5月31日 パーヴァリ家 (リュシエンヌ)

 

 部屋に入ってすぐ、持ち帰った天鵞絨の箱をクローゼットの奥に仕舞い込んだ。

 未だ少しだけ複雑な感情のまま靴を脱ぎ、ソファに座って足を投げ出す。


 高熱から目覚めたあの日、何かが違うと感じてから毎日が怖かった。

 これから先に起こることがわかってしまう……

 自分の頭がおかしくなったのかと思ってた。

 そんな日が3日くらい続いて、自分が死んだことを思い出した時は、全身の震えが止まらなかった。

 

 でも、どうして生き返ったんだろう……

 神様が可哀想に思ってくれたの? 

 その不思議さを考えながら、自分が死ぬまでのことを細かく思い出しているうちに気づいてしまった……

 

 私、すっごく可哀想じゃない? って! 

 ルドむかつく! って!

 

 笑っちゃうくらい怒りがこみあげて、その後やっぱり悲しくなった。

 でも今日、そんな気持ちをルドに話すことができた。

 しかも私の話を信じてくれた、証明書にサインまでしてくれた……。


「あ、そうだ」


 ふと思い出して、ソファから起き上がる。

 キャビネットから封筒と便箋を数種類取り出した。

 ルドに明日から起こること……というより、前回ルドに言われたことを書き出して欲しいと頼まれていたんだ。


 あー今日のルドは優しかったな……。

 ううん違う、彼はいつでも優しい。

 誰の前でも私を褒めてくれるし、毎回好きだって言う。

 それが恥ずかしいけど嬉しくて、当たり前だと思って過ごしてた。


 でも、私が死んでしまった人生では、アレシアがこの国に来てから、ルドの様子がどんどんおかしくなっていった。

 最初は、父親であるエルネスト侯爵に頼まれたのだから仕方ないと思ってた。

 それなのに、会う時間が減り、周りから二人がいつも一緒に居ると言う噂を聞くようにまでなっていった。

 それでも、ルドを疑うなんて……考えたこともなかったな。

 だって、私も大好きだったから……。


「もーーーっ!」


 今日ルドに会って納得したのに、また腹が立ってきた。

 そして、そのアレシアが明日やってくる!

「はぁ」

 

 気持ちを切り替えるため、大きく息を吐く。

 家紋が型押しされただけのシンプルな便箋を選び、目の前に置いた。

 普段はあまり使わない真っ黒なインク瓶の蓋を開け、羽根ペンを浸ける。


 えーっと、最初にルドから言われたことを書いたほうがいいかな……。

 大勢の前で、婚約破棄を告げられたあの日のこと。

 私に怒りをぶつけるルドの顔を思い出すと、胸をぎゅっと掴まれたような気分になる。

 でも、そのルドが何とかしてくれると言うんだもの、信じたい……。

 もう一度大きく息を吐き、紙にペンを走らせた。


「リュシエンヌ・パーヴァリ! 数々のアレシアに対する嫌がらせもう我慢できない。俺は知っているぞ、アレシアがこの国に来てすぐの演奏会、君は彼女の楽譜を故意に噴水へ落した。続いて彼女のドレスをインクで汚し、恒例のお茶会にも呼ばなかった。それに、アレシアが曾祖母からもらって大切にしているこの扇子を踏みつけ、中骨を折ったそうじゃないか!」


 たしかここで、ルドが扇子を掲げ、その横にアレシアが寄り添ってたっけ……。

 一言一句、違わずに思い出せるのが嫌になる。

 このあとは、私が何も知らないと言ってるのに、話を遮ってきたんだわ。

 あーやっぱりイラっとする。


「知らないわけがない! アレシアの扇子を、最後に持っていたのは君だ! そしてこの扇子が見つかった場所に君が隠すのを見たと言う証言もあるんだ。俺はいままで言わずにいたが、君はアレシアを無視したり、嘘の情報を教えていたことも知っている。リュシ、君がこんな最低な女とは思ってもみなかったよ」


 はあ、その扇子、私の手元にさえ来なかったんですけどー。

 はじめて見るような細工の美しい扇子。

 周りが騒ぐものだから、アレシアは皆にどうぞって見せてたのよね。

 それがどんどん人の手に渡って、見たいなーと思っている間に誰が持っているのかわからなくなってた。

 そんなのアレシアの手元へ返ったんだと思ってたわよ。

 しかも証言って誰がしたの? 無視? 嘘の情報? その話自体が嘘すぎる!

 改めて思い返すと、完全に言いがかりだわ。ほんと最悪。


 でも、その時の私は何も言えなくなって、辺りを見回すだけだった……。

 庭園に居た人達は、皆私を見て息を呑んでた。

 そこでルドがまた続けたんだわ。


「ルドウィク・エルネストはいまここでリュシエンヌ・パーヴァリとの婚約を破棄する! 君みたいな女と結婚なんてできない。今後の処理は遣いの者を行かせる、もう二度と会うことはないだろう。ああ、君がいるとパーティが台無しだ、周りもそう思っているよ?」


 あーーーーーーーーあの表情! とことん人を蔑んだような目! 

 それに片方の腕でアレシアの肩を抱いて支えてた! なにが「周りも思ってるよ」よ!

 私も言い返せればよかったんだけど、あまりの衝撃に声も出なくて、怒ることさえできなかった。

 で、その場で倒れてしまった……。

 目が覚めた時、セレーネとルルが泣きそうな顔でついていてくれたっけ。


 はぁーーーー今は怒りで倒れそう。

 あぶないわ、落ち着かなきゃ。


 ペンを置き、髪をほどいてひとつに結ぶ。

 

 この後は……私が死ぬまで会うことがなかったんだ。

 なんて冷たいの……。


 ふと、今日会った時のルドの笑顔を思い出す。そう、今のルドは、あの冷たいルドじゃない。

 私のことを考え、話も信じてくれたうえに、この先の提案までしてくれた……。

 だから、私は今これを書いてるんだ。うん大丈夫。

 気を取り直してペンを持ち直す。


 えーっと、ムカつく暴言はここまでだから、次はそれが起こった日ね。

 まずは楽譜、これは今週末、3日の演奏会、天気はいいけど風が強い日。

 先生から渡されたピアノの楽譜が風に飛ばされて、何枚か噴水に入ってしまった。

 これがどうして私のせいになるのか意味が分からない。だって、アレシアだけじゃなく、セレーネもメイベルもリサも楽譜が濡れてしまってたもの。

 それに、演奏の時には楽譜を貸し合ったし、アレシアなんて暗譜をしていて完璧な演奏を聴かせてくれた。


 あとこれがきっかけで、アレシアと仲良くなった……。

 本当に優しくて、綺麗で頭が良くて、彼女のことを好きにならない人なんて居ない。だからルドも……。


 「ハァ」


 信じられないくらい大きなため息が出た。

 自分の感情が乱れすぎて、恥ずかしさで笑ってしまう。

 やだなーもう。次は……と、ドレス! これは変だなと思ったからしっかり覚えてる、10日だわ。


 アレシアは歴史を勉強するためにこの国に来ていた。その為、午前中は必ず歴史書架の前、同じ場所に座るようになっていた。

 私もその日は調べたいことがあったので朝から図書館へ。

 そして、司書の勉強で図書館にいたセレーネと一緒に、アレシアへ声をかけた。


 三人で話しているうちに盛り上がってしまい、気付いたら正午前。

 アレシアに美味しいランチをご招待するわって席を立った時、彼女のドレスの背中からスカートにかけて、薄茶色に染まっていて驚いた。

 慌てて三人でまわりを調べると、座っていた椅子の座面と背もたれにインクがべったりと塗られていることがわかった。

 図書館の椅子は黒の皮張りなので、見ただけでは全然わからない。

 きっと、濃い色のドレスなら気づかなかったと思う。でも、アレシアはいつも白っぽいドレスを着ていたので汚れは一目瞭然だった。


 そんなアレシアを見た、他の利用者が声をあげて、あっという間に大騒ぎになった。

 そして、図書館内全ての椅子を調べるために午後から休館。

 結果、インクが付いていたのはアレシアが座った椅子だけ……。

 それなのに、誰かうっかりインクをこぼしたんでしょう、という結論でモヤモヤしたんだわ。

 アレシアも『ローブがあるから平気よ』って、全く怒らなかったし……。

 で、これがどうしたら私のせいになるの? あー本当に腹が立つ!

 

 机の上に置いてあるガラスのキャンディーポットから、木苺の飴を口に放り込んだ。


 次はお茶会ね。そう、あれもおかしいの……。

 18日、毎月開催されるお茶会。

 若い貴族達だけの集まりで、夜のパーティと違って気軽なもの。

 今月はアレシアの噂が広まっていたせいで、案内状が欲しい‼ と、通常より多い申し出が増えてしまい集会係が大混乱になってた。

 だから、12日の午前は教会に頼まれて、私たちが少しお手伝いすることになった 

 

 数人で手分けして招待状のあて名書きをしたから、配達の馬車が来るまでには十分間に合うことができた。

 それでも見落としがないかって、ぎりぎりまで何度も案内状を数えた。

 もちろん、主役になるであろうアレシア宛の封筒は間違いなくあったわ。

 それなのに……お茶会当日、アレシアは来なかった。


 体調でも崩したのかと心配していたら、翌日、図書館のいつもの場所に普通に座っていてびっくりしたっけ。

 駆け寄って、挨拶もそこそこにお茶会のことを尋ねると『案内状が届いていなかったから延期になったと思ってた』と……。

 セレーネ達と、案内状は間違いなく出した、ごめんなさい来月こそ! って、アレシアに謝ったら、彼女はにこにこしながら『全然大丈夫よ』って……。


 いったい案内状は何処に消えたの?

 でも、これも私がやったことにされたわ……。


 無意識に口の中に残っていた木苺の飴に歯を立てそうになる。

 噛み砕きたい衝動を我慢したつもりが、パシッと音を立て小さな欠片が砕けた。

 ガラスポットから新しい飴を取り出し、また口の中に放り込む。


 ふぅ、あとは扇子のことだけね……でも、これは最初に書いたこと以外書くことがない。

 まるで身に覚えがないことを、一方的に言われただけだもの……。


 日付は28日。そういえばこの頃はもう、ルドと話をする機会が全然無くなっていた……。

 パーティはアレシアが滞在しているカトラン子爵家が主催だった。

 ルドからは、父であるエルネスト侯爵とカトラン家に呼ばれているから、エスコートは出来ない……と、早くから連絡をもらってた。

 セレーネは、婚約の噂が出ていたクリストフに誘われていたので、会場で会いましょうと約束をして、一人でカトラン子爵の屋敷へ向かったんだわ。


 会場の入り口近くで、セレーネとクリストフに挨拶したな。

 その後、皆と笑顔で話しているアレシアを見つけて隠れたんだっけ……。

 だって、横ではルドが楽しそうに笑ってたから……。


「あっ!」

 

 軽い音とともに、羽根ペンの先が折れてしまった。

 弾けたインクの染みが紙に滲んでいく。

 書き直すのも面倒だし、もうここまででいいかな……って駄目だわ、名前書いてないや。


 キャビネットから新しい羽根ペンを取り出し、最後に署名をした。


 はあ、思うがままにたくさん書いてしまった……。

 悲しいという感情より、今はまだ苛立ちが勝ってしまう。

 それでも、今日婚約破棄証明書にサインをしてくれたルドのことを信じたい気持ちもある。

 明日、アレシアに会うのがすごく怖い。

 ルドはこれを読んでどう思うんだろ……。

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