6月1日 図書館1

◆1


 プリエール王立図書館。

 わが国が『叡智の国』と他国から呼ばれるのは、この図書館の存在が大きいだろう。

 圧倒的な書籍量と種類の多さ。特に語学や地学の文献は、自国のみならず他国に関しても膨大な資料が揃えられている。

 自国の歴史を学ぶために、プリエール国を訪れる専門家や研修者も多い。

 それに、国立図書館の建造物の芸術性の高さ。

 今では採掘することができない透明度の高い石が使われ、図書館だというのに光が差し込みとても明るい。

 紙の劣化を恐れ、どの国でも図書館は薄暗いのが当たり前なのだが、プリエール国だけは光の中で本を読むことができる。これも各国から人が集まる理由の一つだ。


「ねえルドウィク。リュシとは仲直りしたの?」


 開架書架に併設された修学室に向かうと、リュシエンヌと一緒にいたセレーネに声を掛けられた。

 リュシエンヌは、恥ずかしそうにセレーネの腕を引っ張っている。


「やあ、セレーネ。俺がリュシと喧嘩だって? そんなの青天の空を雷が引き裂いてもありえないよ」

「あら、面白いこと言うのね」

 

 たっぷりとしたダークブラウンの髪を揺らしながら、セレーネは笑っていた。

 褐色の大きな瞳は、嬉しそうに俺とリュシエンヌを見つめている。

 セレーネは、小さな頃から華やかで人の注目を集める少女だった。

 今でもそれは変わらず、ここにいる同世代男子の幾人かは彼女を気にしている。

 その為マルセル家は、婚約相手を選ぶのに大変らしい。


「ねえルド、これ昨日話してた……」


 リュシエンヌが小さな封筒を取り出した。裏にはしっかりと封蝋がされている。


「え? もう書いてきてくれたの?」

「うん、早いほうがいいと思って」


 封筒を受け取ると、リュシエンヌは慌てたように手を引いた。

 どこか落ち着かない様子を見せているのは、もうすぐアレシアがこの図書館に来るからだろう。

 気にしないつもりだったが、彼女の表情を見て背中に緊張が走った。

 封筒を胸ポケットに入れながら、みぞおちのあたりに鼓動を感じる。


「ねえねえリュシ、今日さー」

 

 セレーネがリュシエンヌに話しかけたその時、一瞬、図書館が静まり返った。

 続いて、小さなざわめきが波のように広がってきた。


 なんだこれは? 


 館内にいる人達が、一斉に同じ方向、図書館の入り口を向いている。

 セレーネは、話をやめて視線の方へ身を乗り出した。

 リュシエンヌは座ったまま俯いてしまう。


「んー、グレイス館長とあれは誰かしら? はじめて見るわよね?」


 いつもの調子でセレーネは話しかけてくる。しかし、どんどん下を向いてしまうリュシエンヌが気になって、返事をすることができない。

 辺りを見回すと、周りの視線が徐々に移動していることに気づいた。


「セレーネ・マルセルはどこかしら?」


 グレイス館長の声がホールに響く。視線が一気にこちらに集まった。


「はい! ここです館長」

 

 セレーネが姿勢を伸ばし、まっすぐに右手を上げた。

 うつむいたままのリュシエンヌの肩にぐっと力が入る。

 急いでリュシエンヌの隣に座ると、驚いたように顔をあげ、弱々しい笑顔を見せた。

 色が変わるほど強く握っている彼女の両手に、そっと手を乗せる。


 いつの間にか、グレイス館長がすぐ近くまでやってきていた。後ろを歩いているのは、多分アレシアだ。

 挨拶をするセレーネに合わせて、リュシエンヌは座ったまま頭を下げる。

 館長は二人を見て頷くと、一歩だけ横に移動した。


「セレーネ、リュシエンヌ、ごきげんよう。ルドウィク・エルネストもちょうど良かったわ。こちらは今日から数か月、この国に歴史を学びに来たアレシア・カトラン。カトラン子爵の遠縁の方よ、よろしくお願いね」


 近くにいる人たちが、全員聞き耳を立てているのがわかった。何かを発言するには勇気が必要なくらい、館内は静まり返っている。

 そんな空気をまるで気にすることなく、アレシアは口を開いた。


「はじめまして、わたくしアレシア・ロラ……カトランと申します。どうぞ仲良くしてくださいね」


 少しはにかんだように笑いながら、アレシアは優雅に一礼をした。その声と姿に、周りからは小さな歓声ともいえる声が上がる。


 今、「ロランジュ」と言いかけたな……つい本名が出そうになったのだろうか。 落ち着いた見た目とは違い、意外とうっかりするタイプのようだ。

 しかし、いま彼女を目の前にして、リュシエンヌが必死に言っていたのはこういうことかと納得した。


 アレシアは線が細く、身長もこの国の女性より少し高い印象だ。

 それに、わが国ではあまり見かけないオレンジ色の髪をしている。初夏の朝焼けのように透き通っていて、これは人目を惹く。

 瞳は緑、これは俺自身も同じ色だから特に何も思わないが、珍しいほうなのだろう。肌は北国特有の白さで、手足も細く長い。

 そういえば、我が国の王妃も肌が抜けるように白い。さすが縁者というべきなのか。


 うーん、たしかに恐ろしく美人だとは思う。だが、野生の鹿みたいでまったく好みではない。リュシエンヌの方が何倍も……いや、比べるまでもない。

 本当に俺が彼女のことを? と、今ここでリュシエンヌに聞きたいくらい不思議だ。

 ……実は、少し不安があった。

 世の中には一目惚れというものが存在する。

 まさか自分に限ってとは思っていたけど、気が抜けてしまうくらいアレシアに対して何とも思わなかった。


 ふと気付けば、目の前に人だかりができていた。

 アレシアと話したい人たちが、集まってきていたのだ。

 たくさんの人に囲まれながらも、アレシアは丁寧に一人ひとりに挨拶をし、質問に答えている。

 これは、王女としての習性なのだろうか。

 

「ねえねえリュシ、ルドウィク」


 セレーネが少しだけ身をかがめ、小声で話しかけてきた。

 リュシエンヌはまるで興味がない振りで、「どうしたの?」と答える。


「絶世の美女って彼女みたいな人を言うのかな? 絵の中から抜け出てきたみたいに綺麗ね、お姫様みたいだわ」

「そうね……眩しすぎるわ」


 リュシエンヌの返事は完全に棒読みなのだが、セレーネは興奮しているのか全く気付く様子がない。


「ルドウィクはどう思った?」

「俺はリュシの方が何倍も可愛いと思うけど?」

「ま……」

「うそっ!」


 なにかを言いかけたセレーネの声をかき消すくらい、リュシエンヌが大きな声をあげた。なぜか、唇を尖らせている。


「本当だよ、俺の婚約者が一番だ。この国、いや世界で一番だと思ってる」

「いっ……」


 みるみる真っ赤になっていくリュシエンヌの顔を、正面から覗き込んだ。


「リュシから聞かされた話は何だったのかと思うくらい、本当になんともないよ」


 セレーネに聞こえないよう小声で囁くと、リュシエンヌは信じられないといった表情で俺とアレシアを交互に見た。

 しかし、件のアレシアは人に囲まれていて、ほとんど姿が見えない。


「えーっと、ふたりとも?」


 セレーネがわざとらしく口に手を当てて、咳払いの仕草をする。


「あの、ここが図書館だってことお忘れ? いちゃつかないでくださーい」


 からかうように二人の間に割って入り、真っ赤になっているリュシエンヌの手を取った。そのまま顔をこちらに向け、嬉しそうな表情で俺の肩をポンポンと叩いた。


「何があったか知らないけど、ずっとリュシの元気がなかったの。とりあえず、許してあげるわ」

「え、許す?」

「そうよ、許してあげる」


 突然のセレーネの言葉に狼狽えていると、ずっと黙ったままでいたリュシエンヌが吹き出した。釣られるようにセレーネも笑っている。

 やっと、いつもの空気に戻った気がした。俺自身の不安も、アレシアを見て吹き飛んだ。

 辛い思いをしたリュシエンヌが、そう簡単に安心してくれるとは思わないが、考えていたより早く、二人のことは解決するのではないだろうか……。


 左胸のポケットに入れた封筒を、強く右手で押さえる。

 あとは、ここに書かれている俺の暴言を読むだけだ。正直、今はこれが一番怖い。


「はいはい皆さん、お静かに!」


 いつの間にか、街中のように騒がしくなっていた館内に、グレイス館長の声が響いた。集まっていた人たちは動きを止め、アレシアは一瞬だけ安堵したような顔を見せた。


「皆さん、ここは勉強をする場所ですよ。お話がしたい方は別の機会になさい」


 グレイス館長がパンと大きく手を打つと、周りの人たちは元居た場所へと戻っていった。ぽつんと取り残されたようになってしまったアレシアが、照れ笑いのような表情を浮かべている。


「では、セレーネ・マルセル」

「はい!」


 セレーネは向きを変え、姿勢を正した。


 そうだ、館長はセレーネに用事があってここに来たんだ。

 リュシエンヌの話だと、これから彼女に案内を頼むはず。


「あなたはこの館内に詳しいわね。アレシアを案内してあげて」

「はい、わかりました。グレイス館長」


 指名を受けたセレーネは、リュシエンヌと俺に向かって小さく手を振り、アレシアの横へと並んだ。二人は互いに挨拶を交わすと、そのまま廊下の奥へと進んでいった。

 去っていく二人の背中を、リュシエンヌはぼんやりと見つめている。


「はあ、なんとか終わった。リュシ大丈夫かい?」

「……うん」

「実は、昨晩父から、『図書館に王女アレシアが来るから早めに行っておけ。館内を案内してさしあげろ』って言われてたんだよ」

「えっ大丈夫なの?」


 リュシエンヌは、申し訳なさそうな表情で眉を下げた。


「だって、大事なのは君との未来だ。なんてことないよ。いくら当家うちがこの図書館を管理してるからって、そんなに気になるなら父が案内すればいいことだ」

「まあ」

「それに、さっき言ったこと本当だから。君が世界一だよ」

「んーーーーーー」

「しーっ」


 動揺したリュシエンヌは、自分の口を両手で押さえた。

 この事態になるまでの彼女はあまり顔に出すタイプではなく、俺が好きだと言っても「ありがとう」と微笑む程度だった。

 今はわかりやすいくらいに照れてくれるので、少し嬉しくある。

 そんな状況ではないと頭でわかっていても、反応が可愛くてからかいたくなってしまう。


「さてリュシ。俺はセレーネが戻ってきたら家に帰ろうと思ってる。|を早く確認したいからね、その後は一人で平気かい?」


 胸ポケットから封筒をちらりと見せると、リュシエンヌは何度も頷いた。

 アレシアを好きにならなかった時点で、婚約破棄なんていう最悪の可能性は、ほぼゼロになったと思っている。

 だからこそ、早くこの封筒の中を確認したい。

 きっと大丈夫。数日後には、婚約破棄証明書なんて破り捨てているはずだ。



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