第2話『管理人と規約』

 どれくらい、そうしていただろう。

 獣の死骸と血の匂い、そして光の文字――その奇妙な組み合わせの中で、俺はただぼうぜんと座り込んでいた。


【神託】:次は何が始まるんだ?

【神託】:チュートリアルにしては不親切すぎ

【神託】:てか管理人出てこいよ


 管理人。

 その神託が流れた、まさにその時だった。

 目の前の空間がまるで水面のようにゆらめいた。

 そして、そこからすうっと――一人の女が現れた。


「――はいはーい、お待たせしましたー」


 気の抜けた明るい声だった。

 現れた女は、ひらひらのついた白い服を着て、背中には小さな羽まで生やしている。髪は虹色にかがやき、瞳は金色。

 いかにも、といった感じの女神様スタイルだ。だが、その顔にはどこか面倒くさそうな色が浮かんでいた。


「私がこの世界……えーっと、『神々の試練場(アストラル・フィールド)』の管理人をやってます、女神イリスでーす。以後お見知り置きを、勇者様?」


 語尾が少し上がる、人を食ったような口調。

 俺はただ、ぽかんと彼女を見上げるしかなかった。


【神託】:運営やっときた!

【神託】:この女神、やる気なさすぎだろw

【神託】:かわいいから許す


 神託は相変わらずだ。

 イリスと名乗った女神は、その光の文字にちらりと視線をやった後、やれやれと肩をすくめた。


「さて、と。色々聞きたいことはおありでしょうが、まずは状況のご説明から。手短にいきますよ、手短に」


 彼女はパン、と手を叩いた。

 すると俺の目の前に半透明のウィンドウがいくつも浮かび上がる。そこには、びっしりと細かい文字が書き連ねてあった。


「まず、あなた、鈴木健太さんは勇者としてこの世界に召喚されました。おめでとうございまーす。パチパチ」


 イリスは心のこもっていない拍手をした。


「この世界は今、魔王ってのがヤンチャしてて大変なの。だからあなたにはその魔王を倒してもらいます。以上」

「は……?」

「で、あなたの冒険の様子はですね、神々の世界『高天原サーバー』にリアルタイムで配信されてまーす。今あなたが見てる光の文字がそれ。神様たちからのありがたーい【神託】ってやつですね」


 彼女は神託の流れる空間を、指でつんつんと突いた。


「神様たちはあなたの活躍に応じて【祝福】をくれたり、【恩寵】として【祈力】ポイントを送ってくれます。この祈力を使えばスキルを買ったり、アイテムと交換したりできると。まあ、そういうシステムです」


 まるでファミレスの店員がマニュアルを読み上げるような口調だった。


【天覧者数:89】


 いつの間にか、天覧者数は増えていた。


「あの……」

「はい、質問は最後にまとめて受け付けまーす。で、これが一番大事なことなんですけど」


 イリスは人差し指を立てた。

 その顔から、面倒くさそうな色が一瞬だけ消えた。


「これは、神々のための『娯楽』です。分かります? あなたは神々を楽しませるためにここにいる。彼らを退屈させたら……どうなるか。まあ、お分かりですよね?」


 彼女の金色の瞳が俺の心を射抜く。

 ごくり、と唾を飲み込んだ。

 退屈させたら、見捨てられる。

 恩寵も祝福も、何ももらえなくなる。

 それはこの世界での死を意味する。


「利用規約、同意します?」

「え、いや、規約って……」


 ウィンドウに浮かんだ文字の羅列を見る。

 あまりに膨大で、読む気にもなれない。


【神託】:はよ同意しろ

【神託】:利用規約読むやついねーだろw

【神託】:面白ければ何でもいいぞ、頑張れ


 神々も俺に選択肢なんて与える気はないらしかった。

 俺がためらっていると、イリスはにっこりと笑った。

 それは有無を言わさぬ、絶対的な笑みだった。


「ご安心を。拒否権はありませんので」


 そう言うと、彼女は俺の目の前にあった『同意する』というボタンを勝手に指で押した。

 瞬間、世界がぐにゃりとゆがむ。

 白い空間に亀裂が入り、そこから森の景色や石畳の街並み、青い空が洪水のように流れ込んできた。


「では、チュートリアルはこれにて終了。健闘を祈ります、勇者ケンタ。あなたの最初のステージはここ、始まりの街『アルクス』です。せいぜい、神々を沸かせてくださいね」


 イリスの姿が急速に薄れていく。


「ちょ、待てよ! 質問は!?」


 俺は思わず叫んだ。

 最後にまとめて受け付けるんじゃなかったのかよ。

 消えかかる彼女は、こちらを振り向き、ああ、忘れてた、という顔で軽く片手を上げた。


「――あなたの人生は、今日からエンターテインメントになりました。あ、質問は今後の【神託】で随時どうぞ。神様たちが親切に答えてくれるかもでーす」


 最後の言葉は、ほとんど嫌がらせにしか聞こえなかった。

 気づけば、俺は石畳の上に立っていた。

 行き交う人々の喧騒。香辛料の匂い。遠くで響く鍛冶の音。

 さっきまでの白い世界が嘘のような、生々しい現実がそこにはあった。

 だが、目の前に浮かぶ光の文字だけが、これが現実ではないと告げ続けていた。


【天覧者数:121】

【神託】:おー、ファンタジーっぽい

【神託】:とりあえずギルド行くのが定石だろ

【神託】:ヒロインはまだですか?


 俺の異世界配信が、始まった。

 最悪の気分で。

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