第二ボタン

西海子

第二ボタン

 いつも見ていた。窓際の席について、本を読む目を少し持ち上げて、気取られないように。


 あの人はキラキラして、明るくて、友達に囲まれて笑っていた。私みたいな本ばっかり読んでる陰キャとは住む世界が違う人だった。


 眩しくて、眩しくて。少し見ては胸がいっぱいになって本に目を落とすことを繰り返した。


 話しかける事なんて出来ない。私なんかが話しかけたらあの人は陰ってしまう。私はキラキラしたままのあの人を目に焼き付けて、思い出にして卒業していくつもりだった。


 ――二月の登校日、クラスの中で女子達がキャイキャイとお喋りをしていた。

 私はやっぱり窓際の席でそれを聞くとは無しに聞いていた。


「第二ボタン、予約しちゃった!」

「えー? 誰の?」

「秘密! くれるって約束してくれたの!」

「いいなー、私も予約してみようかなー?」


 ……第二ボタン。

 チラリと制服を確認する。勿論、何度見たってブレザーだ。つまり、第二ボタンはお腹のボタン。お母さんが言っていた、学ランの胸のボタンだから第二ボタンを貰っていたのよって。あなたの心を私に下さいっていう、告白まで行かない儀式めいた何か。


 私は会話の輪に加わったあの人の姿を見つけ、ハッとして俯いた。眩しさに目が潰れるかと思った。私の中でどんどんその眩しさが強くなっていく気がしていた。


 もう目を上げられなくて、鞄から文庫本を取り出した。日差しが緩く射し込む窓際で、心臓をドキドキさせながら本を読み始めた。


 ……もし。

 もし、私が勇気を出して第二ボタンを下さいって言ったら、あの人はどんな顔をするだろう。きっと、怪訝そうな顔で「ごめんなさい」と断られるだろう。


 だから、言い出せない。言えない。このまま私があの人を密かに想い続けたという綺麗な事実だけ抱えて別れていけばいい。


 もう次に姿を見られるのは卒業式の日だ。あの人の進路を知らない私にとっては、もう、たった一日しかないのだ。


 ふぅ、とため息を吐いて目を伏せた。

 心に秘めたままは、それでもやっぱり、苦しいな……。


     ***


 ――卒業式は恙なく終わり、最後のホームルームが終わり、クラスメート達は別れを惜しみながら少しずつ少しずつ、姿を消して旅立って行った。


 私は……椅子から立ち上がれなかった。


 もうあの人の眩しい輝きを見られない。私の淡い想いは、ここで終わるのだ。

 そんな考えに縛られて、どこか虚脱した様に一人きりの教室でぼんやりしていた。

 だから、心底驚いた。


「あの……お願いがあるの」


 躊躇う様な声を掛けられて、あの人がそこにいる事に気付いて。

 ビクリと肩が揺れて、反射的に立ち上がる。


「え……と、何?」


 声が震えそうになって、目が眩しさで潰れそうで、心臓が高鳴って、私は混乱の中にいた。


 あの人は……頬を染めて、綺麗な瞳を涙の膜で潤ませて、覚悟を決めたように私に向き合った。その艶やかな唇から零れた言葉は、私が口にしたくて、でも出来ないと決めつけていた言葉だった。


「第二ボタン、もらえないかな……?」

「っ……え、あ……私、の……?」

「あの、ごめんね。本当に気持ち悪いと思うけど、私、ずっとあなたの事が好き、で……いつも光の中で本を読んでる姿が、大好きで……女神様みたいだなって……だから、その……」


 言ってる途中で感情が高ぶってしまったのか、あの人はポロポロと涙を頬に転がしながら言い募った。


「大学も、同じところ受けて、遠くから見ているだけでも良いと思ってたけど……でも、我慢できなくて……思い出に第二ボタンだけでも、欲しくて……っ」


 私は、その瞬間に愕然と開いた目から涙を零していた。


「わ、私、も……あなたのこと、ずっと見てた……キラキラして、眩しくて、私なんかとは住む世界が違う人で……でも、す、好き、で……第二ボタン、欲しかった……思い出にしたいって……」


 ぱぁっとあの人の顔から憂いの色が晴れた。涙に濡れたままで、私の言葉を受け止めて噛み締めて、微笑んだ。キラキラ輝いていて、目が潰れそうだった。


「ボタン、交換しよっか?」

「……うん」


 私達は、あの人が持ってきていた糸切り鋏で第二ボタンの糸を切ってブレザーから取ると、手渡し合った。

 あの人は私のボタンを胸元で握り締め、またポロポロと涙を溢れさせた。


「勇気出して言って良かった……」

「あの、ね……もし、良かったら……」

「うん……」

「大学でも、一緒に居られますか……?」


 バクバクする心臓は、私の想いを勝手に言葉にして吐き出していた。あの人はハッとした様に顔を上げ、私を見て、がくがくと首を縦に振った。


「うん……うん……っ! 一緒に居たい……居させてください!」


 輝く様な笑顔は私の目を眩ませるのに十分な威力を持っていた。あの人の細かに震える手が、私の手を取った。


「……好きです」


 脳内はもう感情が暴れ回ってぐちゃぐちゃだった。でも、私は言わなくちゃいけないことがある。


「私も、好きです……」


 そして私達は二人きりの教室で手を繋いだまま、そっと触れるだけの口付けをした。


 美しい思い出にしようと夢想していた第二ボタンは、確かな現実の存在として私達を繋ぎ止めてくれた。

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