第2話 僕だけの脳内戦線

「おい、俊也!また全教科満点かよ!」

先週行われた中間テストの結果を僕の後ろから覗き見る。彼は古くからの友人、隠木光かくしぎみつる。所謂幼馴染というやつだった。

「まぁ、それぐらい勉強しているからな」

「いやいや、頭の出来が違ぇんだって!」

 僕だって褒められることは嫌いではない。でも、どうしたって心は動かない。だって、僕にとってそれはおおよそ予想される結果だったから。そも、テストを解いている段階でどれだけ出来が良かったか、なんて感覚は嫌でも掴める。今回の中間テストも僕は全ての問題に確信をもって回答した。つまり、この結果は当然の事としか思えない

「今回赤点だと俺、ゲーム没収なんだぁ…」

「俺の答案いるか?」

「100じゃ怪しまれるだろ。いいよ、俺が勉強サボったのが悪いんだから」

「隠木、隠木光!」

「お、俺の番だ!くぅ~!胃がいてぇ…」

 隠木はその整った顔にしわを作りながら、少し躊躇いがちに先生の元へと向かっていった。

 隠木は相も変わらず騒がしい。でも嫌いではない。隠木の底抜けた明るさに救われている部分はかなりあるから。それこそ、岐美さんに関する悩みにも隠木は嫌な顔一つせず応えてくれる。だから、僕は極力彼には力になろうと決めていた。

「それ、貰ってあげましょうか?」

「は…?」

 意味の分からぬ会話の起こり。そのきっかけは勿論隣の彼女、岐美さんだった。

「ふっ!それを増やして差し上げようと…そう!言っています…」

 そう言って岐美さんは僕の答案用紙を指さした。

「そ、それは…マジック的な…?」

「コ、ピー!です…」

「え?」

 岐美さんのイントネーションは明らかに常軌を逸していた。ピーの部分が異様なくらいに挙がり切っている。まるでコの後に続く文字がコンプライアンス的に伏せられているかのような、そんなイントネーション。

「コ、ピー!です」

 岐美さんは目をカッと開いて再びその言葉を口にした。その様子から見ても冗談を言っているわけではなさそうだった。

「え、それって…」

 出かかった言葉を僕はすんでの所で飲み込んだ。

 いや待て…これは泳がせておいた方がいいんじゃないか?この不自然なイントネーションを指摘しないことで他にもイントネーションに違和感のある言葉を引き出せるはずだ。そしてそれは彼女の擬態の粗が浮き彫りになるという事でもある。

「次、岐美葉子!」

 先生の声に反応して岐美さんは勢いよく席を立つ。

「ふふ…コ、ピー!です!」

「え、あ…うん…」

 こちらのテスト用紙を真っすぐ指さしたままの岐美さん。足先は先生の元へと向いているのに顔もその手もコンパスが北を示し続けるようにこちらへと向いたまま歩みを進める。

「ひゃっ!」

 勿論、岐美さんはすがすがしいまでのよそ見をしているので窓際の席の女生徒の机に勢いよくぶつかった。

「コ、ピー!コピー…ですか?」

「え、えぇ…?」

 女生徒も先生も呆れた様に彼女を見る。明らかな奇行に、一切予想の付かない内心。少なくとも一般的価値観でイジメられてもおかしくないような人間だろう。そうならないのは人間でないからか。

「…」

「おい俊也!見てくれこれ!ゴーゴー!で55点!それが3教科分!凄くね!?俊也…?」

「え…?あ、あぁ…そうだな…」

「何だ?そんなに気になってんのか?岐美さんの事」

「あぁ」

「ははーん、なるほどなるほどぉ…?」

 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる隠木に不思議と、えも言えぬ怒りが湧き立つ。

「なんだよ…」

「いっやー?別にー?ただ、確かにおもしれ―人だよなぁーって…どした?急に怖い顔して」

 面白い…だと?恐ろしいの間違いではないのか…?

 俊也にはこれまでも彼女の脅威を伝えているのに。 

「いや…つくづく俺は孤独らしい」

「は?」

「コ、ピー!の件、考えていただけましたか。井形さん…」

 彼女は左手に自分の答案用紙を、右手には何故だかハサミを手にしていた。加えて何故だか、誰かの遺影を抱えるように、こちらに点数が丸見えの状態で自分の答案用紙を抱えている。22点だった。悲惨である。

「そ、その件ね…はは…と、というか点数が丸見えだよ岐美さん…」

 僕がそう言うと岐美さんは自分の持っている答案用紙を上から覗き見て言った。

「…今日の私はモード2、明け透けスタイルですのでお気遣いなく…」

「ぶっはは!やっぱ岐美さんおもしれーな!」

 隠木が腹を抱えて笑い出す。騒がしい教室で助かったと思えるほどツボに入ったのか、声をあげて笑っていた。

「お、おい…隠木。声がデカいぞ…!」

「岐美さんのイントネーションやべー!ね…ぶははっ!狙ってんだろ!」

 僕の頭の中で隠木の言葉が反響した。繰り返し咀嚼し、僕は次第に状況の深刻さを悟る。

 彼女の粗が潰された…しかもこんなにもあっさり…

 いや、落ち着け僕。彼女が隠木の指摘を理解できない可能性もわずかながら存在するはずだ…!

 そんな一縷の望みに期待をかけ、僕は恐る恐る岐美さんの反応を伺った。

「そう、ですか…」

 岐美さんはわざとらしく眉を下げ、しょげたように目線を下げる。その所作に隠木も流石に申し訳ないと思ったのか、フォローの言葉を口にする。

「ごめんごめん!つい面白くって…さ…はは」

 なんだ…?この胸のざわつきは…一体、何に僕は苛立っている。

 この進展のない関係か、それともあっさりと絆される隠木にか、それとも…卑劣にも擬態を続ける岐美さんにか。

「俺がもっと岐美さんに寄り添っていればこんなことには…」

 ところで幼き頃からの友人よ、仮にもうら若き乙女である岐美さんをこんな呼ばわりとは感心しないな。

 性格は底抜けにいい癖に絶望的に言葉選びが下手なのがこの友人だった。

「今日は天体の揺らぎが顕著ですね…アルタイルベガ座がメリーゴーランドのように廻っています…」

 失礼、撤回しよう友人よ。こんな風になっている、が適切な表現らしい。岐美さんは遠くを見つめておかしくなっていた。まぁ、いつも通りと言われればそうなのだけれど。

「はい、席につけー!」

 先生の合図で着席する皆。岐美さんも流れを汲み無事に席に着いたのだが、どうもいつもの振る舞いと違いがある。普段はこちらの方を食い入るように凝視してくる岐美さんが今はそっぽを向くように窓の外を眺めているのだ。

 これは明らかに大きな変化。一体何が、どんな具合で岐美さんの態度をここまで変えたのか。

 先生が話す事務連絡の内容を跳ね飛ばし、僕は思考の海にダイブを始めた。

 岐美さんは…そう、イントネーションの違和感を指摘されたんだ。そして、それは今まで誰にも指摘されなかったことで…それは…

 岐美さんは普段クラスメイトとどのような会話をしているのだろう?

 僕は当たり前のように背景と化していたクラスメイト達の輪郭を必死になって浮かび上がらせる。

 そうだ…クラスで明るい女子グループもちょっと内気な女子達も…一人が好きな孤高の女子も皆、岐美さんには近づかない。

 なるほど…分かった。彼女の心理状態まではハッキリとせずとも一つだけ理解できる。岐美さんに第三者をぶつける事こそが彼女の正体を解き明かす鍵になると。

「ふふ…」

 おっといけない…うっかり笑みが漏れてしまった。

 そうだ、僕は何も一人じゃない。これまで学生生活で培ってきた求心力をフルに活かす時だ。

 僕はそっぽを向いたままの岐美さんの背に心中で中指を立てる。

 その日の放課後は教室に岐美さん一人を残して足早に帰路に着いた。今後の作戦を練るため、そして英気を養うためにだ。

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