第7話 変貌

     7 変貌


 突然現れた女性が、明比佐の肩に触れる。


 私にはそれが何を意味しているのか、さっぱり分からない。


 明比佐は呆然とした顔で女性を見た後、両手で頭を掴む。


 男性はソレを見て何かを確信した様だが――男性は攻撃を躊躇った。


 何故って、明比佐の後ろには私が居るから。

 今、明比佐達に攻撃を加えれば、私もソレに巻き込まれる。


 そう判断した男性は<状に動き、瞬時にして私の腰を掴み、私を明比佐達から引き離す。

 例の空き地へと入った男性は、初めて笑った様に見えた。


「まさか――皇女殿下と皇太子が恋人同士だった、と? 

 これは――どういったレベルの運命の悪戯だ?」


「……皇太子? 

 それは……一体どういう?」


 男性に腰を抱かれた状態で私が呟くと、明比佐は顔を上げる。


 明比佐は眼を広げながら、ただ天に向かって哄笑を上げ始めた。


「ハハハハハハハハ―――っ! 

 ハハハハハハハハハハハハ―――っ! 

 そうかっ、そういう事か! 

 確かにきさまの言う通りだ、イスカダル! 

 これは一体、どんなレベルの皮肉なんだろうなっ?」


「………明、比佐っ?」


 それは、私が見た事が無い東国明比佐だった。


 彼の表情は、既に狂喜とさえ呼べる物だ。


 彼はこの状況を嗤い、自分自身を嗤って、この男性の事も嗤っている。


 ……いや、違う。


 明比佐はもしかして、私さえも嘲笑っている?


「ご苦労だった、マルグ。

 お蔭で私は、悪夢から解放された。

 仇敵を愛する等と言う――この上ない悪夢から。

 で、状況は? 

 私達以外に――誰が蘇っている?」


 マルグと呼ばれたドレス姿の女性は恭しく一礼した後、明比佐の問いに答える。


「は――ゲーテ・ダンティス皇太子殿下。

 残念ながら、今のところ私達二人のみです。

 やはりここは殿下のお力をお借りしたいと思うのですが、如何でしょう?」


「フっ。

 ま、そんな事だと思っていた。

 いや、私をいの一番に蘇生させたオマエの判断は、正しい。

 でなけば、私達はコーファインの一族に後れをとっていた。

 しかし幸いというべきか、条件を満たしたにも関わらず、やつは未だ蘇生には至っていない。

 ならば、ここで決着をつけるのも、一興だろう。

 そうだ。

 精々足掻くがいい、イスカダル。

 それとも、やつが目の前で殺される様を俺に見せつけられ、絶望する方がお好みか?」


「……明比佐? 

 どうしたの……明比佐? 

 さっきから、何を言って――」


 今にも泣きそうになりながら、私が当然の疑問を口にすると、イスカダルと呼ばれた男性が口を開く。


「残念ながら、あれは既に貴女が知る彼ではない。

 ゲーテ・ダンティスと言う名の――我々の大敵だ。

 簡単に言えばやつの狙いは貴女で、私には貴女を守る義務があるという事」


「――はっ?」


「守る? 

 この私から、やつを? 

 戯言はそこまでにしておくのだな、イスカダル・コーファイン。

 序列一位である私に、序列二位であるきさまが対抗しきれると、本気で思っている?」


 瞬間、五メートル先に居る明比佐が拳を掲げる。


 ソレを突き出した途端、明比佐の拳には巨大な拳のオーラに覆われる。


 直系にして五十メートルに及ぶソレは――事もなくこの一帯を破壊した。


 家々を、大地を抉って、明比佐の拳は周囲五百メートル圏内を粉々にする。


 それはつまり東国明比佐は見知らぬ他人を殺したという事だ。


 明比佐の拳は、人々を容赦なく虐殺していく。


 いや、それ以前に、なぜ私はまだ生きている――?


「さすが。

 この程度では意にも介さぬか」


「……なっ?」


 イスカダル・コーファインが、右腕を突き出している。


 たったそれだけで、あのミサイルの様な攻撃を、彼は防いでいる。

 けれど、明比佐の攻撃はとどまる所を知らない。


 まるでソレが娯楽の様に、明比佐は巨大すぎる拳を放ち続け、彼を圧倒する。


「ハハハハハハっ! 

 ハハハハハハハハっ! 

 脆い、脆いな、この星の家々は! 

 余りにも脆弱すぎて、今にも星ごと消し飛ばしてしまいそうだ――っ!」


 明比佐は、明らかに他人の命を、玩具にしている。

 明比佐は、明らかにこの破壊活動を、楽しんでいる。


 それは私が知る東国明比佐とは、まるで別人だった。

 私が泣きそうなのはだからで、彼は既に正気では無いのだ。


「――止めて! 

 止めてよ、明比佐! 

 何で、明比佐がこんな事をっ? 

 何時もの料理バカなあんたは――どこに行ったって言うのよっ?」


 力の限り吼える私を一瞥した後――イスカダル・コーファインは鼻で笑う。


「成る程。

 この状況にありながら、尚も気丈に振る舞うか。

 中身はまるで別物だが、確かに殿下の面影が無くも無い」


「はっ? 

 この状況で何を言っているのよ、あなたはっ? 

 明比佐は一体何なのっ? 

 なんで明比佐が、こんな真似をしているのっ? 

 彼奴は一体、どうなっちゃったって言うのよっ?」


 彼の答えは、実に簡潔だった。


「それは、追々話そう。

 今は――この状況を乗り切るのが先だ」


 そんな彼を前にして、明比佐は更に喜悦する。


「この状況を乗り切る? 

 きさまがこの状況を乗り切ると謳ったか、イスカダル? 

 それは私に対する――この上ない不敬だろうが!」


 途端、明比佐の拳のオーラは直径百メートルを超える。


 単純に考えれば、それは明比佐の攻撃力が二倍になったという事だ。


 明比佐の攻撃を防ぎ切る事で手一杯な彼では、明比佐の攻撃はもう防げない。


 そう確信させられる私だったが――イスカダル・コーファインはもう一度笑った。


「――冗談。

 目覚めたばかりのきみが――この私に勝てると思っている方がよほど不遜だろう」


「ぬっ?」


 そして、立場は逆転した。


 明比佐の直系百メートルレベルの拳を――彼は直径一キロレベルの拳で軽々はね返す。


 明比佐の拳を粉砕して――彼は明比佐に殴打を食らわせる。


 吹き飛ばされた明比佐は中空で体勢を立て直すが、奥歯を強く噛み締めた。


「と言う訳です、殿下。

 残念ながら、今の状況では貴方でさえイスカダルには及ばぬかと」


 マルグという女性が、事もなく言い切る。

 それはまるでこうなる事が、事前に分かっていたかのような口調だ。


 明比佐はマルグを一瞥すると、イスカダルに視線を戻す。


「この力。

 目覚めてから既に、十日は経っているな。

 成る程。

 ならば、確かに分が悪い。

 マルグのシナリオに沿うのは癪だが、ここは素直に撤退する事にしよう」


「まさか。

 そんな真似を許す、私だと思ったか? 

 きみは今ここで、確実に殺しておく。

 それでこの戦争は――私達の勝利だよ、ゲーテ」


 明比佐の動向を注意深く観察しながら、彼は拳を掲げる。


 彼は本気で明比佐を殺すつもりで、今の明比佐にソレを妨げる術はない。


 それを知っている筈の明比佐は、この状況をただ嗤う。


「終わりだ――ゲーテ」


 だが、彼の拳が明比佐に届く事はなかった。


 何故ならその前に私が両腕を広げて、彼の前に立っていたから。


 ソレを見て彼は拳を止め、明比佐は一笑する。


「やはり、思った通りの行動だったな。

 一応礼を言っておこうか、紫塚狩南。

 この借りは何れきさまの命を奪う事で、返す事にしよう。

 そうだ。

 きさまだけは――俺が殺す。

 必ずこの手で殺してやるぞ――紫塚狩南」


 この一瞬の隙を衝き、明比佐は私に向けて拳を放つ。


 イスカダルは私に覆いかぶさって、ソレを全力で防御し、明比佐に逃亡の機会を与える。


 東国明比佐は瞬時にしてこの場を去り、明比佐は一命を取り留めた。


 この状況を前にして、彼は嘆息する。


「いや、味方を増やしたつもりが、とんだ足手まといができたな。

 無礼を承知で言えば今の殿下のやり様は、貴女だけでなく私達全員の命を危うくする愚行だ。

 今の記憶が戻っていない貴女では、そう自覚する事さえないのだから厄介だよ」


「――だ、だから訳が分からないのよっ! 

 明比佐は、どうなったのっ? 

 なんで彼奴が、あんな酷い真似をっ? 

 あの明比佐が、なんでこんな真似をしているのよ――っ?」


 遂に泣き出しながら私が怒鳴ると、彼は表情を消しながら右手を顎に持っていく。


「それに加えて、困った。

 どうやらこれは、本当に一から説明するしかないようだ。

 だが、安心していい。

 ゲーテが破壊した家々に、人は存在していない。

 ここは『神』がつくりだした結界内で、現世とは隔絶された世界だ。

 建造物は現実の物と同じだが、ここは完全に無人だよ。

 いや、その結界も消えたな。

 ではご希望通り、全てを話す事にしよう。

 かなり長くなるが、それでも構わないかな?」


 イスカダルと呼ばれた男性は明比佐が去った方向に目をやる。


 私は何度か目を泳がせた後、明比佐の変貌ぶりを思い出して息を呑む。


 それでも、私の答えは決まっていた。


「……いいわ、教えて。

 あなた達が私や明比佐にとって……どれ程の疫病神かという事を」


 彼は苦笑してから、こんな前置きを口にする。


「では、最初にこれだけ話しておこう。

 貴女の本当の名は――クリスタ・コーファイン。

 我が従妹にして――コーファイン皇国の正当なる第一皇女だ」


「………はっ?」


 故に私は――心底からの疑問符を彼に投げかけた。

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