第4話 用済みの荷物持ちはダンジョンの最深部で捨てられる「装備を全部置いて死んでくれ。報酬を4等分するのは割に合わないんだ」

「……あの、アレク様? 地上へのルートはあちらですが」


 俺、レント・アークライトは、薄暗い通路を進む勇者たちの背中に恐る恐る声をかけた。

 国宝級アーティファクト『賢者の宝珠』を入手した後、俺たちはなぜか出口とは正反対の、ダンジョンの未踏査区域――通称『廃棄坑道』へと足を踏み入れていた。


「あぁ? 近道だよ、近道。こっちの隠し通路を使えば、面倒な中層の魔物をパスして帰れるんだ」


 アレクは振り返りもせず、ぞんざいに答える。

 その声色は妙に明るく、先ほどまで俺に向けていた殺気立った怒声とは別人のようだった。


「そ、そうですか……ありがとうございます」


 俺は少しだけ安堵し、強張っていた肩の力を抜く。

 もしかしたら、あの大発見で機嫌が良くなったのかもしれない。

 先ほどの暴行のことも、「まあ、興奮していたから仕方ない」と水に流してくれるかもしれない。


(……甘いな、俺も。でも、そう思いたい)


 頬の激痛に耐えながら、俺は必死に希望的観測にしがみつく。

 このまま地上に戻れば、莫大な報酬が入る。そうすれば、孤児院の子供たちに腹一杯の肉を食べさせてやれるし、雨漏りする屋根も直せる。

 そのためなら、プライドなんて安いものだ。


「着いたぜ」


 不意にアレクが足を止めた。

 そこは、道が途切れた断崖絶壁だった。

 足元には底の見えない暗闇が広がり、遥か下からゴォォォ……という不気味な地鳴りのような風切り音が響いてくる。


 奈落。

 このダンジョン『奈落の顎』の名前の由来となった、世界で最も深い谷底だ。


「こ、ここが近道なんですか? どう見ても行き止まりですが……」

「ああ、行き止まりだ。――お前にとってはな」


 アレクがくるりと振り返る。

 その顔には、これまで見たこともないほど醜悪で、爽やかな笑顔が張り付いていた。


「……え?」

「悪いなレント。ここでお別れだ」


 理解が追いつかない俺をよそに、エリスとガイルが左右から回り込み、俺の退路を塞ぐように配置につく。

 その目は、道端の石ころを見るように冷淡で、感情が抜け落ちていた。


「ど、どういうことですか……? もしかして、クビ、ですか?」


 俺は震える声で尋ねる。

 クビなら仕方ない。また新しいパーティを探せばいい。Sランクパーティでの経歴があれば、どこか雇ってくれるだろう。


 だが、エリスがクスクスと笑いながら杖の先端を俺に向けた。


「あら、クビだなんて優しい言葉、期待してたの? あなたは『知りすぎた』のよ」

「知りすぎた……?」

「ええ。私たちの完璧な連携にケチをつけたり、ありもしないトラップの話をでっち上げたり。そんな不穏分子を生かして帰したら、あることないこと吹聴して、私たちの名誉を傷つけるでしょ?」


 ガイルが悲しげな顔を作りながら、一歩前に出る。


「それにね、レント君。君は『賢者の宝珠』の価値を知りすぎている。もし君が生きて帰れば、当然『報酬の分配』を要求するだろう? Sランク規定に基づけば、君のような荷物持ちにも数%は支払わなければならない」

「そ、そんなもの要りません! 一銭も要りませんから、誓って誰にも言いませんから!」


 俺は必死に首を振った。

 金なんてどうでもいい。命さえあれば。


 しかし、アレクは俺の言葉を鼻で笑い飛ばした。


「はっ! 口約束なんて信じられるかよ。死人に口なし、ってのが一番確実な契約なんだよ」


 ジャキッ。

 アレクが聖剣を抜き放ち、切っ先を俺の喉元に突きつける。


「それにだ。俺たちはこれから『世界を救う英雄』として更に高みへ登るんだ。そのためには金がいくらあっても足りねぇ。お前みたいな無能な寄生虫にやる小銭すら惜しいんだよ。……あ、そうだ」


 アレクは何かに気づいたようにポンと手を叩いた。


「おいレント。死ぬ前に、その『マジックバッグ』と身につけてる装備、全部置いてけ」

「……は?」

「聞こえなかったか? お前が腰につけてるその大容量バッグだ。あと、そのミスリル製のブーツも、耐火マントもだ。全部、俺たちの金で買ったもんだろ? 返せよ」


 俺の思考が凍りつく。

 彼らは勘違いしている。俺が腰に下げているポーチは、ただのカモフラージュ用の安物だ。俺の能力はスキルであって、道具ではない。

 だが、そんなことを説明しても無意味だ。


「さっさとしろ! 斬り落とされたいか!?」


 アレクが剣を一閃させる。

 俺の頬が浅く切れ、血が飛沫を上げた。


「う、うぅ……!」


 俺は屈辱に唇を噛み締めながら、装備を解いていく。

 耐火マントを脱ぎ、ブーツを脱ぎ、腰のポーチを外す。

 最後には、薄汚れたインナー一枚の姿になった。


 寒い。

 奈落から吹き上げる冷風が、肌を刺すように冷たい。

 けれど、それ以上に心が寒い。


 俺が数年間、自分の睡眠時間を削ってメンテナンスし、彼らのためにと揃えた予備装備の数々。

 それら全てを、彼らは「自分たちの所有物」として奪い取ろうとしている。


「へへっ、上出来だ」


 アレクは俺が置いた装備を蹴り飛ばし、ガイルの方へ転がした。

 ガイルはそれを嬉しそうに拾い上げ、鑑定魔法をかける。


「素晴らしい。このマントだけでも金貨五十枚にはなるね。さすがレント君、道具の手入れ『だけ』は一流だ」

「このバッグの中身も楽しみね。予備のポーションがたくさん入ってるんでしょう? もう買わなくて済むわ」


 エリスがポーチを漁ろうとする。

 ……残念だったな。その中には、俺の着替えと携帯食料しか入っていない。

 全ての物資は、俺の『亜空間』の中だ。

 お前たちが奪えるものなんて、何一つないんだよ。


 俺は心の中で、乾いた笑いを漏らす。

 ざまぁみろ。

 せめてもの、惨めな抵抗だ。


「さてと。用も済んだし、そろそろ終わらせるか」


 アレクが聖剣を構え直し、じりじりと距離を詰めてくる。

 俺は後ずさりする。

 小石が、踵の下から谷底へと落ちていく。


「ま、待ってくれ……アレク! 俺たちは、仲間だったじゃないか! 三年間、苦楽を共にした……!」

「仲間ァ? 勘違いすんなよ、ゴミ虫」


 アレクの瞳には、一片の慈悲もなかった。

 あるのは、汚物を処理するような義務感と、加虐的な愉悦だけ。


「お前はただの『便利な道具』だったんだよ。だが、最近は生意気な口を利くし、エラーとか抜かして性能も落ちてきた。……メンテナンスのコストがかかる道具は、捨てるのが経済的だろ?」

「そ、そんな……」


 足元の地面が崩れかける。

 もう、後ろがない。


「それにね、アレク」

 エリスが杖を掲げ、詠唱を始めた。先端に巨大な火球が膨れ上がる。


「この深さなら死体も残らないし、魔物の餌になれば証拠隠滅も完璧よ。『不慮の事故で足を滑らせた』……悲劇的で素敵なシナリオじゃない?」

「違いねぇ! ギャハハハハ!」


 三人の笑い声が、洞窟内に反響する。

 俺の中で、何かがプツンと切れた。


 恐怖ではない。

 諦めでもない。

 それは、ドス黒く煮えたぎる、純粋な『憎悪』だった。


 俺は今まで、何を信じていたんだ?

 いつか認められる? 仲間になれる?

 バカか俺は。

 こいつらは最初から、俺のことなんて人間扱いしていなかったんだ。


 俺の献身も、努力も、0.01秒を削り出した技術も。

 全ては、こいつらを肥え太らせるための餌でしかなかった。


(――許さない)


 脳内のストレージ管理画面が、警告音と共に赤く染まる。

 『感情値リミット超過。精神汚染レベル上昇。自我境界の融解を確認』


 俺は、歪んだ視界で勇者たちを睨みつけた。


「……後悔、するぞ」

「あぁ?」

「俺がいなくなれば、お前たちは……!」


 俺が叫ぼうとした瞬間。


「うっせえ!!」


 ドォォォォォン!!


 エリスの放った爆裂魔法が、俺の足元の岩盤に着弾した。

 直撃ではない。だが、足場を崩すには十分すぎる威力だった。


「あ――」


 俺の身体が、宙に浮く。

 重力が俺の全身を掴み、奈落の底へと引きずり込む。


 遠ざかっていく崖の上で、アレクたちが手を振っているのが見えた。


「あばよ、レント! 来世ではもう少しマシなスキルを持って生まれてこいよなァ!」

「神の御許へ行けるよう、祈っておくよ。……地獄行きだろうけどね」


 嘲笑。罵倒。

 それらが遠ざかり、やがて風の音にかき消されていく。


 落下する俺の視界に、迫り来る闇が映る。

 身体は焼けるように熱い。魔法の余波で皮膚が焼けただれているのが分かる。

 痛い。熱い。悔しい。


 だが、不思議と涙は出なかった。

 代わりに、胸の奥底で冷たい炎が灯るのを感じた。


 死ねない。

 絶対に、死ねない。

 このまま死んでたまるか。


 あいつらに、俺のいない地獄を見せてやるまでは。

 俺が味わった以上の絶望を、骨の髄まで教えてやるまでは――!


『警告:落下速度限界突破。衝突まであと5秒。生命維持確率、0.0001%』

『エラー:ストレージ容量不足。防御リソースが足りません』


 脳内で響く無機質な死の宣告。

 俺は、迫り来る硬い岩盤の底を見つめ、最後の力を振り絞って手を伸ばした。


(……収納……しろ……!)


 俺の意思に応えるように、右手にどす黒い魔力が収束していく。

 そして、俺は暗黒の底へと飲み込まれた。

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