岐美さんは絶対おかしい!!
夜永培足
第1話 岐美さんはミュータントガール
人がかつて底知れぬ暗闇を嫌ったように、僕もまた未知を嫌う。
Unidentified Mysterious Animal。未確認生物を指すその総称は実は日本人による造語らしい。それがどうというわけでもないのだが、とにもかくにも僕、
実態のよく分からない食べ物。理屈の及ばぬ虫の挙動。昔こそ苦手な物が多くて苦労したけれど勉強を続けた結果、ほとんどの物事には理屈が通せた。
ただ、世の中には道理にそぐわないものがいる。それは何もUMAだけじゃない。隣の席の彼女もそうだ。
「へ゛っ!」
そのくぐもった鳴き声…?にペンを持つ手がビクリと跳ねる。
「ど、どうかした…?岐美さん…」
彼女の名前は
「ほ゛っ…!?と、していると…ふと思います…」
「な、何を…?」
「ま゛っ…!人生も捨てたもんじゃないな…って」
どこか遠くの方を見つめて岐美さんは言う。
「は、はぁ…その、最初の一言目…って、一体何なの?」
僕がそう尋ねると岐美さんは、底の見えない黒々とした瞳をこちらへギョロリと向けて不気味にもその口を開いた。
「五十音の頭の文字から会話は成立するのかな…と、う゛っ!から試しておりました…」
「は、は行!?一体どれだけの犠牲者が!?第一、どうしてうから始めたの!?」
僕のその問いかけに岐美さんは言葉を返さない。それもまた不気味だった。
放課後に二人。夕焼けの日差しで二人の影が重なる教室。僕も岐美さんもその場をずっと離れない。
僕がそこを離れない理由は悔しいからという理由と岐美さんの事を探るためだった。
「…岐美さんは、どうして家に帰ろうとしないの?な、何か理由があったり…?」
「そっ…それは…う゛っ…!ぼぇえ!」
机の上にぺしゃっと何かが落ちる。黄色く、円形の固形物。パスタだ。長く太いパスタだ。岐美さんの唾液がべっとりと付いた…所謂、汚物と言って差し支えないパスタだ。
「ひ、ひぇえ!!な…何!?はぁ!?」
「…長めのリガトーニです。これがあれば空腹時にも耐えられるかと思い…喉にしまっていました」
「解説いらない!!」
岐美さんは机の上のリガトーニをじっと見つめて口にした。
「い、一体…いつから?」
「…朝から」
「朝から!?」
僕が驚いている合間に岐美さんは机に落ちたリガトーニをティッシュに包み、大事そうにポケットへとしまい込む。
「ど、どうするの…それ…」
「埋葬します。一度土へ葬り、後の始末は掃除屋の方に委託するのです」
「あ、あぁ…微生物の事…でしょ…?」
「えぇ…その通り…」
岐美さんは不敵な笑みを浮かべて僕に笑いかけた。風になびく長髪は触手のように蠢いていて、酷くおどろおどろしい。
「そろそろ帰ります…」
岐美さんはドカッと椅子を引き立ち上がる。その勢いの緩急に僕の心臓は張り裂けそうなくらいに高鳴った。
「あぁ…それと、さっきの質問の回答ですが」
「え…?」
岐美さんはまるで三日月のように口元を吊り上げ口にした。
「アナタに興味があるからです」
「っ…!?」
蛇に睨まれた蛙。それくらいに生物としての格の差を感じさせる圧だった。彼女さえいなければ僕の人生は輝きに満ちた物である筈だ。彼女という恐れがある限り、僕は二度と前を向けない。
沸き立つ怒りに突き動かされるように僕は机の下で拳を握る。それは自分の為に彼女を残された学生生活の中で御しきる為の決意で信念だった。
「岐美さん、また…明日」
「ふふっ…えぇ、明日が来れば…ですが」
カツ…カツカツッ…!不規則なテンポの足音だけ残して岐美さんは教室を後にした。
「ふぅ…な、何とか…終わった…」
何かの糸が切れたように、僕は自然と机の上に突っ伏した。
岐美さんとの放課後の対話を始めて1週間。かねてより僕の中にあった仮説は現実味を帯び始めていた。
それは岐美葉子は人ではない。彼女は僕たちとは別の生命体であるというものだ。
いや、僕だって分かっている。ただ不気味なだけの岐美さんが人間ではないなんてそんな幻想はありはしないと。ただ、僕がそう思う根拠は彼女を観察している中でいくつも既に見つかっているのだ。
岐美さんは上手く擬態しているようだが、僕は彼女の身体構造が人間のそれとは異なっていることに気が付いている。第一に岐美さんには尻尾がある。これは彼女のスカートの妙な膨らみが尻尾のそれであるという事実に基づいた根拠だった。現にクラスメイトからもそこからふさふさとした尾っぽの先が見えたとの証言が上がっている。最近はそれが岐美さんの耳にでも入ったのか証拠を残す前に対策されてしまった。
第二に岐美さんの名前だ。まず…明らかにおかしいだろう名前が。岐美なんて苗字は効いたこともないし、普通の両親であれば葉子なんて名前にはしない筈。だってそれは明らかに奇妙という熟語を連想させる名前だから。
僕はその名づけの違和感に一つの仮説を打ち出した。
岐美葉子という名前は彼女の両親からのSOSではないか、と。
両親という役割を強制的に与えられた彼らは一縷の望みにかけて自分の娘は奇妙な存在だという事実を密かに訴えかけているのではないだろうか。そう考えると色々と合点がいく。
授業参観は数度あったけれどそこに彼女の両親は姿を現さなかったし、そのことを彼女に追及しても毎度急ぎの用事があると言って姿をくらますのだ。
他にも確信には至れていない十数個の違和感も後押しして、僕は彼女こそがUMAであるとそう結論付けたのだ。
彼女が教室を去ってからどれだけの時間が経ったろうか。気が付くとすっかり日は落ちかかっていて教室には闇が広がり始める。参考書の問題文が読めなくて僕は席を立ちあがる。
「…あと1時間くらいかな」
壁に備えつけられたスイッチを僕は指の腹で軽く押す。蛍光灯がパチパチッと光って、廊下には人の影。
そこにはすっかり帰った筈の彼女。岐美葉子の姿があった。
「う、うわぁああああ!!」
足を滑らせ尻もちをつく。上手く受け身を取れず、体を支えようとした右の手首を痛めたが気付けない。僕は恐怖にその身を飲まれていた。
「…」
ずりずりと廊下に佇むそれから距離を取る。長い長髪が垂れさがり、体の各部に血の跡が滲んでいる。よ、ようやく本性を現したか…岐美葉子。
「ぼ…俺は屈しないぞ!すべて証拠は…!」
岐美さんはゆっくりと僕のポケットを指さして口にした。
「す、スマホを…貸してもらえないでしょうか…」
「え…?」
「帰り道、車に跳ね飛ばされてしまい…ポリスメンへ報告をばと思ったのですが、携帯が無く運転手の方は走り去ってしまわれて…家に帰るよりもこちらの方が距離が近く…井形さんなら、まだ居るという確信の元戻ってまいりました」
岐美さんは俯きがちに淡々と口にした。
い、いや…嘘だろ?流石に…
僕の脳内を無数の疑問が渦巻いた。
まず…車にはねられたのにこんなに元気な事があるのか?曰く、事故現場からここまで歩いて戻ってきたんだろう。そんなにも…人は…頑丈だったか?
「あの…井形さん」
「は、はいっ…!」
「電話代わりにお願いしてもらえますか?私、一度トイレの方に向かおうかと。リガトーニを吐き出した後、空腹から多量に水を飲んでしまいまして。今、尿意が…」
「ぜってぇ、轢かれてねぇだろ!!」
その後、彼女はやっぱいいですと僕に背を向けて暗がりの廊下の奥に消えていった。やはり彼女には裏がある。そう確信できるほどに彼女の行動には違和感が満ち満ちていた。
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