ。
逃げられる方向にとにかく爆走を続けたわたなの車は、夜の開けた道路のど真ん中で止まった。付いてきていた車が続々と停車する。うなみはドアを開けて地面に降り立つと、続いて降りてきた警官と相対した。
パトカーから降りてきた両元会と警官たち。こちらに銃を向け、二人が投降したと思いこんで、最後の詰めをするために、爛々と目を輝かせていた。相手のポケットに突っ込まれているものが何かなど、気にする者はいなかった。
警察はうなみが特別な存在であることを知っていたし、両元会はわたなが本物のセプターを未だに持ち運んでいることを、知っていたかもしれないが、その二つの重要な情報が二つの組織の間で融通されることはなかった。ましてや二人が今まさに天運に選ばれたことに気付くわけがなかった。
彼らの前に姿をさらす直前、うなみはわたなに尋ねた。
「そうだ、名前……」
「え?」
「あなたの名前、なんて言うんですか?」
「……春条わたな」
少女はパトカーのランプに照らされながら、後から降りてきたわたなに振り返る。
「それで、何でしたっけ? 私が本当に魔法少女か、でしたっけ?」
彼女がそのプレートを握りこむと、それは幾千もの立方体に分裂したかと思えば、瞬きの間にその本来の形状を取り戻していた。
奇妙な幾何学模様をまとった棒を握り、うなみは言った。
「ええ、そうです。こんな連中、相手になりませんよ」
うなみがそれを振るい、そしてわたなの目の前で、全てが光の中に消えていった。
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