第3話 的中した即死トラップの警告、しかし勇者は「嘘つき」と俺を殴り飛ばした

「おいグズ、まだ開かねぇのか! もう三分も待たせてるぞ!」


 アレクの苛立ちを含んだ声が、静寂に包まれたダンジョン最深部の回廊に反響する。

 俺、レント・アークライトは、巨大なオリハルコン製の扉の前に膝をつき、脂汗を流しながら解錠作業を続けていた。


「も、申し訳ありません……! 古代魔法王朝時代の複合術式でロックされています。通常の『解錠(アンロック)』魔法では開きません。今、物理構造ごと亜空間へ干渉してパスコードを解析中です」


 俺は震える指先を扉にかざし、スキル『異空間収納(アイテムボックス)』の応用技を行使していた。

 本来、収納スキルは対象に触れて格納するものだが、俺は長年の研鑽により、対象物の構造を「収納するためにスキャンする」というプロセスを確立していた。これにより、扉内部の複雑な魔力回路を透視し、数千桁の魔力キーを逆算しているのだ。


(第3層、セキュリティ突破。第2層、物理ロック解除……よし、いける!)


 カチリ。

 微かな金属音が響き、重厚な扉が地鳴りと共に左右へ開き始めた。


「か、開きました!」

「ちっ、おせぇんだよ無能が」


 アレクは俺の肩を乱暴に押しのけ、真っ先に中へと踏み込む。

 エリスとガイルもそれに続き、俺を一瞥もしない。

 俺はよろめきながら立ち上がり、彼らの背中を追った。


 扉の奥に広がっていたのは、息を飲むような光景だった。

 ドーム状の広大な空間。壁一面に埋め込まれた発光クリスタルが、幻想的な青白い光を放っている。

 そして、部屋の中央に鎮座する祭壇の上――そこには、拳大の真っ赤な宝玉が浮遊していた。


「あ、あれは……まさか!」


 エリスが目を見開き、歓喜の声を上げる。


「間違いないわ! 伝説の国宝級アーティファクト、『賢者の宝珠』よ! あれ一つで小国が買えるほどの魔力を秘めていると言われる……!」

「ははっ! 大当たりだぜ! これさえ持ち帰れば、俺たちは間違いなく歴史に名を残す英雄だ!」


 アレクが顔を紅潮させ、宝珠に向かって駆け出した。

 ガイルも祈りを捧げるようなポーズを取りながら小走りで続く。


 だが。

 俺の目には、まったく別のものが見えていた。


 俺のスキルによる『収納前スキャン』は、まだ稼働したままだ。

 その視界の中で、祭壇の周囲に張り巡らされた、どす黒く脈打つ魔力のラインが警告色(レッドアラート)を示していた。


(――ッ!? なんだこの術式は……!)


 解析結果が脳裏に弾け飛ぶ。

 『即死』『魂の抽出』『永劫の呪縛』。

 宝珠を守るための、最悪のトラップだ。


「待ってください、アレク様!!」


 俺は叫び声を上げ、アレクの背中に飛びつこうとした。


「あぁ? 何だテメェ!」

「近づかないでください! その台座には、解除不能レベルの『即死トラップ』が仕掛けられています! 触れた瞬間、半径十メートル以内の生命体の魂を抜き取る術式です!」


 俺は必死にまくし立てた。

 スキャン情報の正確さは99.9%。間違いない。このまま触れれば、アレクどころか部屋にいる全員が死ぬ。


 しかし、アレクは足を止め、ゴミを見るような目で俺を見下ろした。


「はぁ? 即死トラップだぁ?」

「はい! 古代語のルーン文字が見えませんか!? 台座の裏側にびっしりと……!」

「見えねぇよ、そんなもん。てか、お前ごとき雑魚に古代語が読めるわけねぇだろ」

「そ、それはスキルの応用で……とにかく危険なんです! 一度下がって、僕が遠隔で台座ごと『収納』を試みますから、それまでは絶対に――」


 ドゴォッ!!


 鈍い衝撃と共に、俺の視界が回転した。

 アレクの裏拳が、俺の頬骨を砕いたのだ。


「がはっ……!?」


 俺は数メートル吹き飛び、硬い石畳の上を転がった。口の中に鉄の味が広がる。


「うっせぇんだよ、臆病者が! 俺の聖剣の加護があれば、どんな呪いも無効化できるって知らねぇのか!」

「そ、そうですわよレント。あなた、まさか……この手柄を独り占めするために、嘘をついて私たちを遠ざけようとしたんじゃありませんの?」


 エリスが冷ややかな侮蔑の視線を向けてくる。ガイルも呆れたように首を振った。


「嘆かわしいね。僕たちの絆よりも、自分の保身や手柄を優先するなんて。君の心の汚さが、神聖な場所を穢しているよ」


 違う。

 違うんだ。

 俺はただ、あんたたちを助けたくて……!


「や、やめろ……アレク……! 本当に、死ぬぞ……!」


 俺は霞む視界の中で手を伸ばす。

 だが、アレクは鼻で笑い、躊躇なく宝珠へと手を伸ばした。


「見てろよ嘘つき野郎。俺が本物の勇者の力ってやつを見せてやる!」


 アレクの手が、宝珠を掴んだ。


 その瞬間。

 カッ!!


 台座からどす黒い閃光が走り、術式が起動しようとした。

 遅い。もう間に合わない。

 俺たちが全滅する未来が確定した、そのコンマ数秒の世界で――。


(――クソッ、させない!)


 俺は、反射的にスキルを発動させていた。

 対象は、俺がさっき吹き飛ばされた時にこぼれ落ちた、小さな瓦礫だ。

 『座標指定・収納』。

 そして、0.01秒の遅延もなく『解放(リリース)』。


 転送先は、台座の魔力回路の接点部分、わずか数ミリの隙間。


 バチッ……!


 極小のショート音など、誰の耳にも届かなかっただろう。

 俺がねじ込んだ瓦礫が物理的に魔力回路を遮断し、起動しかけた即死の術式を強制停止させたのだ。


 ……シーン。


 静寂。

 何も起きない。

 アレクの手には、赤く輝く『賢者の宝珠』が握られているだけだった。


「……はんっ」


 アレクが得意げに口元を歪め、俺を振り返る。


「見ろよ、このザマを。トラップ? 即死? 何も起きねぇじゃねぇか!」

「す、凄いアレク! やっぱりあなたの聖なる力が呪いを打ち消したのね!」

「神のご加護だね。それに比べて、あそこの嘘つきときたら……」


 三人の視線が、俺に突き刺さる。

 俺は、ぐちゃぐちゃになった口元を袖で拭いながら、身体を起こした。


「あ……あぁ、良かった……」


 安堵と、どうしようもない徒労感が同時に押し寄せる。

 俺が命懸けで防いだという事実は、永遠に闇の中だ。

 いや、それどころか――。


「おい、レント」


 アレクがゆっくりと歩み寄ってくる。

 その瞳には、これまで以上の昏い光が宿っていた。


「てめぇ、さっきの言葉、忘れてねぇぞ。『下がれ』だの『俺が収納する』だの……やっぱりお前、この宝珠をネコババするつもりだったんだろ?」

「ち、違います! 僕はただ解析結果に従って……!」

「黙れ!!」


 アレクが俺の腹を蹴り上げた。

 胃液が逆流し、俺はたまらず嘔吐する。


「解析だァ? 俺たちを騙してビビらせるためのハッタリだろうが! トラップなんて最初から無かったんだよ! お前の薄汚い嘘のせいで、俺たちの凱旋にケチがついたんだぞ!」


 ガイルが冷たく言い放つ。

 「アレク、もういいよ。こんな卑しい人間と会話するだけ時間の無駄だ。……処遇は、ここを出てから決めよう」


 「そうね。もう用済みだし……『お荷物』は、ここで降ろしていくのが合理的かもしれないわ」

 エリスがクスクスと笑い、意味深な視線をアレクに送った。


 アレクはニヤリと笑い、俺の髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。


「へへっ、そうだな。……おいレント、外に出たら『大事な話』がある。精々覚悟しとけよ?」


 その笑顔は、勇者のものではなかった。

 獲物を甚振ることを楽しむ、魔物のそれだった。


 俺は、寒気と共に悟った。

 彼らはもう、俺を仲間だと思っていない。

 それどころか、もう「生かしておく必要がない」と考えていることを。


 脳内のストレージ管理画面で、真っ赤なエラーログが点滅を続けている。

 『警告:精神的負荷が増大。スキルの暴走係数が上昇中』


(……帰りたい。早く、孤児院のみんなの元へ……)


 俺は、死刑宣告を待つ囚人のように、ただ震えることしかできなかった。

 この先に待つ、真の絶望を知る由もなく。

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