あはらから

このめづき

あはらから

 いつきさまは、十六歳だという。十年ほどをオランダの伯母のもとで過ごしたらしい帰国子女の彼女は、飛び級という実績に恥じることのない、聡明そうな、大人っぽい御姿だった。深草みぐさ先輩に腹違いの妹がいるという話は聞いたことがあったけど、まさか海外に行っていたとは思わなかった。

 今、私と先輩と斎さまは、寮の一室の玄関前にいた。今晩から斎さまが身をおいている仮の住まいだ。寮は学校が所有しているものであるが、生徒でない斎さまにも特例で使用が認められた。ちなみに、私と先輩の部屋は、ここから四つ階段を上がった階にある。

 私達は歓談していた。より正確に表現するなら、先輩と斎さまがぎこちなーく挨拶をしあうのを、私がぼけーっと聞いていた。今更ながら、何で私までこの異母姉妹の再会の場に同席させられているんだろう。

 先輩達はそう長く感傷に浸ることもなく、「じゃあ、今日はもう遅いし、失礼するよ」と先輩が言って、別れることになった。

 私が踵を返して階段の方へ歩みを進めようとすると、先輩が、

「こっちには、いつまでいるんだっけ?」

 と問いかけていた。私は足を踏み出したままの体勢で、顔だけ振り向いた。

「来月まで、です」

 さっきから聞いていると分かるが、斎さまの言葉は、流暢な日本語ではあるものの、やはり少しばかり発音に訛りが見られる。オランダ語訛り、なのだろうか。先輩は「そっか」とだけ言い残して、再び挨拶をすると、歩き始めた。私は一瞬ぼうっとしてしまいながらも、斎さまに会釈してから、その背中に着いていった。

 ……振り返りはしなかったが、扉を閉める音は結局最後まで聞こえなかった。

 私も先輩も、無言で階段を昇る。私が少し出遅れたにもかかわらず、今や私達は隣に並んでいた。私が急いだからではなく、先輩が歩調を合わせてくれたからだ。

 深草先輩は、早くにご両親を亡くしたという。とはいえ、それ以前から家庭内の空気は悪かったらしい。異母妹とかいる時点で、それは察せられるだろう。御本人は両親について語る時、「むしろ、いなくなって清々したよ!」と八重歯を見せて言うが、実際はどうなのだろう。私は、先輩の髪の毛がステップを踏むたびに軽やかに跳ねる様子を眺めながら、そんなことを改めて考えていた。

 先輩のショートカット……風呂上がりで、艶があって、シャンプーのいい香りがして……思わず、見惚れてしまう。私は半ば慌てて視線を下ろした。すると、先輩が学校の制服を着ているのが見える。「妹に会うのだから、相応の格好をしなきゃね」と言ってわざわざ着替えたのだ。

 やはり考えてしまうのは……深草先輩にとって、斎さまはどんな存在なのだろう、ということだ。……斎さま、敬語だったな。姉妹とはいっても、何年も会っていなかったら、他人みたいなものなんだろうか。オランダへ旅立つ前の話は少ししか聞いていないけども、その頃から、他人同士だったんだろうか。

 私達は部屋に入った。寮の部屋は、学年の異なる同性の二人、または三人で共有することになっている。同居人は、年度初めに学校側が素行やバランスを考慮して決める。私と先輩は、そうして知り合った。

 さて、重苦しい空気は御免だし、お風呂に直行――


「可愛いすぎるぅうううううううううううううううううううううううう!」


「な、なんですか急に!」

 玄関で靴も脱がずに、いきなり先輩が叫んだ。

「見てた⁉ 斎のあの顔! くりっくりした瞳! 控えめな口元! つやっつやな肌! 我が妹ながら、可愛いすぎる! あ、いや、我が妹だからこそ、可愛いのか!」

「…………」

 ……なんだろう。さっきまで私が感じていた感傷とか哀愁とか、全部返してほしい。

 うん、そういやこの人はこんな人だったな。恋多き乙女を自称しているだけあって、節操がないんだった。いつもの好色の虫か。……うん? もともと男女の見境ない人だから、百合はいいんだが、今回、相手妹だぞ。……肉親だぞ?

 私がそう言うと、「いいんだよ、腹違いなんだから。それに、十年会ってなかったらもう他人だよ? 妹への懸想はよくないとか、そういう自制心、あるわけないじゃん」と、先輩はのたまった。

 私が言葉を失っている前で、先輩は「いやー、どうしよう、どうしよう」とルンルン踊っている。

 ……アホくさ。とりあえずお風呂行こ──うとすると、先輩に肩を掴まれた。

「まあ待て。まさか、私に育てられた恩を忘れたわけではあるまいな?」

「育てたって……私と先輩、まだ会ってから半年じゃないですか」

「何を言う。私がいなかったら、二条にじょう、キミは今頃海の藻屑だぞ」

「そんな危険な学校生活送ってませんよ」

「まあほら、恩を返すと思ってだ。たまには、頼みを聞いてもいいんじゃないか?」

 もう十分すぎるくらい返してると思いますが……恋多き乙女(笑)の頼みを今まで何度聞いたことか。

 ……まあでも、感謝してるのは事実だし……聞くだけなら、別にいいか。

「ふむ、さしあたってまずは、デートの約束からか……」

 性急過ぎでは?

「おお、そういえば、ちょうど今の時期は嵐山が見頃だな。スポットはそこにしよう」

 ツッコムのも正直面倒なので言わないが、黄葉シーズンは二週間前に終わっている。この先輩が言っているのは、「嵐山の落葉した木々の梢を見に行こう」ということだ。

 ……それの何が楽しいのか、私には分からない。渋すぎる。いつの時代の行楽だ、それ。

 なにはともあれ、これで分かっただろう。つまり、アプローチの回数にもかかわらず先輩に恋人が現在進行系でおらず、さらに現在完了形で未経験なのは、その世間からズレにズレまくったセンスが主な原因だ。

 先輩はようやく玄関から上がって、手紙をしたため始めた。私も靴を脱いで、生温かく見守りながら、今回も破滅ルートかなーと考える。先輩は失恋すると、四時間ほど私の胸にうずくまって泣きじゃくる。確かに迷惑は迷惑なんだが、でもそのしおらしさが結構可愛らしくて癒やされるので、むしろ私としてはじゃんじゃん失恋してくれて構わないと思っている。うーん、なかなか爛れた関係だよなぁ、私達。

「できたっ。よし、じゃあこれを届けてくれ給え」と手紙が差し出される。

「……なんか、まるで召使じゃないですか、私」

「あながち間違っていないだろう」

「それにはちょっと異議を申し立てますが」

 溜息。

「まあまあ。何事もなく渡してくれたら……」

「くれたら?」

「キミの忠誠心を再評価しよう」

「この上なく上から目線ですね」

 まったく、失礼だな。まあ、手紙は渡しに行くけど。

 手紙を受け取ると、先輩は「じゃあ、当たり障りのない挨拶をして、渡すだけでいいから」と言ってきた。「はいはい」と返しながら靴を履く。

「それと、絶対手紙は読むなよ!」

「はいはい」

「絶対だからな! フリじゃないぞ!」

「分かってますよーと」

 私は後ろ手に扉を閉めて、

「さて、と」

 手紙を開封した。

 自慢じゃないが、私は手紙を読むなと言われて、読まなかった例はない。第一、本当に読まれたくないなら自分でポストに投函すればいい。だから、先輩のあれは読んでくれというサインなのだ。いわゆる複雑な乙女心というやつなのだ。私は分かってますからね、先輩♪

 さて、手紙には、「あなたは知らないでしょう。久しく出会っていなかったあなたの面影が、私の心に引っかかっているということを」と書かれていた。……うげー。胸焼けが。これを腹違いの妹に向けて書いているという事実が、なんかゾッとする。

 すっかり夜も更けている。ついた嘆息も僅かに白いので、手紙に再び封をすると、私は足早に階段を下りた。斎さまの部屋の前に着いて、インターホンを鳴らした。もう寝ているということはないだろうが、出てくれるだろうか。

 十秒ほど待つと、さっきも見ていた少女が、ドアから姿を現した。こうして改めて見ていると、なるほど可愛らしい。髪は斎さまの方が長いが、どことなく先輩の面影があるように感じられた。

「……あの、何の用ですか」

 いけない。ぼうっとしていた。

「ああ、すみません。えーと、私は、先ほど先輩――深草先輩と一緒にいた者ですが……」

「ええ、覚えていますよ。二条さんでしょう?」

「覚えていて頂けたようで幸いです。実はですね……」

 私は斎さまに、先輩が貴女に惚れて恋文をしたためたのだということを、極めてドラマチックに申し上げた。

 斎さまは聞いている最中も何も言わず、ただ途中から頬を少し赤らめ始め、話を聞き終えた後は、混乱なさった御様子だった。手紙を差し上げたが、読むでもなく、抱えていた。ま、そりゃそうだ。久しぶりに会った姉からラブレター渡されて冷静でいられるわけがない。しかし、絶対先輩からは相手の感想を求められるだろうから、収穫無しで帰るわけにもいかない。

「深草先輩には、何とお伝えしましょう?」

 問いかけたが、魂ここにあらずといった調子で、返事がない。「あの?」と確認すると、斎さまはようやく自我を取り戻したらしく、

「え、あ、はい。えーと、その、思いがけない言葉をいただき、私は、できません、すぐに返事すること」

 ……うん、とりあえず混乱していることはよく分かった。私は落ち着かせようとしたが、斎さまは、

「え、えと! その……し、失礼しましゅ!」

 と奥へ行って、扉を閉めてしまった。…………。……なんか、非常に申し訳ないことをしてしまったような、妙ないたたまれなさを感じる。……帰るか。

 帰ると案の定、先輩が迫ってきた。とりあえず、事実をありのままに伝える。

「マジか。うっわ、これは……」

 いやはや、斎さまには、完全にドン引かれましたね、あれは。縁を切られても、おかしくは――

「勝ったな! 断られなかった! やったぜ!」

 えー。

「よし、そうと決まれば、もう一回斎のもとへ行くぞ! 連れてけ連れてけ!」

 一人で行ってくれよ。

 そう思いはしたが、ウザいし、お供するくらいなら大した手間でもないので、また外へ出た。そういえば、先輩はいつの間にか寝巻きに着替えていた。制服はやはり合わないと気付いたのだろうか。

 斎さまの扉の前に立つ。

「さて、鍵はどうしようか」

「さっき、多分鍵かけてなかったと思いますよ」余裕なさそうでしたし。

「あ、ホントだ。……失礼しまーす」

 何故か体を縮こませて入っていく先輩。そうして先輩は手で招くような仕草をしたが、私が肩をすくめるジェスチャーだけで遠慮すると、先輩は口を尖らせ、扉を閉めた。

 ……その後のことは、私は知らない。

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