08-1
比較的安穏っていうのは、常に安穏であることを意味するわけじゃない。
その日は少しばかり様子が違う日で、蒲原は朝の九時にチームを集めて、こう宣言した。
「今日のはデカい」
わたなも当然そこにいた。
メンバーの一人が手を上げる。
「デカいって、金額がですか? どのくらい?」
蒲原は言った。
「利益の半分を上納し、残りをここにいる八人で山分けにしたとして、青々区のマンションが一人一部屋買える」
そう聞いて、メンバーから歓声が上がる。
「本当ですか」
「ああ」
「何をやるんです?」
また別のメンバーが聞いたので、蒲原は答えた。
「強盗だ」
それはなんとなく予想がついた。そうでもなきゃ、そんなに一気に大量の金は手に入らないだろう。
「何を盗るんです?」
「芦原工廠の研究データがありったけ詰まったディスクを、運搬中に襲って奪う」
蒲原がそう言ったので、わたなは思わず手を上げずに発言してしまった。
「芦原工廠を襲うんですか?」
蒲原がわたなを指差す。
「なんだ春条、何か気になるか?」
わたなは言った。気になることなら大ありだった。
「芦原は軍のお得意さんですよね。軍に目をつけられませんか?」
芦原工廠は兵器開発ど真ん中の大企業だ。軍との関係は古く、そして強く、そこに手を出せば、軍からのおこぼれで潤ってきた両元会全体に波及するのではないかと思ったのだった。
すると、蒲原は気楽そうに笑った。
「心配すんなよ。何しろ、この話を持ちかけてきたのが、何を隠そう軍の幹部の方々だ」
「どういうことですか?」
蒲原は言った。
「つまりこうだ。俺たちは芦原のディスクを盗んだら、すぐに軍に身代金を要求する。軍は渋々俺たちに身代金を渡し、俺たちは軍にキズ一つつけずにそのディスクを渡す。騒ぎが収まった頃に、この話を持ちかけた軍幹部の裏口座には、身代金の半分の額が送金されている」
「ああ、そういうことですか」
わたなは理解した。軍の金庫から金を抜き取りたかった幹部陣が、分け前をやるから協力しろと言ってきたということか。
「標的の車は正午に芦原工廠本社を出て、軍基地に向かう。俺たちは芦原の車の予想ルートをあらかじめ抑えておき、情報共有しながら臨機応変に追跡する。運転手の安否は問わないが、中の商品は絶対に傷つけるな」
蒲原は全員を見回して、言った。
「武器を持って車を出し、割り振った場所で二人一組で待機しろ。春条は俺と来い。お前ら、質問はないな?」
全員が無言で蒲原を見つめていた。そんなことより早く行かせろというまなざしを見て、蒲原は満足そうに頷いた。
「よし、行くぞ」
*
「強盗は初めてやります」
蒲原の車を運転しながら、わたなは言った。両元会に入ってすぐに運転は覚えさせられた。あるとき唐突に取った覚えのない免許証が渡されたので、ゆっくり教習を受ける時間などなかったが、交通ルールなどあってないような新港区の繁華街では、感覚で運転しても特に困ることはなかったのだった。
「俺も、お前みたいなやつが強盗をやるのを見るのは初めてだ」
後部座席に座る蒲原は嘲るようにそう言った。
「警備はどんなものですか?」
「事前の情報だと前後に一台ずつ。だが民間の警備会社だ。銃も持ってないらしい」
「カモってことですね」
「ああ。だがお前は持っておけよ?」
「はい」
わたなは懐に差した拳銃を、蒲原に見えるようにした。
今まで一度も使うことはなかったが、もうずっとそこにあったそれは、肌に吸い付くように馴染んでいた。わたなは直接暴力を振るう立場にこそいなかったし、それを求められることもなかったが、護身用に与えられた銃を握ることだけは、いつだって行えることだった。わたなは自分がそこにいることを確かめたくなったとき、よくそれを握った。それがわたなに力を与えてくれるような気がした。
待機ポイントに到着すると、わたなは改めて弾倉を確認した。
今日も使うことはないだろうと予想していたが、そこに実弾が入っていることを確認すると、それがもたらすものを思って身震いする。
全てが順調に行くことを願った。これを使うことなく終わることを。
でも、最悪のときは使わなきゃいけない。
わたなの胸の奥で、また黒い光がちらついた。
蒲原の携帯に、偵察していた仲間の声が入る。
「リーダー、標的がビルを出ました。事前情報通りに三台の車列で、今のところAコースを順調に進んでいます。このままいけば、十分くらいでリーダーの前を通ります」
追跡チームの現在地をタブレットで確認しつつ、蒲原は全員に指示を飛ばす。
「了解。全員Aコースに向かえ。追跡チームはそのまま続行」
「了解」
マイクを切ると、蒲原は言った。
「緊張してるな」
わたなは頷いた。
「初めてですから」
「これを練習台にするんだな。報酬は莫大。軍とは裏で合意済み。警備はザルときたもんだ。こんな仕事はそうそう入ってこない」
それからしばらく蒲原は時計を見つめ、言った。
「そろそろだな」
携帯がまた仲間の声を受け取る。
「ポイント1を通過します」
すると、目の前の交差点を通り過ぎる三台の車が見えた。
「行け!」
蒲原の指示で車を急加速させる。隣の車線から車列を追い越し、目の前に来たらブレーキ。向こうが異変に気付いたときにはもう遅く、待ち構えていた仲間の車が周囲を囲んで、車列は立ち往生するしかなくなっていた。
蒲原とわたなは車を降り、先頭の警備車両の運転席に拳銃を突きつけた。
「降りろ!」
そう蒲原が叫んで窓ガラスを叩くと、すぐにドアが開き、運転手と助手席にいた男たちが両手を上げて現れる。
前後の警備が逃げたら、真ん中の車から荷物を回収。それを持って倉庫に逃げ込んだら、今日の仕事は終わりだ。
本当に思ったより簡単かもしれない。そう思いながら、わたなは逃げていく男たちに銃を向けて見送った。
そして全ての車から同様に逃げていくのを確認して、わたなは中央の芦原工廠の車に向かおうとした。
だが、わたなたちは逃げていった男たちに気を取られて、スモーク窓で隠された後部座席にもう一人残っていたことに気付いていなかった。
パン、と音がする。
「え?」
音がした方を見ると、蒲原が腹を押さえて崩れ落ちようとしている。
そしてわたなが後部座席に目を向けたときには、そこにいた男は次に銃口をわたなに向けて、引き金を絞ろうとしていた。
まだ残ってるやつがいる。
蒲原が撃たれた。
私が狙われている。
その事実を理解すると共に、わたなの頭は真っ白になった。
そして代わりに、腹の底で揺らめいた黒い輝きが、一瞬だけ意識を乗っ取った。
まず、わたなは体をかがめた。わたなが車のドアに隠れて見えない場所に全身を収めると、ほぼ同時に、ドアの向こうでバンバンと激しい音がした。視界には入っていなかったが、窓ガラスを突き破って銃弾が飛んでいくのを感じていた。
そして、わたなは屈んでいる間にきちんと握り直したそれを、迷わずドアに突き立てて、引き金を三回引いた。目の前で起こった閃光と轟音に目がくらんだが、わたなはすぐに立ち上がった。
再び窓の内側が視界に入る。細められた視界の先で、割れたガラスの向こうにいる男が悶えている。その指はまだ銃の引き金に添えられたままだった。
生きている。
わたなは今度はしっかり狙いをつけて二発撃ち込んだ。どちらも即死部位には届かなかったが、すでに死にかけだった男は動かなくなった。
ドアを開けようとしたが、ここにはまだ鍵がかかっている。弾痕でもろくなった窓の残りを拳銃の底でたたき割って、腕を突っ込んで内側から鍵を開けた。
中にいた男は、小さな青いスーツケースを抱えて死んでいた。
そのスーツケースを奪い取った。もともと小さかったが、それにしても妙に軽い。
開けようと思ったが、鍵がかかっている。死んだ男のポケットを漁ったら鍵を見つけたので、わたなは地べたに座り込んだ。それを鍵穴に差し込もうとして――――
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