第5話 何があっても1番は…

 三日後。

「けほっ……」

「大丈夫?」

 咳き込む織姫の背中を、菜央が擦る。

 ゲームセンターで汗をかいたのをあまり気にしなかった二人だったが、織姫は恐らくそれが原因で風邪を引いてしまった。

 不幸中の幸いで、今は試験後の休みだった。

「喉……痛い」

「あまり効かないかもだけど、のど飴買ってきたから」

 今朝方、菜央がやって来たとき、織姫はなんとか布団から這い出て、鍵を開けたのだった。

「最後に熱を測ったのは?」

 菜央が聞くと、織姫はどこか遠い目をしてボーッとしていた。

「お、織姫?」

「あ……何?」

 驚くほど顔が赤い織姫。菜央は再び聞いた。

「熱は、最後に測ったときいくつだった?」

「……えっと、39.8」

「えっ!?」

 菜央は思わず驚く。

「病院に行こう、その前に熱を測って」

「うん……」

 そう言って、織姫は体温計を脇に抱えた。

 ピピッ

 測り終えた音。

「どうだろう」

 菜央は体温計の示した温度を見て、そして戦慄した。

 40.2

「織姫、今から救急車呼ぶからね!」

「んぅ? けほっ」

 熱で頭が回らないのか、意識がはっきりしていないのか、織姫はそう答えた。

「住所は……です。熱が40度を超えていまして」

 菜央は慌てる心を押さえつけて、冷静に電話した。

「到着まで、十分ですか。分かりました。その間はどうしていれば?」

 菜央は電話の指示に従った。

織姫を横に寝かせて、その手を握る。

もうじき到着すると言うことで、電話は切られた。

「織姫、今来るからね! 大丈夫だから!」

 電話が切れたと同時に、どっと不安が押し寄せていた。

「大丈夫……大丈夫だから」

 いつの間にか菜央の目からは、ポツポツと涙が零れていた。

 そして、玄関のチャイムが鳴る。

「っ! はい、今でます!」

 ドアを開けると、ストレッチャーを持ち、救急隊員が三人入ってきた。

 救急隊員は手際よく、織姫をストレッチャーの上に乗せ、そして救急車内に入れた。

「熱が40度を超えたのはいつ頃ですか?」

 救急隊員の言葉。

「えっと……正確には分かりません、さっき測ったら超えていて、それで慌てて電話を……」

「意識が朦朧としていて対応が出来ません、代わりに分かる情報だけでも良いので、教えてください」

 そう言われた瞬間、菜央は不安と恐怖に耐えきれなくなって。

「うぅ……織姫は、織姫は助かるんですよね……」

 泣きじゃくりながら、菜央は言った。

「大丈夫です日比谷さん、だからお気を確かに」

 救急隊員に肩を優しく叩かれ、菜央はどうにか落ち着くことが出来て、そして知っているだけの情報を伝えた。

「病院の受け入れが決まりました」

「よし、向かうぞ」

 救急隊員はそう言い出した。

「あたしは、着いていっても良いのでしょうか?」

「今はご家族も居ない状況ですし、出来れば付き添いをお願いします」

「分かりました」

 そうしてすぐに、救急車が走り出した。

「織姫……」

「手を、握ってあげて良いですよ」

 隣で様子を伺っていた隊員が一言、そう言った。

 菜央は、左手で溢れる涙を拭いながら、右手で織姫の手を握った。

「な……お……」

 織姫がうなされながら、しかし確かに菜央の名前を呼んだ。

「居るから、あたしは傍に居るから」

 そう言うと、織姫が微かな力で手を握り返してきた。

 そして、病院に着くと、織姫は院内へと運ばれた。

 菜央も、後に続いて歩く。


「解熱剤を投与します、それから栄養も」

 医師がそう言うと、看護師が準備を始める。

「あの、先生……」

「もう安心して大丈夫です。熱も下がるでしょう」

 そう言われた瞬間、菜央はホッと息を撫で下ろした。

「天野さんの、ご家族の連絡先は分かりませんか?」

「えっと……確か」

 何かあったとき用にと、菜央は織姫の実家の連絡先を教えて貰っていた事を思いだした。

「こちらから電話します、処置をしますので、一度離れてください」

 そう言われて、菜央が下がると、点滴を用意した看護師が前に出てきた。

「日比谷さん、貴女も疲れたでしょう?」

 一人、様子を見ていた女性看護師が声を掛けてきた。

「えっと……」

「大事なお友達がこうなって、怖かったし、不安だったでしょう? でも、貴女はよくやった。処置が終わって安定するまで、廊下のソファーで休んでいて大丈夫」

「分かりました」

 菜央は処置室を出て、すぐ傍にあったソファーに腰掛けた。


 そうして二十分程して。

「処置が終わったわ。病室に連れて行くから、貴女も来て頂戴。きっと安心するから」

「はい」

 三階南の、305号室に織姫は移された。

「三十分くらいで、様子を見に来ます。それとご家族にも連絡が取れたので、じきに来るようだから」

「そうですか、それであの……」

「椅子を用意したから、傍に居てあげて」

「ありがとうございます」

 菜央は会釈をして、そうして看護師数人は、何かあったらナースコールをと言って、出て行った。

 四人部屋の様だったが、三カ所はベッドが空いていて、個室に近い状態だった。

「菜央……?」

 解熱剤が効いて、意識が戻ったのか、織姫が話し掛けて来た。

「お、織姫」

 菜央は優しく、織姫の頭を撫でた。

「ごめんね、あたしが気が利かなくて、風邪でこんな思いをさせて……」

 言っていて、菜央は涙を再び流す。

 もっと早く気付いていれば……。そんな後悔が菜央を襲った。

「……面目ねぇ」

 織姫が言う。

「風邪は、自己管理が出来なかった私が原因……症状はよく分からないけど、菜央はそんなに気に病まないで、ね?」

「う、うん」

 菜央はそう言うと、涙を拭った。

「あ、もうちょっとしたら看護師さんが来る」

 菜央はスマホの画面で時刻を確認した。

「私のお母さんとかに連絡ってしたの?」

 織姫がそう言うので

「うん、前に教えて貰っていた連絡先を伝えたから」

「そっかぁ……」

 織姫はそう言うと、小さく息を吐いた。

「お母さんもお父さんも心配性だから……」

「いや、そりゃ救急車で運ばれたら誰だって心配するよ」

「えへへ……そうだね」

 ここで、菜央はハッと気が付いた。

「織姫、もしかして結構こういう事あったの?」

「うん、小学生の時はかなり、中学の時に一回」

「そ、そうだったんだ」

「私、体弱いのかな?」

「どうだろ……熱で運ばれた事がほとんどなの?」

「うん」

「ちょ、ちょっと弱いくらいじゃない……かな?」

 菜央はそう言って、頬を掻いた。

「失礼します」

 そう言って、いきなりカーテンが開かれた。

「あ、天野さん気が付きましたか」

「はい」

「じゃあ症状を聞いたりするので、無理のない範囲で答えてください」

「分かりました」

「貴女は、悪いのだけれど少し廊下で待ってて貰えるかしら」

「分かりました」

 そう言って、菜央は病室を出た。

 そうしていると、何人かの早足の音が聞こえてくる。

 四十代前後の男女だった。

「すいません。305号室はこちらですか?」

 女性が一言。

「そうですけど……もしかして織姫のご両親ですか?」

「うん、そうだよ」

 息を切らした男性も、そう言った。

「今さっき意識が戻って、今看護師さんと話してる最中です」

「そうか、君は?」

 織姫の父に言われたので。

「日比谷菜央、織姫と仲が良い友人です」

「あ、あなたがよく織姫が電話で言ってる菜央ちゃんなのね」

 織姫の母が一言。

「電話で?」

「そうだよ。君の事は良く聞いている。毎朝迎えに来てくれてたりするそうじゃないか」

 息が整った父は、落ち着いた様子で言った。

「それで、織姫は無事なの?」

「母さん、さっき菜央ちゃんが言っていたじゃないか、大丈夫だよ」

 慌てる織姫の母を、織姫の父が止める。

「そんなに時間は掛からないと思います、すぐに会えますよ」

「すまないね、君が居なかったらどうなっていたか、感謝する」

「本当に、ありがとうねぇ」

 織姫の両親に深々と頭を下げられた菜央は。

「そ、そんな。親友ですし。頭を上げてください」

 菜央に言われた両親は、頭を上げた。

「問診終わりましたよ」

 ここで、病室から看護師が出てきた。

「あ、ご両親ですか?」

「はい」

「そうです」

 織姫の両親がそう言うと。

「安心してください。風邪の症状は残っていますが、熱はかなり下がっています。二、三日で退院できますよ」

「はぁ、よかった」

「分かりました、ありがとうございます」

 織姫の両親に、それでは、と一言言って看護師は去って行った。

「あ、織姫は一番奥のベッドに居ます」

 そう言って、菜央が一歩下がると。

「帰らなくて大丈夫だよ。菜央ちゃん」

 どうやら父の方に行動を読まれていたらしかった。

「えぇ……お邪魔じゃありません?」

「とんでもない。織姫の親友ってことなら居てくれて構わないわ」

 そう言って、あっ、と織姫の母が声を出す。

「まだ名乗ってなかったわね」

「そ、そういえばそうだったな」

 織姫の父は一度咳払いをすると。

「繁だ」

「私は絢子」

 後に続いて絢子も名乗った。

「よろしくお願いします」

 菜央は頭を下げる。

「それじゃあ中に入りましょうか」

 絢子が病室のドアを開けたので、繁と菜央も後に続いた。

「すぅ……すぅ……」

 落ち着いた寝息で、織姫が寝ていた。

「眠気作用もある点滴だったのかな?」

 菜央が言う。

「起こすのも…‥ねぇ」

 絢子が手を顎に当てながら言った。

「そうだね」

 繁が言うと、三人は一度外に出た。

 そうして、談話室に移動する。

「えっと……」

 菜央がなんと呼べば良いのか迷っていると。

「普通に、下の名前で呼んでくれて構わないよ」

 繁が言う。

「繁さんと、絢子さん。着くのかなり早かったですけど」

 菜央がそう言うと、繁は溜息を吐きながら。

「いや、電車だと遠回りで一時間以上掛かるんだけどね、車だと早いんだよ」

「そうそう、お父さんったら顔青くして、急いで車出したから」

「母さんは焦って携帯を忘れたじゃないか」

「あはは……」

 若干の苦い笑みを、菜央は零した。

「で、いきなりだが織姫との関係について話をしたい……」

「織姫との関係の話?」

 繁の言葉に、菜央が首を傾げる。

「疑っている訳ではないんだ。ただ、君も織姫の事情は多少分かるだろう?」

「……はい」

 繁の言葉に、菜央は顔を強張らせる。

「お父さん、失礼だよ。病院まで運んでくれた恩人に向かって」

「いえ……織姫は、一年の時に、その、大変な目に遭っていったのは知っています」

 菜央が続けて言う。

「でも、あたしはそれが許せなかった。だから、生徒会や先生達の力を借りて、助けた……つもりです」

「……なるほど」

 腕を組んだ繁が言う。

「まだ、友人になって一年も経ってないけど、それでも、今はあたしにとって一番の親友。それが織姫です」

 本当は恋人、しかし、それは言えなかった。

「よかった」

「本当にねぇ」

 繁と、絢子が安堵の息を漏らす。

「あの子はね、小学校に通えなかったんだよ」

 絢子が言う。

「え?」

「ずっと熱を出して、実際には少しだけ通えたんだけど……」

「お、織姫はさっき、風邪は引いたことある程度だって……」

「君を心配させないためだろう」

 繁はそう言って、なにやら右ポケットに手を突っ込んでいた。

「コーヒーでよかったら、奢るよ。色々なお礼を含めてね」

「お言葉に甘えて」

 そうして、三人はカップコーヒーを手に持つ。

「あの……」

 菜央が口を開いた。

「中学は、どうだったんですか?」

 コーヒーを一口飲んだ繁が。

「中学一年の後半から通えたよ。でも、小学校にずっと行けなかったんだ、友達を家に呼んできたことはなかった」

「そう……だったんですか」

「あなたは、織姫の最初のお友達なのよ」

 絢子が言う。

「最初の……」

 恋人にまでなったというのに、織姫の過去を全然知らない自分が、菜央はとても恥ずかしくなった。

「織姫は優しい良い子だと思う。だから、君に余計な心配をかけないようにと考えて、過去のことを言わなかったのだろう」

 まるで菜央の心を見透かした様に、繁が言った。

「あたしは……」

 カップをテーブルに置いて、菜央が言う。

「本当に、あたしなんかが最初の友達で、良いんですかね?」

「それはも……」

 そこまで言って、絢子の言葉は掻き消された。

「良いんだよ」

 その声に三人が、談話室の入り口を見た。

 織姫が立って、そこに居た。

「あ、あんたまだ動いちゃ」

「分かってる。けどね菜央、これだけは言いたいの」

 織姫が、点滴の棒をぎゅっと握って言う。

「私は、菜央が最初の友達で、本当によかったと思ってる。だから、自分を卑下しないで」

「織姫……」

 溢れそうな涙を、ぐっと堪えて。

「あたしも、織姫と出会えて、本当によかった」

 そう言って、菜央は微笑んだ。

「コラ、織姫、無茶しちゃダメだよ。また熱が上がる。早く病室に戻るよ」

「織姫の言いたい事は分かった。しかし母さんの言うとおりだ」

 織姫は繁におんぶされる。

「私はもう高校二年生なのに」

「そう言う台詞は、きちんと治してから言いなさい」

 絢子が口を酸っぱくして言う。

 その後、案の定勝手に病室を出た織姫は看護師にも怒られた。

 そして夕方まで、菜央、繁、絢子に見張られながら、織姫は眠ることになった。

 そうして時刻は夕方の五時半。

「そろそろ帰ろうか、送っていくよ」

 そう言って繁が車の鍵を取り出す。

「良いんですか、ここからだと結構距離が……」

「だからこそだよ」

 絢子も、そう言って菜央の右の袖を掴んだ。

「菜央ちゃんも疲れているだろうし、ここは譲れないわ」

 そこまで言われたら、菜央は折れて、送迎を承諾した。


「退院まで毎日通います」

「僕たちだけともと思ったが、織姫の事をよほど大事に思っているようだね、そうだな。昼の後にまた迎えに来るよ」

「無理だけはしないでね~」

 そう言って、織姫の両親の車は去って行った。


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織姫の彦星様 ちびねこ @tibicat

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