第3話

 蠢く配線の束に、電力が過剰に出力されていた。

 その触手のようなものが、階層をゆっくり下がってくる。

『答えろ……』

 うねるような動きは、炭燈楼上層から降りてきていた。

『答えろ……』

 人々の目に留まらずに。

 静かに、それらは空間から人々や祇を侵食していった。




 楓は帷乃裏(いのり)と言う人物について調べていた。

 身元は、不明。

 だが、父は元巡査で未婚、母親不明のまま、彼が生まれた記録がある。

 七歳の時に何者かに自宅で襲われ、父は死亡し帷乃裏は生死をさまよっているところを緊急隊員に発見され、病院で命を取り留めている。

 四回里親を変え、二人が行方不明の暴徒により殺されている。

 高校卒業後、自衛隊に入り二年で除隊。そして融孝社(ゆうこうしゃ)という空間デザイン会社に入社。

 帷乃裏は会社での評価などは表に発表されていない。

 融孝社自体が、人員だけの仮設会社だという可能性が高い。

 炭燈楼への侵入経路は、天井関係者への膨大な賄賂である。出処は不明だ。

 そして、それらが全てデータ上のものでしかないと見抜く。

 楓は息を吐いた。

 結局、鬱陶しいという結論しかでない。

「あー……」

 楓は据わった目で、彼方を眺めながら電子タバコを吸う為端を見詰めた。

「……ミーナ、ゲームするか」

 完全にぼんやりていた為端は、ベッドで丸くなっていたミケタに声をかける。

「する」

 眠そうにしながら淡々と答えて、電子ボードを浮かべる。

 だが楓がすぐに掻き消した。

「待ってよ。結局あの空間の敷き座に祇が降りたよ? あんたどうでもいいの?」

 不機嫌丸出しで、ペットボトルのストローを咥えながら言う。

「あー、あんな雑魚の小細工、知ったことか」

 ぼんやりとした表情で煙を吐く為端。

「おい、はじまってんぞ?」

 ミケタが何時の間にか再起動させたゲーム画面を前に、為端に言う。

 チーム制バトルシステムで、さっきよりもランクが高いステージだ。楓が黙っていると二人は早速初めて為端は秒で倒されていた。

「何してんだよ、雑魚!」

「……いつ俺がゲーム上手いと言った?」

 復活した為端のキャラはすぐにミケタの射線に出てしまい、同志撃ちでまた死んだ。

「……ホント、下手過ぎ。飽きたわ。あれだけ自慢しときながら」

 ミケタはゲームパットを為端の顔面に放り投げた。

 鼻の頭を赤くしながらもヘラヘラしていた為端は、一人で続けると三十秒と掛からず敵チームを圧倒して完勝していた。

 茫然とするミケタを横目に、煙の残りを吐き出す。

「ガキのお遊びだし」

「へぇ……いいツラしてんじゃねぇか、おっさんが」

 ミケタは為端の鼻を思い切りつまむ。

 その手に加熱式で熱を持った電子タバコを触れるかどうかで、ミケタの身体は左右に揺れる。

 少女が弄ばれている間、楓はそれとなく別班と連絡をつける。

 報告とこれからの指示だ。特に帷乃裏に関して。

『帷乃裏は二年前に炭燈楼に出現した。それと、ミケタについて調査したところ、一つの魂があらゆるモノについた一種の付喪神だ。彼女本体を確保している以上、価値はある。以上、二つの不覚的要素につき、第二上野エリア三十八東を重要点とする。援助下においてモデル105を使い、接収作業に従事せよ』

『了解』

 つまりは、別班が接収するというのだ。

 ちらりとミケタをみて、軽く唸る。

「……どうした?」

「ガぅ!」

 いきなり吠えられ、ミケタは目を丸くする。

 思わず楓は腹を抱えて笑ってしまった。

「……どいつもこいつも……もう知らん!」

 顔を真っ赤にして、ミケタはベッドの中に飛び込むように潜り込んだ。

「・・・・・・ねぇ、いい加減腹んなか見せなよ?」

 足の裏がもろに布団からはみ出ているミケタを放って置き、楓は軽く細めた目で為端を見た。

「腹の中ねぇ。俺はおまえらをたまたま拾って巻き込まれた側だぜ?」

 為端はヘラリと笑んで見せ、ゆっくりと電子タバコの煙を吐く。

「その割には大事にしてくれるじゃない? あんた実は過保護だろ?」

「良い奴に出会っただろう、迷子の子と家なき子」 

 歌うように鼻を鳴らして当然のような表情をする。

「…………東雁コーポレーションの社長を誘拐したの、あんたでしょ?」

 為端は眠そうなまでに細めた目で、無言のまま、先を促した。

 楓は電子ボードを彼の目の前に浮き上がらせる。

「……社長なんて役職、今更お飾りなのにこっちに持ってきてどうするつもりなの?」

 うっすらと優雅さまで漂わせた楓の声だった。

 ボードを軽く指先で差すようにつつく。

「お飾りが、看板まで持ち去られたんだって」

「それは黙ってられないかもしれねぇなぁ。だが、だからどうしたという感じだわ」

 為端は、で? という顔で先を促した。

 電子ボードには、青年といって良い男が棒状の轡を噛まされ手足を縛られ寝ころんだ姿と、脇に少年少女が拳銃を持って立っていた。明朝体で「東雅基錠(とうがきじょう)」、十億ドルを要求する」と、派手な黒と黄色の文字で書かれていた。   

「……へぇ」

 為端の表情に変化はない。

 ただ煙を吐くばかりである。

「これ、ウチが踏み抜いたというミーナの空間と何か関係あるの?」

「後付けでな」

「つまり、なにがあった?」

 きつめの口調で聞く。

 電子タバコのけむりをくゆらせながら、為端は下らなそうなやや苦くなった顔をサングラスで隠した。

「専門家っていてな。俺は地上で暗殺を専門にしてたが、炭燈楼では多少勝手が違う。コミュニティの斗空は元からこっちに手を伸ばす腹でいた。俺はその前に炭燈楼に勢力を作ろうとしてたんだ。エリア三十八東に拠点を造ろうとしてた。知らなかったが、炭燈楼には電磁嵐ってのが時々、吹くのな。それで、空間が弱まった時、会いたくもない奴が出て来たんだよ」

 楓は聞いている間、一瞬だけ眉間を軽く寄せた。

「……なにそれ? 予想というか聞いていた話を総合したのと、全然違う事態みたいなんだけど?」

「炭燈楼ファイル、おまえも持ってるだろう?」

 それは、正式には『東京上層部局調査報告No・6号』というものだ。

 楓は頷く。

「そう、それの事件番号七七七だ」

 電子ボードから入力して、ズラリとした文字列と幾つかの図に写真が映る。 

 写真は柔らかそうなボブの髪は赤銅色に輝き、青い目をして丸顔の少女のものだ。

 マネキンのように無機質で、十七歳と書かれている。

 事件は大部分が黒塗りで何も把握できないが、赤い殴り書きをするかのように、『祇殺し』と斜めに文字が走っていた。

「あーーーーーーー!」

 肩越しに覗いてきていたミケタが目を剥いて声を上げる。

 耳元で叫ばれた楓は思わず反対方向に身体を振った。

「こいつ、コイツの目、憶えあるぞ! 私が築いた園を崩壊させた奴だ!」

「へぇ。よく生きてたな、ミーナ」

 為端は何でもないかのように、ボードをサングラスの奥から眺める。

 電子タバコの煙を吹き上がるがままにしていた。

「コイツは、過去、不忍池にバラバラ死体を放り捨てたことがある奴だ。捕まったがなぜか裁判無しで裏から釈放されて、炭燈楼に上った。ウチの業界じゃ有名だぜ。維乃裏としか名前がわかってない。一説じゃ日本人じゃないとかいう噂もあるな」

「あんた、以前コイツと会ったってこと?」

「そういうこった」

「あの時、そんな様子じゃなかったけど?」

「俺は或維衆の潜行部隊を追ってたんだよ。コイツはその一員だ。こいつらが俺を或維衆から追い出す理由にもなった。大体、潜行部隊はロクに連絡がとれねぇ」

「へぇ……」

 楓は思うところ有りそうな表情で、目を宙にやりながら頷いた。

 為端は鋭い視線を感じて目をやった。

 据わった顔で彼を睨みつけているミケタがいる。

「……つまりは原因は貴様でもあるということか?」

「頭悪いな。原因を潰そうとしたんだろうが」

「貴様らの争いなど、私に関係あるか!」

 怒りのままにミケタは叫ぶ。

「俺にキレるのは自由だけどな。維乃裏は俺が消えようが帰ろうが、おまえを追ってくるぞ、ミケタ?」

「どうして私を」

「知らねぇよ。俺だってたまたまだったんだから」

「とか言いながらミーナを狙うとかなんか詳しそうじゃない?」

 楓がストローを咥える。

「或維衆のが関わってるからな。あいつらやけに自尊心が高いんだよ」

 ふくれっ面のミケタに機嫌が直る様子はない。 

「……ただねぇ、ミーナ、あなたは今、どうやって存在しているの?」

 ペットボトルから神経活性剤を取り込んだ楓は、疑問を口にする。

「貴様たちの身体要素に寄っている。二人の内部構造内で私はできているが?」

「そのウチたちが、これでもかこれでもかと、追い詰められてるのよねぇ」

 ミケタが黙った。

「挙句ねぇ。この為端とかいうバカタレのせいでミーナの本来の『空間の座』までが奪われかけている可能性があるのよね」

 『空間の座』とは、空間の支配者としての権利のことだった。

 言われて鋭い視線を向けた少女に、為端はそっぽを向いて電子タバコを咥えていた。

「だいたいさ、為端。あんたが使った祇、あれなに?」

「ウチの隠し玉」

「聞いてない」

「言ってない」

 楓は、溜め息を吐いた。

「まぁいいわ……」

 疲れたように言ったが、すぐに切り替えた。

 すでに楓の表情は真剣だ。

 ころころと感情が変わる。

「見てて。為端が放り投げてきた空間で祇降しが始まるよ」

 二人が彼女の手元の電子ボードを覗き込む。

 そこにエリア三十八東の立体的な画像が浮き上がり、天が渦巻いていた。

 光りが幾条も差し込み、まるで降り注ぐようにゆっくりと円柱のようにぶら下がる。

 それは、逆さに吊るされてそのまま下げられてきた巨大な人の姿にも見えた。

「……おい……待て、こ奴らは我が眷属だ!」

 ミケタが驚き、怒りを込めて声を上げる。

 為端と楓は困惑気に顔を見合わせた。

「……ゆるせん! あの場は私の場所。私の場所だ!! しかも元とはいえ、我が眷属をこのような目に合わせるとは!!」

 ミケタは駆け足でドアの外に出て行った。

「ミーナ!」

 楓が呼び止めるが遅い。

「何で見せた?」

 電子タバコを咥えて、為端は立ち上がった。

「深い考えはなかった……あんなに反応するなんて。天井から落ちてきた時も眷属攻撃してたし」

「……随分と醒めてるんだな、表面と違って。だが認識は表面的なものだわ」

 言ったあと、あー、と煙を吐いて一人で納得する。

「だから、『踏み抜け』れたのか」

「何が?」

 一転して不機嫌そうな楓だった。  

 ふと、空間の異常に気付いた。

 部屋の天井が渦巻いている。

 脳内の一部が光を照らされたようになって、残った部分が鮮明な影になる。

「これは……どうして俺までが……?」

 為端は眉を顰めた。

「ああ……不思議じゃないねぇ、コレ」

 楓は、どんどん自己が光に侵食される中、納得したように言った。

「おまえもか……だが、おまえは二回目……」

 訝し気に、為端は楓をみつめた。

「ミケタの一部がまだあの空間に残ってるんだよ。ウチらはミケタの構造の一部。リンクしてても不思議じゃないってことね」

 為端も眷属化しているというのに、淡々としている。

「じゃあこれは……? つか、今、ミケタは?」

 楓は答えなかった。



     

 楓は空間の街の中に為端を追ったが、途中で彼は足を止めていた。

 為端の立つ目線の先には、茫然としつつもとぼとぼと歩いているミケタの姿があった。

 確認する。

 エリア三十八東は閉鎖された。 

 第六条、祇は祀られ無ければ鬼と化す。第七条、祇のいる空間を異界と呼ぶ。第八条、人間世界と接触する祇の世界は異界と呼ぶ。 

 このうち、第七条と第八条が当てはまった。

 問題は第六条である。

 「鬼と化す」

 為端は電子タバコを口に咥えていた。

「……何ということだ……」

力なく呟き、だらりと天井を涙の滲んだ眼で見上げる。

 彼女の気持ちも楓にはわかる。

 ミケタにとって、鎮座していた空間が全てなのだ。

 存在意義も、多利感情、充足も、日々の他愛のない出来事も。

 あの空間が全てなのだ。

 第六条、祇は祀られなければ鬼と化す。

 わかってはいるが、楓は絵の長い短刀を両手に二本持っていた。

 だが、何時まで経ってもミケタの姿に変化はない。

 その代わり、通路の奥から物理的な圧力のある何かが出現して、ゆっくりと近づいてきていた。

「……お出ましですぜ、我らがお嬢のお迎えが」

 相変らず為端はだるそうに口だけ笑みを浮かべていた。

 その時、ミケタが袖の奥から小型の楕円状のものを取り出し、通路の天井や壁に幾つも張り付けた。

 空間が歪むのを為端と楓は肌で実感した。楕円状の機器のせいだ。

 第七条、偽のいる空間を異界と呼ぶ。に当てはまる変化だった。

 だがすでに異界になっていたはずだった。

 小型の干渉器は、ミケタに影響を与えた。

 いつの間にか、「何か」の気配が消えていた。

 ミケタの小さい身体が震える。

「おまえ、何をした!?」

 為端が思わず声にする。

 向けてきた目は充血して真っ赤だった。

 リュックから機械の腕が飛び出した。

 奇妙な形のサブマシンガンを持った機械の腕が、為端と楓に向けられる。

「……そういうことか」

 小さく、ミケタはつぶやいた。

 機械の巨大な腕の動きが止まる。

 ミケタは、流れてきた鼻血を吹きもしなかった。

「おまえ、取り込んだな?」

 為端は眉間に皺を寄せてサングラスの位置を指先で整えた。

 両手を拳銃のグリップに添える。

「どいつもこいつも勝手で困る」

 ミケタはだらりと機械の腕を垂らし、失笑したようだった。

 楓にはミケタが何をしたかわかる。

 自身に取り込んだ眷属によって、第七条の項目の亜種を造り出したのだ。

 ここにいるミケタは祇ではない。

 しかし、空間を作った眷属は存在する。

 眷属を持つことにより、ミケタは偽祇として君臨したのだ。

 どの条項にも当てはまらないものだった。

 大体、認識規定自体が、祇を認識する為だけに造られたものだ。

 製作者が炭燈楼に出向いたことがないための、限界だった。

「油断するな。来るぞ?」

 ミケタは言った。 

「来るって何が?」

 楓は聞き返した。

 血の涙を拭いたミケタは、何を今更という表情をした。

「私の眷属経由で、空間を乗っ取ろうとした存在だよ」

 赤銅色の髪はボブで後ろに縛り、青い眼には嘲笑を浮かべて、大きなパーカーに両手を入れて下にハーフパンツをはいている少女だ。

「……生き残り、みっけ。ここにいたか」

 淡々とつぶやくように言う。

 データを洗う。

 すぐに稀宇(きう)という名がヒットする。

 同時に炭燈楼で呼ばれている名前も。

「祇殺し……」

 楓が思わず口にする。

「ご名答。せっかくなので何か景品でもあげたいけど、生憎手持ちのものがなくてねぇ」

 感情の混ざらない声で希宇は言った。

 感性拡張剤が入った浸透圧注射を細い首の横に打ち、一瞬の痙攣とともに息を吐き、青い目の光りを異様にランランとさせて三人をニヤニヤとしながら睨みつける。

「現れたか……」

 為端は口だけで笑み、サングラス越しに相手を眺めるようにして、電子タバコの煙を吐いた。

 希宇の背後から、装飾された手斧を両手に持った金属でできた人のようなものが現れる。

 アウトフレームだ。

「ああ、丁度あんたに話があったんだ」

 希宇の青い目に殺気が灯った。

   

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