第2話
モノといわれていた物がいる。
天上層に行くほど、それは顕著になりモノと物の境界線は薄くなる。
空層と公式名がついている「炭燈楼」は、日本が一時アジアの最も衰退した時期に造り上げられていた。この、国が空中を商品として売り出したのが混乱の元だった。やがて買い手造り手が様々に入交り、やがては把握不能な空間へと成長したのだ。
幾年もたち、人々は炭燈楼の異常さをやっとわが身として実感しはじめた。説明不能な現象や存在が現れ出したのに対し、それらを便宜的に「神」や「祇」と名付けた。その行動原理は研究対象にされ、神道工動学という分野が生まれた。
それだだけではない。炭燈楼の発達により諸企業が子会社を使って乗り込み、財界の逃避地・実験地として育った経緯といった民間の事情もある。
炭燈楼は現状、政府や人々の意の及ばない複雑な背景をもつ、繊細な物理的電子空間だった。
斗空はぼんやりとベランダで電子タコを吸っていた。
このビルは生き残ったが、上野の一部はかなりの惨状である。
何しろ、炭燈楼が一部崩壊して落下してきたのだ。
自衛隊の復興部隊がいたるところに見える。
部屋に、災統合任務部隊の陸将を待たせていた。
もう一人、グレーの制服を着た若いというか、ボブをポニーテールにしたまだ少女と言っても良い人物もいる。
斗空は部屋に戻った。
「……お待たせしました。東京の惨状は予想を上回っていますね」
応接間の彼等に帳面のソファに座る。
「あなた方の協力はわが方としてはありがたいですよ」
陸将は硬い表情で言った。
「いえ、とんでもありません。ところで今回は復興ではなく、都市改造計画と聞きましたが?」
「我らの提案を国が飲んだのです」
凛とした少女が、即座に答えた。
彼女は八丈島のさらに南に位置する涼戒島の人間だった。
そこには、アメリカと日本が合同で作ったОSこと「環太平洋連絡議会」という組織の本拠地がある。
「これは、椋悠(りょうゆう)中尉」
椋悠は涼戒島で生まれ育った生粋のОS人員だった。軍階級をもち、中尉である。
澄んでいると言っても良いほどに醒めた青い瞳を持っていた。
「あなたがたもご参加ですか」
「もちろん。日本国土の危機ですからね」
「あなた方ОSが都市改造計画を持ち上げた経緯は?」
「炭燈楼は無秩序に成長しています。我らもそろそろあの無法地帯に首輪を枷たいんですよ。もちろん、日本政府の意図の元に」
スラスラと言葉が出てくる。。
ОSはアメリカでも日本でも嫌われている存在である。
日本とアメリカに寄るアジア拠点というОSは、設立後、両国の利権荒しによる洗礼を受け、治外法権を持つ独自路線を貫く極右思想の成れの果てなどと言われていた。醜聞もたっぷりとある。
加えて彼等は妙な特権意識のプライドをもち、優性思想の牙城ともいわれている。椋悠のような反応は一般に思われているОS人員そのものともいえた。
「日本政府も空層の炭燈楼という存在は国の形骸化をもたらすと懸念しているはずと認識しています。今回はそのために、炭燈楼と地上を直結させるインフラストラクチャーを行う所存です」
斗空は苦笑いを押し込めた。
一体、日本の誰が懸念しているのかまったくわからないが、ОSの意向は理解した。
自らの権力の及ばない炭燈楼に介入するつもりなのだ。
ところが出張ってきたのが、椋悠という少女だった。
噂の存在が動きだしたのだろう。
ОSには優生思想があり、その一端として子供のエリート教育に力を入れていた。神工学の影響を受けた人間への応用の結果だ。
組織内には、幼年からの情報工作員・特殊作戦員育成がある。
その統括部を第零課遺祇統括機構と言った。
年代的に彼等が育ってОSの主流を務める段になり、零課の発言権も増してた。
だが反動勢力も強力になってきた。むしろ、遺祇統括機構出身が押され気味なほどに。
遺祇統括機構人員と遺祇統括機構のトップらは中間を飛び越して直接に結びつた歪な存在となり、今度の動きとなったのだろうと、斗空は考えた。
「賛同しましょう。私からも提案があります。椋悠中尉には、我々のカバー下での活動をするというのではどうでしょうか?」
椋悠の目がかすかに細くなった。
斗空は微笑みを浮かべる。
「もちろん、こちらは何も要求しませんし、介入もしません。ただ日本の保護者たるОSの方が動きやすいように使える道具を提供しようというものです」
「感謝します」
微笑みを返し、椋悠はうなずいた。
腹の中では嗤っているようだが。
「あなた方が動き出すまでどれぐらいですか?」
「部品を空輸すれば、後は組み立てて設置するだけです。接続だけなら一週間もかかりません。そこから土台をつくるのでせいぜい一か月ですか。日本の東雁コーポレーションの協力もあります」
内心で斗空は驚いた。
早すぎる。
工日としても無茶がある。
少なくとも元々炭燈楼に介入する計画は既にあり、準備だけはしていたのであろう。
「一つだけこちらの願いがあるとすれば、現在炭燈楼に破門した者が逃げ込んでいるのでその処理を頼みたいのですが」
「お任せください」
終始、陸将の鹿等目(からめ)が苦い顔をしている。
当たり前だろう。
自分の指揮下で復興しようとしている地域に、ОSを引き入れるなど敵に領土を渡すのと同義だ。
「陸将閣下にも、地上の安全を万全に尽くしていただきたい」
「もちろんですとも」
鹿等目は力強く即答してうなづいた。
椋悠はと言えば、日向依葉の死に同情する言葉を述べた。
斗空は頷いただけだ。
会談は終わり、斗空は部下に幾つか命令を出した。
処分しようとしていた時に炭燈楼へ姿を消した為端を本格的に狩る時がきたのだ。
彼の監視班の一人をようやく捕まえたという報があった。
為端が消えたと同時に、彼等も姿を隠していた。
鹿等目は百人態勢で彼等を追っていた。
ことごとく消えたのだ。
舌打ちしても足りなかった。
楓は、しばらく動こうとしなかった。
炭燈楼エリア二十二東にあるマンションの一室。
その間、為端がミケタの相手を強制的にやらされていた。
主に対戦射撃ゲームで同じチームを組むのだが二人とも初めは下手過ぎて、すぐにミケタが罵倒の荒しを起こす。為端は負けるたびにぼんやりと無言だった。
今では、為端のキャラはゲームランク最上位に位置し、少しは上手くなったミケタをサポートしつつ一人で相手チームを即、全滅に導いていた。
だが、新しいランク戦は猛者がゴロゴロしていて、赤子の手をひねるように簡単に倒されていった。
「……いい加減飽きたんだが」
為端はリベンジを求めるミケタにぼやくように言う。
「いいから! やるぞ!」
ミケタは据わった目で暗い表情を電子ボードの光に照らし、頭が沸騰しているかのようだった。
どうやら、自棄になっているか相当な負けず嫌いらしい。
「……おまえ、祇だよな。だったら電子で作られているクセに、何での程度のままなんだ? 成長がないぞ? 経験から認識をアップデート出来ないのか?」
素で為端は疑問を口にする。
「うっせぇよ! 今はもう抜け殻なんだよ、黙れボケ!」
「来たよ」
二人がコントローラーを握った時、ペットボトルのストローを咥えぼんやりと光子ボードを弄っていた楓が声を出した。
タイミングの良いところで発せられた言葉に二人は視線を送る。
「ミーナが落ちて隙間になった空間に、侵入してきたモノが来たよ。コイツを使おうか、さぁ」
楓はペットボトルを片手に為端を指をさした。
「……さぁって?」
「この中で戦闘要員になるのは、あんたぐらいよ」
「コレは?」
為端は無言で力の入れていない手でミケタの背を押す。
「使えない」
「あー!? 失礼だろう!? もっと言い方あんだろう、オイ!?」
ミケタが叫ぶも無視して、そういう事かとつぶやいた為端は立ち上がった。
「んー……祇相手は初めてだけどなぁ。まぁちょっと手合わせしてくるか」
「ナビはこっちでやっとくぴょん」
楓は気楽な調子だった。
玄関口へと向かった為端は部屋を出て行った。
気付くとミケタの姿もなかった。
「あー、まったくもう……」
楓は仕方ないと、頭を掻いた。
サイドを刈ってラインを入れ、柔らかな髪を上から目の上まで垂らし、細い身体の腕には幾何学模様のタトゥー、シャツは白でハーフワイドパンツという顔を隅で塗った男は半壊した空間を眺め、鼻を鳴らした。
彼は新たな空間づくりのためにまず容易そうな半壊したここを選んだ。
第二上野エリア三十八東。
静かな場だった。
壁や足場だったものがいたるところに残って、他の空間が亀裂を大きくしたような空中の気配が薄い煙とともに覗く。
静かすぎる。
不思議なことに声一つない。炭燈楼内の空間である。通常ならば、足跡声痕一つもあっていいはずだ。
これは、圧殺されたか。
納得して彼は腕を伸ばし指先を弾いた。
途端、立っていた床が盛り上がると辺りの破片が集まり、まるで突入してきたように巨大な顎が現れ、長く太い鱗をまとった胴体が続いた。
風があらゆるところから吹き流れ、廃墟の残骸だった空間に道路とビルや看板、黒い蠢く巨龍を構成させる。
好調子である。
龍は身体をくねらせながら空間を泳ぐように舞った。
その鱗粉状の光から、高いビルやそれを繋ぐ橋などが構築される。
「・・・・・・公開するかぁ」
まだ、現状は炭塔楼住人には知られていない。改造途中は閉鎖空間である。
「まだ早い」
声がした。
ビルとビルを渡す橋の欄干に腰をかけた人影があった。
侵入者だ。
癖のある髪にサングラスを鼻にかけ、ジャケットから長いシャツの裾を風に流し、ワイドパンツの脚を組んでいる。
口には電子タバコ。サングラスの上から覗いたやや垂れ目が、小馬鹿にするような色を浮かべている。
自動検索で相手が何者かわかる。
或維衆の桐為端。下っ端のコミュニティ契約員の一人。先日破門相当処分を受けている。
「嬢ちゃん、ちょっと付き合ってもらうぜ?」
為端が言うが、少女は無視した。
雑魚がどうやってここに現れたのか。
侵入経路は、ある構造破片の一つからとでる。
ならまず退路を断つ。
少女は破片についたままの経路を封鎖した。
ガシャリと、妙に響く金属音が空間内に鳴った。
「あーあ。逃げ場がなくなったよ……」
為端は、電子タバコを挟んだ指の腕を軽く掲げた。
「残念だねぇ」
「……おまえに手間がかかるってことがなぁ」
為端は欄干からそのまま飛び降り、次の橋に着地すると、男の立つ龍の鼻先跳んだ。
場は楓の言う、「第八条、人間世界と接触する祇の世界は異界と呼ぶ」に触発していた。
龍が顔を振り、顎を大きく開けて乱杭歯を晒す。
着地しようとした為端をそのまま飲み込もうとする。
すぐに、歯の一本を蹴り、ビルをサイドを盾にした左に移動した。
突撃した龍は尾で高架道路を破壊して、空間に暗い穴をあけた。
その時だった。
真っ黒な穴の向こうに小さな灯が現れたかと思うと、耳をつんざくような高い悲鳴が起こり、男の意識が急に恐怖に襲われた。
楓のいう「第七、祇のいる空間を異界と呼ぶ」という現象が起こった。
彼は左右を振り返ってから、降りかかった感情の元を探す。
穴の中から、巨大な血の滴る鉈を両手にぶら下げたワンピースで髪の長い少女が明かりを一つ一つ灯しながら、こちらに近づいてくる。
その距離が縮まるほどに、恐怖が増大してくる。
総毛立つ。
いや、侵入して意識をし侵食してくるのだ。
これは人間の内部に対する、一種の空間構築と言えた。
感情を押し殺そうとしても、操作が不能になるほどだった。
身体の一部に、「それ」がすでに埋め込まれて一体化してしまっている。
混乱した頭の隅で、意識を恐怖から別のところに構築しよと思いついた。
身体は震えがとまらないが、思考を別物とした途端に風景が澄んだ。
だが、そこでは為端の姿は捕えられなかった。
恐ろしい感情が、別にした意識に穴を穿ってゆっくりと侵入してくる。
「……なかなか賢いじゃないか。面白いよ、考えている相手は読みやすくて好きだ」
気付くと声は耳元で起こっていた。
目をやると、長いバレルと分厚いハンドガードの巨大な拳銃が、こめかみに当てられていた。
無意識に冷静な思考に意向して、瞬間にしゃがんみ、素早く転がり退ける。
拳銃は発射されずに、冷静な意識に意向した帷乃裏には、再び為端を補足できなくなっていた。
眼前に、少女が鉈を振り上げて立っていた。
とっさに、肩から金属のアームを伸ばして、曲げた上腕で受け止める。
高い音がなり、軽く火花が散った。
帷乃裏から剥がれるように鋼鉄で出来た人型の機械だ。しかし、その姿は鬼をおもわせる。それぞれに返しの刃が付いた四節棍を手にして少女に向けて叩きつけようとした。
少女は後ろに退いて、伸びてくる棍を打ち払う。
じゃらりと先を地に落とされた棍だが二節めがうねるように彼女を襲う。
靴を履いた足の裏で受け止めて再び退く。
巨大な銃声がして、彼女の足元に大穴が開いてバランスを崩す。
同時に少女は脳内でボタンを押していた。
為端目指して、いつの間にか現れていた二匹めの巨龍がビルの間を走るように泳ぎ、破壊と爆発を空間内で連続してきた。
彼は、横に跳躍した。
巨大なハンドガンを放つ。
轟音と共に放たれた弾丸が、龍の顎に当たり、身体を丸めるようにくねらせる。
だが、一回天すると、また彼に向かって来た。
「……これはまた……意外と面倒だなぁ」
為端は真上に飛んで、橋の欄干を手に握ると身体を回転させて着地した。
男が立つ龍の顎が追ってくる。街の構造物を破壊しながら。
その口の中から鬼のようなアウトフレームが飛び出し、為端に四節棍を振るう。
為端は二節目を拳銃で叩きつけ、手元に弾丸を見舞う。
手首は吹き飛び、肩からのけ反りかけるが、すぐに空間の塵を使って再生する。
一方の帷乃裏は、恐怖で逃げ出しそうだった。
別意識で考えまくり、急に彼は哄笑した。
少女の動きが止まる。
恐怖を嗤いに変換したのだ。
男は楽しそうに嗤い、両腕を広げた。
少女は暗い穴に姿を戻した。
為端はアウトフレームの懐に入って、頭部を踵で蹴った。
それでも棍の三本目を握って刃付きの第一棍が襲ってくる。
拳銃で正確に打ち砕き、同時にアウトフレームの胴体に四発弾丸を見舞う。
アウトフレームはボロボロになりながらも同時に再生を初め、その周りから小爆発が渦巻いた。
構築された街がアウトフレームによって半壊される。
ギリギリでその中から飛び退いた為端は、拳銃を男に向けて引き金を引いた。
突然に男の前に壁ができて弾丸が吸収された。
アウトフレームの腕が二本増えて、それぞれに刀と斧を握って為端の目の前に着地した。
刀が振るわれ、拳銃のバレルで受け止めたところを、腹部に向かって斧が叩きこまれる。
寸前に同じ方向に跳んだため、斧は空を斬った。
頭部と腰に撃って吹き飛ばし、為端は少女の穴の中に走り込んだ。
穴は閉じ、急に帷乃裏を襲っていた恐怖が消えた。
「或維衆のゴミめ……」
帷乃裏は再び哄笑した。
ただ、異様に疲れた。
どんな仕掛けかわからないが、突然起こった「恐怖」が原因だろう。あれは彼女の体内の構成物を使って巨大化していく。つまりは、身体を喰っていたのだ。
彼女は欠損部を補充しなければならない。
それはこの階層では無理だった。
「いずれ、痛い目に合わせてやる」
負け惜しみではなく本気で帷乃裏はつぶやき、階層から姿を消した。
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