炭燈楼の認識条項

谷樹 理

第1話

第一章

 幼さの残る、目を見張らんばかりの美女ではあった。

 ただ、彼女の雰囲気は尋常ではなく重かった。

 誰の眼にも肌にも伝わるほどだ。

 いつものように高校をサボって街をぶらついていた時だった。

 のちに「神の御柱の降臨」と呼ばれることになる、東京の中心部で大爆発が起こった。

 帷乃裏(いのり)は気がついた時、塵と埃に満ちて道路も凸凹になった廃墟の中心に倒れていた。

 身体の感覚はあまり感じないが、動かないためにどうなっているのかわからない。

 大体、何があったのかも理解できない。

 目の前に丸い白い小さな珠があった。

 いきなり吹き出たかのような「重い」雰囲気で、珠を掴んで口に含む。そのまま丸のみすると、再び意識を失った。




『一、祇はあまねく幾多の存在である

 二、祇は人や物の姿を取ることもある

 三、人間は個として中心である時に物がみえる

 四、人間は存在の中にあってこそ人間である

 五、人と人間は似て非なる存在である

 六、祇は祀られ無ければ鬼と化す

 七、祇のいる空間を異界と呼ぶ

 八、人間世界と接触する祇の世界は異界と呼ぶ

 九、人は祇とも呼ばれる』

光りだけで出来ている電子ボードに 書かれた文字に楓(かえで)は鼻で笑った。

 先月から今日まで出せと言われていた、新設の公安二課付き特別班でつかう「認識規定」というものの決定条項である。

 いかにも流されてきて半分死んでも死にはしない高級官僚のものだ。

 我々は人であるとでも言いたいのか。特別なモノだと。

 楓はせせら笑いかける衝動とともに、感じた怒りを押さえた。

 欲しいものは、こういうものではないのだ、と。

 ペッドボトルの蓋に貫通させたストローから中身を一口飲む。

 彼女は特別班の「協力者」として甘い手枷を嵌められていた。

 年は十七。左に垂らした目も隠れるように長い髪に比べると反対側は短い。ベレー帽をかぶり、タンクトップに網上のニットを重ね、スリットが大量に入ったフレアスカートの下にハーフパンツ、軍靴を履いている。小柄で、大き目の目は良く感情を映すが据わり、表情はどこか暗いところがあった。

 電子ボードを眺めていると、やがて文字の輪郭があやふやになり、渦めいて蠢きだした。

 何の作用かと、辺りの上野アメ横外れで辺りを見渡した。

 夕刻で人の数は天井の炭燈楼(たんとうろう)にも雑多に行き来している。

 場所が悪かったかと彼女は思い、電子ボードを消して不忍池方面に移動する。

 だが、一歩進もうとした身体が落ちた。

 いきなりで状況がつかめない。

 だが彼女は明らかに暗闇の中、落下していた。

 恐怖がどこからか沸き起こり、押しとどめようとしても押さえきれなかった。

 耳をつんざくような悲鳴。

 何故か視線が上空からの楓と重なった。

 落下しているのは、青いセーラー服の下に白のワンピースをまとった、白い肌の小さく細い少女だった。背中には大きなリュックを背負っている。

 楓は必死に腕を伸ばした。

 少女と手をしっかりと握る。

 彼女は、一瞬微笑んだようだった。

 楓の身体を長い袖が抱きこむように巻いてきた。

 視界が真っ暗になった。




 気が付いた。

 浮遊感があり、背中は硬い。

 目を閉じたまま、ゆっくりと手を腰の外側の下に持ってゆく。

 武器はある。

 薄目を開ける。

 「天井」が月や星の代わりに光りを灯し、辺りのビルは窓がまだ明るいところが多い。

 ボートの上だった。

 無断で繰り出したのだろう。

 男が一人、オールを脇にたたんだまま、電子タバコを吸って煙を吐いている。

 コンタクト(接合)・レンズがその姿を分析する。

 主要成分、酸素、炭素、水素、窒素。体脂肪率十一パーセント。金属率二十パーセント。意識潜入不可。公式名「桐為端(きりいたん)」、二十三歳。

 為端。憶えがあった。

 現、上野コミュニティである或維衆(あるいしゅう)の会長側近。

「……気付いてんなら挨拶ぐらいどうだ? まさか、有料とか言わないだろうな?」

 彼はそっぽを向きつつ言った。

 やや癖のある髪で薄い色の入った丸いサングラスをかけ、タイトで裾の長い黒い変形ジャケットの前を止めず、深い青色のシャツに黒と白のチェック柄のワイドパンツを履いている。 

「……おにーさん、誘拐犯みたいだから大人しくしてるの」

 楓はそのまま答えた。

 為端は面白くもないという風で煙を吐いて顔を向けた。

「ここらでちょっとあってな。おまえみたいのにウダウダされちゃ困るんだわ」

 つまり、楓を助けたということか。

「ちょっとってなに?」

 ゆっくりと身体を起こし、揺れるボートの上に座った。

「……つまるところ、おまえなんだが。自覚あるか?」

 じゃらりと金属を垂らした手首の先の指に挟んでいる成分が何かわからない電子タバコの先を彼女にさした。

「うち?」

 楓は、つい一瞬だけ眉間に皺を寄せる。

 眩暈がして、手をまさぐる。

 ペットボトルは脇にあった。

 帽子をかぶり直しつつ、布の束といってもいいフレアスカートの裾をなおし、ポケットから出した新しいストローで中身の液体を一口喉の奥に送り込む。

 脳髄が冷え、途端に肌は光りに敏感になり、意識が鮮明になる。

「時間ありそうだから何が起こったか教えてよ」 

 楓は辺りを見回しつつ、聞いた。 

 不思議と、ここだけ周りに比べて若干暗い。コンタクト・レンズには何の反応もないが。

「おまえ、踏んだんだわ」

 蔑むように為端は楓を見下ろす。

「踏んだ?」

「そうだよ……ミケタを、あっさりと踏み抜いた。落ちてくるぞ」

 空にある「天井」を示しつつ、軽く電子タバコをもつ手が回された。

 ミケタとは、「天井の炭燈楼」に存在している、第二上野周辺の祇の名前だった。

 二代前の都知事の方針で、東京の空は高架道路とそれに連結した建造物ですっかりと埋め尽くされていた。摩天楼に対抗しての意味が解らない単に響きだけで考えただろう造語の「炭燈楼」と命名された空間であり、プロジェクトでもあった。

「待って。なんでそんなに簡単に?」

「簡単だったなぁ」

 疑問だらけの楓に、為端は煙を吐いてうなづきをみせる。

 それだけだった。

「おかしいだろう?」

 思わず声を上げた時、薄暗い池の周りの空気が不自然に蠢いた。

 視神経と繋がったコンタクト・レンズが光子の遮断を脳に伝えてくる。

 天井の雑多な構築物が不気味に揺らめき、渦を巻き始める。それはだんだんと個々の塊に集約されて行き、ゆっくりと回転する漆黒の球体の形を取った。

 微風もなくなった池の上で、楓は無意識にペットボトルのストローを咥えて中身を吸っていた。

 「認識規定」第五、祇のいる空間を異界と呼ぶ、第七、人間世界と接触する祇の世界は異界と呼ぶの二つに接触していると、コンタクト・レンズが報じる。

 ペットボトルの中身のおかげで心臓が潰されそうにある感覚が消え、逆にどんどんと脈拍が加熱されていった。。

 球体が空を舞っていた。中央の何かに引っ張られるように。

 天を見上げた楓には見覚えがあった。

 青い髪の着物とスリットの長いチャイナ服を混ぜたような姿の小さな少女がその先にいたのだ。

 背を丸め、両手両足を上に伸ばしながら。

 球体の一つが輪を離れ、少女に向かって急降下する。

 他の球もそれぞれ続いた。まるで、餌に飛びつく鳥の影そっくりである。

 少女の身体が一瞬丸まったかと思うと、後ろのリュックからアウトフレームと呼ばれる金属製の二本の腕が現れ、カスタムのし過ぎで元の姿とはまったく違う不思議な小型重機関銃の銃口を近くの球体に向けた。

 銃声の爆ぜて空気を破る音が連続し、空間が揺れた。。

 リュックを破るように、少女の背から巨大な羽根が現れた。

 落下速度が急速に減り、薬莢が雨のように楓たちのボートに降り注ぐ。

 光球と思えたモノの一つが集中連射を喰らい、かき消えた。

 他は、泥で出来た翼ある人型になって、少女に迫るが、機関銃の餌食になっていった。

 残り一体というときには、少女は池の表面すれすれに浮かび、機関銃の狙いを付けていた。

 狙い、引き金を引くと、標的は粉みじんになって消滅した。

「ミケタ……?」

 楓は、疑問を発した。

「……楓というのか。お互い災難だな。ついでに言うと貴様、そいつに良いように使われかけているぞ」

 リュックに腕がしまわれ、水面に立つセーラーの上着の下にワンピースを着ている少女は見透かすようにして不敵に笑みを見せながら言った。

「どういうこと?」

「私は、落とされるように準備させられていた。いざとなって、たまたま落とした原因を作ったのは貴様だ」

 楓は黙ってミケタの顔を見つめてから、為端に目をやった。

 半目で気分良さそうに電子タバコを吸っている。

 楓は、これでも公安部の特別班の一員だった。

「そして、さっき空から追って来て散らしてやったのは、身辺に置いて置いた眷属だ。あいつら、炭燈楼で自ら自我を産んで独自に存在を始めている」

 眷属という能力の発揮先が独走しているというのだ。

 そこらは楓にもなんとなく想像出来た。

 だが、何故?

 再び、ぼんやりと向こうを向いている為端にちらりと目をやってからもどした。

「原因ってなによ?」

「貴様がネットを使っている時、丁度、私の結合はあらゆる部分を切断されて、新しいものを必死に求めていた、というわけだ」

「特別班は、祇殺しをするために設立されたんだってなぁ」

 ようやく、為端が声を出して続けた。

「だが、ミケタの眷属になったおまえは、果たして特別班にどう思われる?」

 楓の目が据わった。

 眷属になった、だと?

 そいて、気付いた。

 ミケタとのことは、為端が仕組んだものだと。

 或維衆は設立したばかりの特別班内に自分たちの都合の良い人間を作ったのだ。

 涼し気な為端に対して、楓はゆっくりと息を吐いた。

「私にもある意味、都合がよかった。今、炭燈楼の祇たちは錯乱していると言っても良い」

 ミケタは冷たく嗤った。

 髪を手櫛で整えると、また口を開く。

「貴様らには、私が炭燈楼に復帰できるように手伝ってもらう。良いかよく聞け、貴様らは私の物だ」

「ミケタ、焦らないでよ」

 楓は、目の隅で為端を捕えていた。

 これは呪いだぞ。

 表情で物語るミケタだが、為端のことを省いている。

 多分、プライドだろう。

「俺たちはこのガキに囚われたな」

 ワザとらしい口調で為端はミケタに聞こえるように楓に言った。

 楓は鬱陶しそうに、ストローから口に入った液体を脇に吐き捨てた。




 為端は或維衆の笛須コミュニティ本部ビル最上階の奥にある部屋にいた。

 錦糸町にある会長の執務室兼自室だ。 

 坐斗空(いくとくう)は目の前で机に肘を付いて、一見、機嫌が良さそうな雰囲気でいた。

「……これからは、うちのコミュニティもクリーンにしなければならない」

 三十二歳の斗空はゆったりとした口調で言った。

 為端は丁度、指令があった都議会議員の私設秘書を一人、肉塊にして焼いてきたところである。

「故暮(こぐれ)と話はついたのか?」

 現都知事の秘書官の名前だった。先程の私設秘書と一緒にいた者だ。

 ワザと逃がしたのだ。

「ああ。これでそう遠くない時にコミュニティから堂々と社を名乗れるはずだ」

「カエルの子はカエルで井の中にいたのに?」

「卑下ても何も出ないぞ。それよりも自己を認めることだ。やったことに対してもな」

 斗空は意味ありげに言った。

 机の引き出しから分厚い封筒を取り出して、机の上に放り投げるように置いた。

「しばらく良い海の見えるところにでも旅行に行っておけ。俺はこれから葬儀にいかなきゃならん」

 為端の気分は急速に変わった。怒りがわき起こる。

 斗空と言う人間を、為端は信用していない。

 シノギ相手にはまず、家族を襲うという手を繰り返してきた男だ。

 何度かあった県警の強制捜査の時、長く彼の為に働いてきた者をあっさりと引き渡したこともあった。

 弱い者には恩を与え、強気者には尻尾を振る、と物事を単純化したがる為端は思っていた。

 事実、彼は側近よりも第一線の若い衆のほうに面倒を見ることに力を入れていた。

 側近になると分家か粛清かという二者一択だ。

 この斗空の元で外注という形を取り、暗殺専門に一年半やってきたのが為端だった。

 彼がもし捕まったりへまをすれば、せっかく表舞台に出ようという斗空の目標が一気に瓦解する。

 放っておくわけがないのだ。

「……封筒をあと三つ」

 彼は淡々と言った。

 斗空は呆れたような笑いを見せた。

「……良いだろう。おまえは十分に働いてくれたしな」

 為端は、同じ笑みで無言のまま机の上に並べられた封筒を全てポケットに入れると部屋を出た。

 リビング風の別室に入ると、暇そうな若い男がゲームをやっていた。

「不瑞(ふずい)、おまえここを抜けたがってたな?」

「なんだよ、為端さん。このビル内でそういう事言ってもらっては困るんだがねぇ」

 この男の挙動には、一々ぶらっきぼうを装った演戯臭いところがあった。

「これで新しいコミュニティを作れ」

 為端はたった今貰って来た現金入りの袋を四つ、胡坐をかいた不瑞の脚の中に放り込む。

「この程度でどうにかなるとでも?」

 細い眉毛で鋭い目つきの不瑞が、不満丸出しにする。

「人員集めやらなんやらは、手伝ってやる」

 言うと、もうどうでも良いという様子でエレベーターに向かった。

 途中、斗空が出るという葬儀が誰のものか確認する。

 単に護衛に聞いただけだが。

 彼は、日向依葉(ひなたいは)のものだと答えた。

 下降するとき、珍しく乗り物酔いの気分になり、彼は無意識に舌打ちしていた。

 もう昼も終わる。

 やっと彼は今日何も食べていないことに気づいた。

 だが、食欲というものがまったく湧いてこなかった。




 錦糸町外れの炭燈楼エリア十階。

 軽快なジャズが流れていた。

 炭燈楼中にその場面がダダ流しされていた。

 少女が一人立っていた。

 顔に炭で乱雑な迷彩をして、俯き加減のコート姿。場所は十字通路の端だ。

 コートの中はタンクトップ。首に緩い首輪を嵌めて、細い鎖を幾本も垂らしていた。ミニスカートの下に分厚い生地のデニム素材でできた幅が太く七丈ほどのズボンを履き、足元は底の厚い部分がところどころ金属でできている。

 人がまばらに通り抜けるその通路だった。光りの線が通路向こうから踊るように跳ねながら何本も走りだした。

 その一本に少女が上げた右の手の平真ん中に当たる。

 握るとそれは角ばった拳銃の形に歪んだ。

 そのまま、向こうに構えて銃弾を撃つ。

 人々が悲鳴を上げてその場から散るように走り去った。

 少女は全弾発射すると、今度は広げた両手を光りの線に当てて再び中の形にした。

 二丁を真っすぐに構えて撃ちまくる。

 金属が弾く甲高い音が、銃声とともに鳴り響く。

 通路向こうで光りの線を幾条も伸ばし姿を現したのは角を一本生やして、野太い腕を垂らし背を丸くした巨人と言って良い姿だった。まるで鬼だ。身体の周りに、ギクシャクと曲がった鉄筋が乱雑なつくりの籠のように取り巻いていた。

「邪魔するでない!」

 空気の揺れにも似た声だった。

 顔に墨を塗った少女は哄笑した。

「堕ちたもんだ。堕ちたんだよ、あんたは。大人しくバケモノとしてくたばれ!」

「……貴様は我が眷属か。確かに、私は落ちた。このような姿になり果てた。だが、この先の地を獲れば、私は元の祇として君臨する。邪魔者は失せよ!」

 一人称が私となった鬼は動き出して、通路の十字路に足を入れた。

 男はポケットから操作器を取り出し、ボタンを押した。

 途端にエンジンの轟音が鳴り響く。

 十字路に立った鬼にたいして、左右から無人のトラックが飛びだしてきて挟むようにお互い正面から衝突した。

 同時に大爆発を起こす。

 男は炎と爆風に巻き込まれないように通路の窪みに身を隠す。

 通路が塵と煙で満ち、壁も破壊されて建物群の隙間である中空が覗き込めた。

「……の……い……帷乃裏(いのい)……」

 静かに鳴るようなしわがれた声のところで、床を踏む革靴の音がした。

 身体が半壊し、中の機械があらわになった鬼の側に、男が立っていた。

 巨大なメイスを持って。

「長い間、お世話になった。これはささやかなあたしからの贈り物だよ」

 帷乃裏と呼ばれた顔に墨を塗った少女は、メイスを振り落とし、鬼になった祇の頭を叩き潰した。

 あっけなさすぎる鉄の塊を見下ろし、帷乃裏は鼻を鳴らし、軽く両手を広げた。

「みんな、どうだった?」

 そして、首に圧縮注射器を押し当ててると、映像の中から顔を画面にむける。

 深く息を吹き込み、鉄塊とかしたものを二度三度力の入っていない指で示し、通信を切った。

    

 


『そこそこの満腹度かな』

 頭の隅で声がした。

 メイス片手にぶら下げた帷乃裏の視界には、回転する黒い小さな爬虫類のようなものが見えていた。

 顎が大きく、宝石のようなより大きな瞳で長い身体を丸めている。

 小型の龍そのものだ。

「もう……いつまでも、満足しないんだから」

『なにしろ、失った身体が圧倒的すぎるからな。もっと美味い祇が食いたい。帷乃裏には感謝してるよ?」

 くるくる回りながら、龍は言う。

「どーせ感謝してると言っとけばどうにかなると思ってんでしょ」

 醒めた表情で帷乃裏は吐き捨てるように言う。

『楽しくなかったかい?』

「……まぁ、楽しいっちゃ楽しいけどね」

『なら良かった。僕の回復作業を楽しんでくれているのであれば、僕も嬉しい。それが君の回復作業にもなるんだ』

「あたしなんていいのよ。而彌(じみ)が元に戻ってさせくれれば」

 黒龍は鼻面を帷乃裏に近づけ、首を振った。

『違う。君も戻らなきゃ意味がないんだ』

「いやだよ、あんな目に合うのなんて、もう二度と」

 彼女は吐き捨てるように言った。

『……だから言っているだろう。造り直すんだ。全てを。僕は奴らに奪われたものを奪い返して復活する。当然、以前の姿じゃない。君もそうなる』

 帷乃裏は黙った。

 目の前には、半ば潰され、ひん曲がった鉄材や素の塊が山になっている。

「……いいよ。わかったよ。好きにしなさい。あたしも好きにするから」

 黒龍は小さく笑ったように見えた。

 帷乃裏としては気に食わないが。 

  



 為端は上野上空の第十二階層に持っていたセーフハウスに、二人の少女を案内していた。

『事情は分かった。君のターゲットを桐為端とする』

 トイレの中で特別班に連絡を入れると、楓は課長からそのような命令を受けた。

 これは事実上のフリーハンドを手に入れたようなものだ。

 炭燈楼に介入する。

 記憶は薄れていてこれから発掘作業しなければならないが、自由に動ける。

 そのために、為端とミケタという駒もできた。

 上機嫌を隠して生真面目な表情でリビングに戻る。

 広い空間にあるソファには、脚を組んで大きく腕を広げながら天井を向いて電子タバコを口に咥えた為端がいた。

 ミケタはリュックを背負ったまま、壁に身を持たれかせて胡坐をかき、ぼんやりとしていた。

「ねぇ、ミケタって名前のことなんだけど、目立ち過ぎない?」

 楓は提案した。

「なんだよ、いきなり」

 為端は顔を向けてきた。

「あまりに硬すぎるよ。ミケにしよう」

 楓の満面の笑み。

「勝手に話を進めるな。どっちにしろ猫みたいだが」

「何とでも呼べ、もう。猫にはならんがな。だから却下だ」

 面倒臭そうにした為端に、さらに面倒臭そうなミケタが言う。

「はいじゃあ決定ぇー、あんたはミーナだ」

「こうも力奪われてたら、名前なんてどうでも良くなる」

 ミケタは自嘲の溜め息を吐いた。

「ミーナ、ミーナ、ミーナァ!」

 楽しそうに連呼する楓に、為端はサングラス脇から横目をよこした。

「おまえ、忘れてないよな?」

「なにを?」

 とぼけているのか、素なのか楓は不思議そうな顔になる。

「そのミーナとやらが落ちてこんなクソガキそのものになっちまった責任だよ。結果、上野の街の電子が制御失って混乱することになるんだぞ?」

「偉そうに……」

 ミケタが膨れて為端を睨む。

「あー、それね。わかってるって。ウチがあんたらを炭燈楼の支配者にしてあげる」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「それは特別班の意向か? おまえの駄法螺か?」

 為端はミケタに負けない据わった目で、彼女の顔を覗きこむ。

 彼には楓が特別班の人間とわかっているのだ。

 楓は負けずにニッコリと微笑んだ。

「もちろんウチが指導する班の意向だよ」

「その笑顔が怪しいの、私は見抜いてるよ?」

 鬱陶しそうにミケタがぼそりとつぶやく。

「ミーナ、この辺りの未登録信号を探って」

 楓は強引に話を続ける。

「ここらにゃ主祇がいなくなったせいで、わいてると思うけどな」

 電子タバコを吸う為端は他人事のようだった。

「……残念だけど、もうそんな能力ない」

 シュンとしつつもうらめしそうに、ミケタは言う。

 楓は頬を掻いた。

「あー、だめかぁ」      

呟きつつ、コンタクト・レンズで下層のニュースを漁る。

 そこには、荒廃して廃墟や倒壊したビルなどの風景が続いていた。

 そしてエリア管轄区からの公式発表として、「消滅したミケタによる影響の悲惨さ」を伝える文句が並んでいた。地上の上野には、巨大なクレーターが出来ていた。先の「神の御柱」事件と比べれば小規模だが、その代わり数があった。

 エリア管轄区曰く、人は皆建物とともに崩壊した。遅れた救済処置を現在執行中である。上野の再建には自衛隊が出動する。

「んー、だめだぁ」

 楓は床に身体を放り投げるようにして転がった。

 ミケタはやっぱりなという目をして彼女を眺めた。

「上野のほかに、池袋、錦糸町、目黒、渋谷、原宿、新宿辺りが騒いでるんだよ。なんか、不穏な動きもあるし」

「炭燈楼管理官は?」

 為端は聞いた。

「地上から送り込まれた本体なんだけど天井落下の際、同じく落ちてる。で、今は出処不明の輩が自称している」

「身元を洗え」

 珍しく為端が強い口調を使った。

「……何これ?」

 言われた通りに探ってゆくと、楓は鉄のような瞳で為端をみた。

「あんたのところの或維衆の関係者よ」

「へぇ、それは意外だな」

 涼し気に流す為端。

「丁度いいじゃない。利用して空間を奪っちゃえば。まぁその前にやることあるけど」

 ニヤリと楓は笑みを浮かべた。






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