第4話 おバカ貴族と龍と飛行船

 午後の陽光が金色の大地に降り注ぐ中、カサルは領地で一番栄える街に『運命』を求めてやってきた。

 しかし何やら様子がおかしい。


「アレは……龍? 」


 上空では颶風ぐふうが吹き荒れていた。


 遥か頭上、雲海を裂いて泳ぐ巨大な古龍。その羽ばたきが生む余波は、鋼鉄の航空船ですら木の葉のように軋ませていた。


「忙しそうだな」


 そんな暴風の只中に、ふわふわと空を舞う黒い羽毛のような影。

 古びた蝙蝠傘こうもりがさをさしたカサルだった。

 彼は、古龍の生み出した風を利用して、タンポポの綿のように上下に揺れながら街に飛んできたのである。


「な、何だあれは!? 」


 地上を巡回する警備兵たちが、風に飛ばされそうになる帽子を押さえながら空を仰ぐ。


 カサルは、龍が生み出す殺人的な乱気流を、まるでダンスのパートナーのように手懐けていた。風の流れを日傘の表面で受け流し、螺旋を描きながら優雅に街の広場へと降下していく。


 その様は、空を漂う愚かな異物でありながら、同時に神技じみた体捌きでもあった。


「か、カサル様! なぜ空から……っ!? 」


「無茶苦茶だ! 早く降りてください! 坊っちゃんが吹き飛ばされますぞ!」


 警備兵たちの悲鳴に近い制止を無視し、カサルは音もなく石畳に着地した。


 傘を閉じると同時に、周囲の風がスッと凪ぐ。


オレのことは気にするな。お前たちは上の蛇でも注視していろ」


 カサルは悪びれもせず、制服を着た魔女たちが結界展開に奔走する広場へと歩き出した。


(……龍災か。最近やけに多いな)


 その瞳は、道化の仮面の裏で鋭く状況を分析していた。警備が厳重すぎる。対空魔術ではなく、なぜ地上を封鎖している?


 コソコソと群衆に紛れようとした背中に、無邪気な声が突き刺さる。


「あ! バカサルだ!」


 緊張感の張り詰めた広場に、間の抜けた子供の声が響いた。


「シィーッ! 声がデカい! 警備の邪魔になろうだろう! 」


 カサルが人差し指を立てるが、時すでに遅し。子供たちは「可愛いドレス着てるー」と彼のスカートへ潜り込み、完全な玩具として扱い始めた。


 いっそ風にのって逃げようか──カサルがそう画策した、その時だ。

 上空で、何かが爆ぜる音がした。


 カサルの肌が、ビリリと粟立つ。


 見上げるよりも早く、彼の本能が警鐘を鳴らした。


 傾いた航空船の甲板から、小さな影が投げ出されている。


 瓦礫ではない。風に舞う長い銀髪。少女だ。


「あ──」


 誰かの絶望的な悲鳴。

 子供たちの笑顔が凍りつくよりも、警備兵が事態を理解するよりも速く。


「──チッ!」

 カサルの足元で、爆発的に風が巻いた。

 まとわりつく子供たちが尻餅をつくほどの突風。


「なに?」と問い返す時間すら惜しい。考えるよりも早く、カサルは蝙蝠傘を槍のように構え、大地を蹴っていた。


 ドォンッ!!


 石畳が悲鳴を上げ、蜘蛛の巣状に亀裂が走る。

 圧縮された風が砲弾のように弾け、その反動でカサルの体は音速の領域へと加速していた。


(クソッ……優雅さの欠片もない!)


 舌打ちを置き去りにして、黒いドレスを翼に変えたカサルは、落下する死の運命へと一直線に飛翔した。

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