第3節 生徒会という小さな帝国 ― 支配の始まり

 “民主主義”とは、もっとも巧妙な支配の形である。

 ヴァルネスがかつて吐き捨てた言葉が、慧の頭の中で蘇っていた。


 この国の学校には、国の縮図がある。

 校長は国家元首、教師は官僚、そして――生徒会は議会。

 彼らは「生徒の代表」と名乗りながら、

 実際には権力を分配する側の一角にすぎない。


 慧がそれに気づいたのは、偶然ではなかった。

 E組が田代の一件で一時的に注目を浴びた後、

 生徒会が「公平な校風を取り戻すためのキャンペーン」を始めたのだ。


 スローガンは――

 > 『声を上げよう。みんなが笑える学校へ!』


 それを見た慧は、小さく笑った。

 「見せかけの改革ほど、支配者に都合のいいものはない。」


 * * *


 生徒会長の**天野璃子(あまのりこ)**は、

 成績優秀・容姿端麗・教師受けも良い、典型的な“理想像”だった。

 だが慧の目には、彼女の笑顔の裏にある冷たさが見えていた。


 璃子は「平等」を語る。だが、その立場を脅かす者を決して許さない。

 彼女のSNSには、数千のフォロワー。

 投稿するたびに「さすが会長!」「尊敬します!」という声が並ぶ。

 (民意とは、見栄えの良い偶像を選ぶ。

  それが古代から変わらぬ真理だ。)


 慧はまず、彼女の投稿パターンを分析した。

 更新時刻、タグの傾向、フォロワー層の属性――

 わずか数日で、璃子の情報戦術を読み取る。

 彼女は感情的な投稿をしない。

 いつも「共感」と「優しさ」を演出する言葉を選ぶ。

 (つまり、彼女は“ブランド”として自分を運営している。)


 ならば――そのブランドを、少しだけ傾ければいい。


 * * *


 昼休み。慧は南雲と並んでパンをかじりながら、

 生徒会のポスターを見上げた。

 「璃子会長、テレビ取材くるらしいよ」

 「テレビ?」

 「地元ニュースの“未来のリーダー特集”だって。

  青嶺の宣伝になるんだってさ。」


 慧はパンの袋を丁寧に折りたたんだ。

 (公的評価を得る――つまり、彼女は“国際舞台”に立ち始めたわけだ。

  宰相としては、今が最も崩しやすい瞬間だな。)


 その日の放課後、慧は図書室のPCを使い、匿名掲示板に一行書き込んだ。


 > 【噂】生徒会長の天野、教師の推薦で特別枠内定してるらしい。


 ――証拠などない。

 だが、根拠のない“格差”の噂ほど、人をざわつかせるものはない。

 たった一行で、火種は充分だった。


 数時間後。

 生徒たちのSNSに、同じ話題が広がっていた。

 「え、会長って裏口推薦なの?」

 「てかマジで? そりゃ推されすぎだと思ってた」

 「まさか青嶺でもそんなことあるの?」


 翌朝。

 生徒会室の前には、心なしか重い空気が漂っていた。

 璃子は毅然と振る舞っていたが、

 その笑顔の裏にわずかな焦りが見えた。


 「根拠のない中傷には屈しません。

  私は正々堂々と努力してきました。」


 マイクの前でそう言う彼女の声を、慧は廊下の端から聞いていた。

 (正々堂々――その言葉ほど、脆い防壁はない。)


 * * *


 数日後、慧は“偶然”を装って璃子と対話の機会を得た。

 校内アンケートのインタビューを頼まれたのだ。

 「E組の鷹栖慧君、だっけ? よろしくね。」

 璃子は完璧な笑みを浮かべていた。

 慧は軽く会釈し、ノートを開いた。


 「では質問します。

  ――生徒会の役割とは、何だと思いますか?」


 璃子は少し考え、明るい声で答えた。

 「みんなの意見をまとめて、学校を良くすること。

  私は“対話”を大切にしています。」


 「では、“対話”とは何ですか?」

 「え?」

 「意見が異なる者と向き合うこと。

  しかし、生徒会は“異論”をどれほど受け入れていますか?」


 璃子の表情が一瞬止まる。

 慧は微笑みながら続けた。

 「会長の提案は、いつも全会一致で通りますね。

  それは優秀だからか、それとも――異論を封じる空気があるからか。」


 璃子はわずかに笑みを取り戻した。

 「考えすぎよ。みんなが納得してくれてるだけ。」

 「それが本当なら、素晴らしいことです。

  ――“全員が賛成する国”というのは、歴史上どんな体制だったでしょうね。」


 その言葉に、璃子は言葉を失った。

 慧は丁寧にノートを閉じた。

 「ありがとうございました。とても参考になりました。」


 去り際、璃子は静かに言った。

 「あなた……変わってるわね。E組の子なのに。」

 「“E組の子”とは、どんな意味でしょうか?」

 璃子はハッとしたように口を閉じた。

 慧は柔らかく笑う。

 「差別の言葉は、いつも無意識から始まるものです。」


 * * *


 インタビュー記事が掲載された週、

 校内の掲示板に新たな投稿が現れた。


 > “全員が賛成する学校。それって民主主義?”


 それは慧が匿名で投稿した短文だったが、

 なぜか瞬く間に広がった。

 コメントには、「たしかにそうだ」「なんか息苦しい」といった声が並ぶ。

 そして、璃子のSNSには――

 「反論を受け入れて」「もっと開かれた会にして」

 というコメントが相次いだ。


 璃子のブランドは、少しずつ揺らぎ始めた。


 慧は放課後の図書室で、南雲に言った。

 「群衆は“反権力”を演じたがる。

  しかし結局、次の権力を求める。

  私はその“次”になる。」


 南雲は眉をひそめた。

 「それって……支配じゃないの?」

 「支配とは、善悪の問題ではない。

  混沌に秩序を与える行為だ。

  君は、無秩序の教室を見たことがあるだろう?」


 「……ある。でも、それと同じことをしてどうするの?」

 「同じではない。私は、“理想”の仮面をかぶらない宰相だ。」


 慧のスマホには、匿名アカウントのダッシュボードが開かれていた。

 そこには、いくつもの偽名で動かしているアカウント群。

 それぞれが異なる意見を投稿し、互いに議論を交わす。

 だがそのすべてを操作しているのは、慧ひとり。


 まるで見えない糸で、人々の言葉を操る傀儡師。

 (“世論”とは、私自身の分身だ。)


 * * *


 やがて、生徒会の緊急会議が開かれた。

 議題は「透明性の確保とSNSの匿名投稿問題」。

 璃子は壇上で訴えた。

 「今こそ、私たちは“開かれた民主主義”を守らなければなりません!」


 拍手が起きる――しかし、慧はその拍手を聞きながら思った。

 (民は、支配を恐れない。支配の“形”が変わるだけだ。)

 その夜、慧は一人、スマホに新たなアカウントを作った。

 名前は――《反生徒会連盟》。


 そして一行、投稿する。


 > “正義を名乗る者こそが、一番危うい。”


 数日後。

 その言葉が、校内の生徒たちの間で“流行語”になった。


 * * *


 慧は窓際でその様子を眺めながら、

 小さく息を吐いた。


 (この学校という小さな世界で、私は再び帝国を築きつつある。

  だが――前世と違うのは、血が流れないことだ。

  これが、現代の“戦争”なのだ。)


 グラウンドでは、生徒会が清掃ボランティアをしていた。

 その中央に立つ璃子は、いつもの笑顔を保ちながらも、

 どこかその影が薄く見えた。

 群衆は、すでに次のカリスマを求めている。


 南雲がそっと隣に来た。

 「ねえ、あんた、本気でどこまでやるつもり?」

 慧は遠くを見たまま答えた。

 「この国の“教育”という幻想を、根から暴くまで。」

 「それって……復讐なの?」

 「贖罪だよ。

  前世では民を苦しめ、今世では真実を晒す。

  ――同じ行為でも、目的が違えば意味は変わる。」


 南雲は何も言えなかった。

 慧の横顔には、静かな決意が宿っていた。

 それは冷たくも、どこか痛々しい光だった。


 そして慧の手の中のスマホには、

 すでに次の投稿が準備されていた。


 > “次の会長は、誰がふさわしいと思う?”


 ――その問いが、校内の勢力図を塗り替える火種になることを、

 誰もまだ知らなかった。

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