第3話 その生徒同類につき
「どうぞ」
扉の向こうから聞こえる声は平坦としていて冷やかだった。視界に収めずとも彼女の声だと理解して僕は扉を開く。室内の静けさから彼女が一人だとも。
「失礼します…」
「久しぶりね井形君。会いたかったわ」
分厚い書籍に目を通す彼女の姿が目に入る。
彼女の名前は
「よく言うよ、僕の事なんて気にも留めてなかったくせに」
「そんなことないわよ。井形君は数少ない私のお友達だもの」
木透の視線が僕へと移る。その整然とした容姿と向き合った僕の心臓は跳ねあがった。
長く整った黒髪にライトブルーの瞳。姿勢は正しく所作も正しく。そんな彼女は間違いなく美しいと言えた。
「して、用件は何かしら」
「木透に会って欲しい人がいるんだ」
「なるほど…そうね…」
髪の毛を耳へと掛け、何か物憂げな様子の木透。まさか、その口から彼女の名前が出るとは思わなかった。
「その、会ってほしい人って…岐美葉子さん…だったりする…?」
「な…ど、どうしてそう思ったの…?」
「い、いえ!違うのよ!?」
「な、何がだろう」
僕は人選を間違えたのかもしれない。以前の木透は堂々たる風格でこのくらいやり遂げていそうな物だったが。
いや待て…もしかして岐美さんはもうすでに木透に根回しを…?
「その…ね、井形君と仲良くしてると耳にしたのよその…岐美さんが」
「あ、あぁ…そういう」
友達に友達を紹介する。そんなノリを木透は汲み取ったのだろう。木透も僕と同じで友達が多い方ではない。人とのコミュニケーションその物が苦手だったり、一人の時間が好きだったり。そういう共通点から僕達は友達になったのだ。
「ごめん木透。重荷になりそうなら…この話はなかったことに…」
「やる!やるわ!」
机に手を付き身を乗り出した木透。
「木透、無理そうなら全然…」
「私に対しての配慮?だとしたら屈辱的だわ。不得手であっても満点を掴み取る。私がそういう女だと知って今日ここに来たのではなくて?」
木透の目には強い意思が感じられた。それを見て気づかされる。自分の臆病さが、不信感を産んでしまっていると言う事に。
「あぁ、そうだな…俺が間違ってた」
岐美さんから無意識に遠ざけようとしていた。隠木も、木透も僕にとってかけがえのない友人だから。
だが、だからこそ自分と一緒に戦って欲しいのなら、まずは僕の方から覚悟を固めなくちゃいけなかった。いざという時に真っ先に自分が犠牲になる覚悟という物も持たなくてはならない。
今の僕は何処までも中途半端だ。
意を決して木透に頭を下げる。彼女に本当の事を言うために。
「ごめん、木透。岐美さんに会って欲しいっていうのは少し違うんだ…!」
「え…?」
祈るように僕は目をつむる。
「僕と一緒に岐美さんの正体を暴いて欲しい!その為に岐美さんと会って欲しいんだ!」
沈黙が空間に満ち満ちる。気まづい静寂が続いて、ふと上から聞こえて来たのは、まるで動揺の色が混じったようなか細く響く木透の声。
「岐美さんの…正…体?」
「あぁ…僕は彼女の事が知りたいんだ…」
断られることは無いと思っていた。僕達の間に絆は確かにあるとも。けれど木透は少しため息交じりに口にした。
「面倒ごとは出来れば避けたいのだけれど…あなたも知っているでしょう?私の両親の事…」
「あ、あぁ…!分かってる!門限の事だろ?ちょっとカフェで2時間くらいかな…話してほしいだけで…それ…以上は…」
木透は少し考えるように目線を下げ、再び僕の目を見つめて問いかけた。
「どうしてそこまでするの?井形君は」
「どうしてって…」
木透はまたもため息をついて、悩ましげに口元に手を当てる。
「岐美さんに会う。それだけでいいのなら私は協力するわ。でもその後の対応は約束できない」
「分かった…それで十分だよ、ありがとう…」
「ありがとう…だなんて、相変わらず優しいのね井形君は」
「いや、そんなことないよ…僕は」
岐美さんの正体を暴く。それを口にした途端、木透は人が変わったように態度を変えた。道理に合わないその変化に僕はやり場のない怒りさえ覚えているのだから。だから、当然優しくなどないはずだ。
「井形君…この一件が終わった後も、私と仲良くしてくれる?」
「な、なんでそんなこと…」
「お願い。答えて」
「そんなの、当たり前だろ…たとえ、何があったって僕と木透は友達だ…」
「そう…ふふ、良かった」
優しく、どこか物憂げにはにかむ木透の表情に僕の脈は少しだけ早まった。岐美さんを前にした時とは明らかに違う意味での鼓動の高まり。
「予定は…いつでも大丈夫かしら?今週は木曜日と日曜日が比較的時間を作れそうなのだけれど」
普段から忙しそうにしている木透に休日まで出向いてもらうのは流石に申し訳ないな…岐美さんはいつでも大丈夫だと言っていたし…
「じゃあ、木曜日でもいいかな?カフェの場所は明日までに連絡するから」
「えぇ、分かったわ。楽しみにしてる」
不敵に笑う木透。ふと木透のデスクに目がいった。積みあがった書類の山々、これをいつも木透は文句ひとつ言わず一人で捌いているのだろう。彼女の孤独な努力の跡を前に僕の決意も固まった。
この作戦は絶対に成功させなくてはならないと。来る僕の孤独な戦いの為に。
何度も感謝の言葉を述べた僕は、生徒会室を後にする。傾き始めた日の光が放課後の廊下を程よく照らしていた。
「よし…急いで準備しないとな…」
いつもより歩調を早めて僕は帰路に付く。事前の会話をシュミレート。恐怖を露わにしないよう、今回は入念に行った。
そして来る決戦の日、2032年5月22日午後16時3分。校舎から徒歩10分の喫茶カリステラにて事件は起きた。
「よいではないですか、斗依ちゃんさん。素直になりましょう…私が丸ごと飲み込みますので」
「で、でも…私、いいのかしら…こ、こんな…」
「良いのです。かの偉人、井形俊也は言っておりました。恥こそが我々のような革命人にとっての絶対の壁であり、取り去ることのできる最初の障壁であると」
制服の裾をめくりあげて待ちの姿勢を取る岐美さんに、その裾の中を覗き見るように頭をかがめる木透の姿。岐美さんの胸と制服の間に木透は頭を埋めようとしているようにしか到底見えなかった。
開いた口がふさがらない。人生で初めての経験に思わず僕は立ち尽くす。
「おや、偉人様ではないですか。申し訳ないですが絶賛取り込み中なのです。もう少々、お待ちを…ほら、斗依ちゃんさん…ギュッとしてあげますよ、ギュッと」
「一体、どういう状況なんだよ…!!」
僕は膝をつき崩れ落ちる。まるで意味が分からなかった。
確かな事は一つだけ。
僕が用意した最大にして最強の助っ人兼友人は、あっさりと岐美さんの軍門に下ってしまったという事だ。
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