第2章 教育という幻想 第1節 落ちこぼれの王国

 人は平等ではない。

 その事実を認めたとき、初めて“支配”が始まる。


 ヴァルネスが宰相として最初に学んだ真理だった。

 しかし、転生したこの世界――日本の学校では、

 “平等”という言葉が神のように掲げられていた。


 だが慧は、笑っていた。


 「平等とは、支配する側が安心するための幻だ。」


 * * *


 季節は梅雨の終わり。

 蒸し暑い教室に、扇風機の風が虚しく回っていた。

 黒板には大きく「期末試験 一週間前」と書かれている。


 E組――通称「落ちこぼれクラス」。

 進学校として名の知れた青嶺高校の中で、

 このクラスだけが明確に「線引き」された存在だった。


 「どうせ、俺ら点数悪くても誰も期待してねぇしな」

 「上のクラスは補習免除だってよ。ふざけんな」


 教室の空気には、諦めと自嘲が染みついていた。

 教師も、期待していない。

 「頑張れ」と言いながら、視線にはすでに差がある。


 慧はノートにペンを走らせながら、

 その光景をまるで社会実験でも見るように観察していた。


 (上位クラスを優遇し、下位クラスを切り捨てる。

  それを“能力主義”と呼ぶのか。

  だが実態は、“管理の合理化”にすぎない。)


 教師の声が響く。

 「はい、ここテスト出るからねー。覚えとけよー。

  ……あ、E組の子は無理しなくていいからね」

 笑いが起きる。

 しかし慧の瞳は、わずかに冷えた光を宿していた。


 (差別を冗談で包むのが、この国のやり方か。)


 放課後。

 慧は職員室の前に立っていた。

 ガラス越しに見える教師たちは、誰もが忙しそうに見える――

 だが、それは“見せかけ”の勤勉だった。


 プリントの束をさばきながら、

 「E組の平均が上がらないと、来年の補助金が減るんだよ」

 「じゃあ、また“救済点”つける?」

 「そうそう。上には報告だけ良く見せればいいの」


 慧は静かに笑った。


 (なるほど。これが“教育”か。

  見せかけの公平と、帳尻合わせの正義。

  私がかつて作った“帝国官僚制”と何も変わらない。)


 その夜、慧は机にノートを広げ、

 一枚の図を描いていた。

 【青嶺高校構造図】――と題されたそれには、

 教師・生徒・保護者・企業スポンサー・教育委員会……

 すべての力関係が細かく線で結ばれていた。


 (支配構造を理解する。それが、戦いの第一歩だ。)


 彼は書き込みながら、呟いた。

 「この学校は、王国だ。

  王は校長、貴族は上位クラスの教師と親たち。

  そして我々E組は――下層民。」


 だが、宰相ヴァルネスはいつだって、

 “下層”から帝国を掌握した。


 * * *


 数日後の朝。

 E組の教室に、妙な噂が流れた。


 「なあ聞いたか? 来年、E組なくなるかもしれないって」

 「え、マジ? どういうこと?」

 「なんか、統合だってさ。進学実績悪いから」


 慧は静かに本を閉じた。

 (ふむ……思ったより早い。)


 学校経営の再編。

 それは、予算削減と成果主義の常套手段だ。

 表向きは「生徒のための改革」だが、

 実際は「数字のための人員整理」。


 放課後、慧は図書室で南雲結衣に声をかけられた。

 「E組、なくなるって話、ほんとなの?」

 「おそらく本当だ。だが心配はいらない。

  むしろ、好機だ。」

 「好機……?」

 「古い制度が崩れるとき、新しい権力が生まれる。

  その座に、私が座る。」


 慧はノートPCを開き、

 学校の公式サイトを見せた。

 トップページには「教育理念」――という立派な言葉が並んでいる。

 「個性の尊重」「平等な学び」「全員進学」――。


 「この理想を、現実に照らせば、矛盾だらけだ。

  君は気づかないか? “平等”をうたいながら、

  実際は最初から“選別”している。」


 南雲は唇を噛んだ。

 「……そうだけど。でも、しょうがないじゃん。

  成績で分けるのは、どこもやってるし。」

 「そうだ。だからこそ、私はそれを“逆手”に取る。」


 慧はキーボードを叩いた。

 画面には、学校評価アンケートの匿名フォーム。

 「保護者・生徒の声を反映します」と書かれている。


 「匿名とは、革命の始まりだ。」


 慧は入力を始めた。


 > “E組差別の実態:特定の教師が生徒を諦め扱いしている。

 > 成績上位者を優遇し、下位者に学ぶ機会を与えていない。”


 さらに数件、別人を装って投稿する。

 語尾を変え、視点を変え、複数の「声」を作る。

 「データとは数だ。数があれば、真実に見える。」


 数日後。

 校長室に「匿名の意見が多数寄せられている」との報告が届く。

 教育委員会も動いた。

 「公平な指導体制の見直しを」と通達が出る。

 教師たちは慌てて会議を開き、

 「E組の扱いを改善しよう」という提案が形だけ通った。


 南雲は、その知らせを聞いて驚いた。

 「まさか……本当に、あんたが?」

 「私はただ、真実を見せただけだ。

  人々は、“誰が言ったか”より、“どれだけ言われたか”で判断する。」


 南雲はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。

 「……あんたって、怖いけど、ちょっとスカッとするね。」


 慧は微笑んだ。

 「それでいい。正義など、感情の衣をまとった支配だ。

  私はそれを、合理的にやるだけだ。」


 * * *


 テスト期間の最終日。

 E組は、奇跡的に平均点を上げた。

 教師たちは「努力の成果だ」と言ったが、

 慧だけは知っていた。


 ――問題が事前に一部“漏れていた”ことを。


 その情報は、上位クラスの生徒が

 グループチャットで回していたもの。

 慧は偶然を装ってそのログを手に入れ、

 “公平な再配布”としてE組に流しただけだった。


 教師は気づかない。

 校内平均が上がったことに満足して、何も調べようとしなかった。


 「“正義”とは、見たい現実を選ぶ行為だ。」


 慧は試験用紙をめくりながら、

 この世界が思っている以上に脆いことを確信した。


 (――やれる。ここでも私は、王国を築ける。)


 彼の瞳には、炎のような光が宿っていた。

 それは、かつて帝国を動かした宰相の魂そのものだった。

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