神絵師になりたい
休日の夜、自宅のアパートに帰ったカズマは買い出しの袋を置いてはさっさと自炊に取り掛かる。カズマの自宅はワンルームながら色んなグッズで溢れ返っており、そこそこ散らかっている。まさに男の一人暮らし部屋といった印象だ。夕飯のメニューは豚汁と肉じゃがと白米。自炊スキルはそれなりにある方だ。
「うーん、まだまだ味が薄いな」
豚汁の味噌の量が足りなかったかとぼやきつつ、テレビを付ける。主な視聴はアニメ番組がメインである。今日は創作のアイデア構想の参考を兼ねてバトル系のアニメを見てみようと考える。そして奈月から課された『メイドキャラが仲間になる』シナリオ考案だ。
(仲間になるメイドっつったらやっぱ戦闘できるキャラなんだろうなぁ。武器とか何が似合うんだ?)
そんな事を考えていると、スマホの通知音が。『LAIN』通知で、実家にいる母親・恵子からのメッセージだ。
『カズマ、仕事どう? うまくやってる?』
何だそんな事かよ、と思いつつも適当に返信するカズマ。
『それならいいけど、母さん最近ちょっと疲れやすくなってさ……年のせいかな。父さんがいるから大丈夫だけど』
カズマの両親は50代で共働きの身であり、兄弟はいない。恵子はパート勤めで、父親の嘉男は車の整備士である。時折両親と連絡を取り合っていて、恵子はやや干渉気味なところがある印象で、親子の仲は良い方といったところだ。
「全く母さんは……いちいちどうでもいい事でLAIN送ってくるなっての」
適当に返信しては夕食にありつけ、テレビに映っているアニメを堪能するカズマ。アニメの場面はハンマーを武器に戦っている美少女キャラ。ハンマー? ハンマーねぇ……カズマは創作アイデアについて色々考え始めた。
同じ頃、自宅のアパートに帰った奈月は自炊の夕食を済ませたばかりで、食器の洗い物をしていた。奈月が住むアパートはカズマが住むアパートから少し離れた場所にあるものの、徒歩20分前後で辿り着けるので、お互い気軽に自宅へ遊びに行ける距離だった。洗い物を済ませたタイミングで、奈月のスマホに通知が鳴る。実家にいる弟・悠真からのLAINメッセージである。
『姉ちゃん、元気してる? 今日、友達に姉ちゃんの絵見せたらめっちゃ上手い! お前の姉貴、まさか神絵師かよ! って言ってたよ!』
そんなメッセージを見た時、奈月の目がキラキラし始める。
「ゆ、悠真あああああ! 私の絵をお友達に布教してくれて、しかも神絵師認定だなんて流石は私の弟! ああああもうラブ! ほんとラブ! 今度帰省した時に感謝の気持ちを込めて、ぎゅううううううっと抱きしめて胸に顔埋めさせるに決定! はぁん、我が愛しの弟ぉ……ずーっと抱きしめてあげたくなるくらい大大大大大好き!」
物凄いテンションで舞い上がりつつもスマホ画面を胸に抱き、近くにあった小さな犬のぬいぐるみを悠真だと思ってチュパチュパしつつ抱きしめながら顔をスリスリする奈月。次の瞬間、奈月の脳内に「奈月きめえ……」「うっわぁ……」「キモイ」「きっしょ……」「こいつ病院行った方がいいんじゃね?」といったコメントが再生され始める。だが奈月は瞬時に気持ちを切り替えて返信する。
『あっりがとおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 姉ちゃんが神絵師である事をお友達にどんどん布教したまえ! これは姉からの命令だよ! 帰省したらめっちゃ抱きしめるよおおおお!』
『うん、どんどん布教する! って抱きしめるって恥ずかしいよ……(笑)』
ニヤニヤと笑いながら奈月はスマホ画面を見つめる。奈月の家族は弟の悠真、両親の四人家族。悠真は今年で高校一年生になったばかりの16歳で、奈月とは9歳離れている。弟との仲はとても良い上に喧嘩すらした事がなく、今でも積極的に連絡を取り合ったりして弟に溺愛している程だ。悠真も姉である奈月の事が大好きで、高校生になっても子供っぽいところがあるという。意気揚々とデッサン構図本、デッサン人形を取り出し、テーブルに置かれたノートパソコンの電源をオンにする。奈月のインターネットタイムとお絵描きタイムの始まりである。
「よっし、デッサンをマスターすれば上達出来るはず……!」
インストールされているお絵描きソフトを立ち上げ、ペンタブレットを使っての下書きに入る奈月。同時にスマホで呟きツール「eX」にアクセスし、自分のアカウントとタイムライン、そして返信欄をチェックする。返信欄にはこんなメッセージが書かれていた。
「色合いは綺麗で構図は悪くないけどデッサンが色々おかしい。あと手の形がでかいのが気になる。もう少しの改善に期待したいですね」
メッセージの送り主は喜宇雨という名の人物。一か月前に奈月と相互になったイラストレーターを自称する絵師であり、綺麗な色合いかつ幻想的な絵を描く神絵師と呼ばれていた。喜宇雨の絵柄は奈月にとって好みであり、憧れでもある。しかし喜宇雨は絵に対する情熱が半端ないタイプでもあり、相互の絵描きに色々手厳しい指摘をする程であった。実はカズマを連れて画材屋でデッサン構図本等を買いに行ったのも喜宇雨に神絵師だと認めてもらいたい目的であり、批判を受けたが故に上達して見返したい気持ちもあったからだ。満足いく絵を描くにはまず急いではダメ。じっくりとデッサンをこなしてから取り掛かる。そしてバランスに気を付ける。そんな事を考えながらも、奈月はデッサンの骨組みを書き始める。奈月の新しいお絵描きが今、始まった。
翌日、カズマは職場の休憩室でスマホをジッと見つめていた。eXの奈月のアカウントに投稿されている色々なイラストを見ているのだ。
「どうも兄さん! 今日は何見てるんですか?」
城ノ内が興味深そうに覗き込もうとしたら、即座に避けるカズマ。
「お前な。人のスマホ覗き見するのはマナー違反だぞ」
「ハハハ、すんません。えっちなイラストでも見てらっしゃるのかなと思いまして!」
「ドアホ! 職場で見れるかっての」
カズマと城ノ内は先輩後輩の間柄でありながらも、お互いにとって最も話しやすい存在と認識しており、距離感が近い関係でもあった。
「あ、もしかして奈月さんの絵見てニヤニヤしてんスか?」
城ノ内が見事に当ててくる。ちっ、やっぱり覗いてたなこいつと思いつつもそうだよと答えるカズマ。
「奈月さんって絵上手いっスよねぇ。こんな相方さんがいる兄さんが羨ましいですよ!」
「うん、奈月は間違いなく俺の中では神絵師だよ。てかお前、奈月を前にしたらやっぱりあがってしまうの?」
「そ、そうっスねぇ……奈月さんは美人というか、めっちゃ可愛い方ですから!」
城ノ内は極度のあがり症であり、女性が苦手である。少し前にカズマが奈月のいるカフェに城ノ内を連れて行った時、奈月を前に赤面してあがってしまい、緊張のあまり震えてしまった程だ。
「は、はははははは、初めましててて! ぼ、僕はじょ、城ノ内梢です!」
「そ、そんなに緊張しなくても……」
「悪い、こいつ女を前にすると物凄くあがってしまうんだよ」
「そうなの……気を遣いそうな後輩くんね」
「ま、まあそのうち慣れると思うから仲良くしてやってくれよ」
カズマは試しにスマホに入ってる奈月の写真画像を城ノ内に見せる。しかもゴスロリ衣装で可愛くポーズを決めてる奈月である。
「ひっ、ひえええええ! ゴスロリ姿の奈月さん……ぼ、僕には刺激が強すぎますすす!」
画像を見ただけで赤面する城ノ内。こりゃあ重症だな、とぼやくカズマであった。
今日も仕事帰りの夕方のカフェタイムが訪れる。店内に入るとココアを飲んでいる奈月がいた。
「や、カズマ! 宿題は済ませた?」
「宿題って、俺はもう学生じゃねーんだぞ」
そう、奈月からの宿題という事で合同創作のネタの一環であるメイドが仲間になるシナリオを考えてくる事であった。カズマが提案したメイドが仲間入りするシナリオは、元々大富豪のメイドだったが、要領が悪いせいで同僚からのいじめに遭い、更に待遇の悪さに耐え切れなくなって脱走。そして自由気ままに放浪して色んな物品を拾って路上販売で生活費を稼いでいた。主人公はその路上販売を発見して色んな物品見ていたらその中に重要なアイテムがあった事を知り、それ売ってくれとせがんだら莫大な料金を要求されてしまう。そんな中、魔物軍団の襲撃に遭い、主人公は魔物を全て倒すと、メイドは過酷な仕事から脱走して行き場をなくした身だから自分も連れて行ってくれと頼み込む。しかも元々力持ちで武器はハンマーを使っていたから少しは役に立てると主張する。そして仲間になる、という展開だ。
「うーん……まあ展開としては悪くないかな。それでいってみよか」
奈月のOKサインにカズマは素直に喜ぶ。合同創作のアイデアがてらオタクトークの始まりである。
「やっぱさ、イケメン要員と美少女要員は絶対欲しいよね。ヒーラーキャラはイケメン枠でよくない?」
「そういうのお前なら好きそうだよな……俺は別にいいと思うぞ。でもって魔法要員は美少女か?」
「あー、魔法要員はショタでいく!」
「ショタぁ? いかにもお前の趣味全開だな」
イケメン、ショタは創作で絶対に出すと決めていた奈月はニヤニヤしていた。更に奈月のアイデアは続く。
「そして美少女は戦士要員! しかも巨乳キャラで!」
「巨乳かよ……バストはどれくらい?」
カズマはジッと奈月の胸元を見つめる。
「ん? 何見てるのかな?」
視線を感じた奈月がカズマに邪悪な笑みを向ける。
「な、何でもねぇぞ!」
慌てて首を振るカズマだが、奈月はそっと顔を近付ける。
「ふーん、私のバストをモデルにしろって言いたいわけ?」
「ち、違うっての!」
「バカ、私よりもずっと大きくするんだよ! Fカップで!」
「え、えええええFぅぅ?」
Fカップは考えた事なかったぞと心の中でカズマが突っ込む。
「よーっし! メインキャラの構想がだんだん固まってきた! 後は主人公! 主人公は男の子がいいかなぁ」
奈月は手元のメモをざっと見直す。
「俺、バトルヒロインの女主人公に惹かれるんだよなぁ……つい最近それ系のアニメ見てたからさ」
カズマが見ていたアニメの中には、元々現代に住んでいた高校生の少女が異世界ファンタジーの女騎士に転生して様々な個性派キワモノ揃いの仲間と出会いながらも世界を救うという王道かつ変わり種なギャグ系の作品が存在する。それの主人公キャラがカズマにとってツボだったので、女騎士タイプを主人公にしたらどうだろうという提案であった。
「うーん、それだけじゃあ主人公としてはインパクト薄い気がするんだよね」
奈月のダメ出し。主人公とならば特別な存在と呼ばれるようなウリが必要だと考えているのだ。
「そんなわけで奈月ちゃんからの宿題です! 主人公らしい要素を考えてきなさい! 期限は明日まで!」
「また明日までかよ!」
主人公候補となる女騎士の主人公らしい要素を明日までに考える羽目になってしまったカズマ。そんなトークをしているうちに時間は過ぎて行き、気が付けば夜になっていた。閉店近くの時間になると、それぞれの自宅に帰っていく二人。奈月が自宅に帰った頃、スマホから通知音が鳴る。eXにてリプライが来た通知である。eXを開いて新着リプをチェックすると、なんと全部喜宇雨から。
「この絵は全体的に色合いのバランスが不安定なのが気になる。あと頭のバランスがやや不自然」
「手の描き方が変な感じに見えます。自分の手を参考に描いてみてはどうでしょう? 他に目の形がアンバランスです」
「手足が太めなのが気になります。全体的に線が目立ち過ぎて拙さが目立つ。もっと頑張りましょう」
奈月の過去に投下したイラストにいくつか批評と指摘をしているのだ。しかも絵の感想すらなく、厳しい評価ばかり。
(は? 何なのこの人……いちいち過去絵漁ってまで、しかも上から目線で言うか?)
喜宇雨の謎のリプ爆撃に不審なものを感じ取った奈月はブロックしようかと思ったものの、喜宇雨の描く絵はどれも奈月好みで、易々とブロックしたくない気持ちが生じてしまう。プロの絵師だからこそ言えるのかな? 私の絵の向上に期待しているから言ってるのかな? でも何か腑に落ちない。まるで私が思いっきり下に見られてるみたい。奈月は返信せず、放置を決め込む事にした。夕食を済ませては入浴を経て、お絵描きの続きに入る。作業用BGMとしてテレビに好きなアニメを流す。新しい絵が完成し、eXに投下する。創作キャラとして出す予定のオリジナルの巨乳の美少女戦士だ。小柄で胸は大きく、武器は大剣。そして露出度が高めの服装と男ウケするタイプのキャラで、「描いてて楽しかった! オリジナルの巨乳戦士です」とコメントを添えている。ふふふ、我ながら悪くないキャラデザだと自画自賛する奈月。早速リプが来る。幾つかの絵描き仲間のフォロワーから「可愛い!」「巨乳! 最高です!」「奈月さんの巨乳っこ好き!」等と絶賛の声。更にカズマからのリプ。「おおおこれ絶対出そう! 最高すぎる! 巨乳万歳!」と絶賛のあまり拡散もしていた。ハハハ、どんどん広めちゃってと笑顔になる奈月。だが次の瞬間……
「こんな大きすぎる胸はありえません。小柄体型でありながら胸が大きすぎるって現実にいたら気持ち悪いですよ。体型と胸の大きさのバランスを考えましょう」
喜宇雨からのリプだった。奈月の表情が険しくなる。
「この人さっきから何? 私に喧嘩売ってる? あんないい絵描いてるのにこの人のリプ、だんだんムカついてきた。周りに神絵師扱いされて調子乗ってるんじゃないの?」
あまりにも納得いかない評価を受けた奈月は思わずLAINを開く。
『ねえカズマ。今さっき投下した絵のリプ欄見て欲しいんだけど』
カズマ宛に送信したメッセージにすぐ既読マークが付く。
『見た。何だあいつ? 絵師なのか?』
『うん。イラストは間違いなく神レベルなんだけど……私だけじゃなく、繋がりある絵描きさんに片っ端から批判リプばっかりしてるみたい』
奈月は喜宇雨のアカウントをチェックしていると、奈月以外の絵描きのフォロワーにも次々と絵の指摘、批判リプを飛ばしているのを発見する。リプ先のアカウントを見ても批判の依頼があっての上というわけではない。しかも二次元特有の非現実的な要素にリアリティを求めるような批判まで目立ち始め、一気に不信感を募らせた。
『こいつ……どう見てもまともじゃないな。絵師が色んな絵描きに批判ばかりしてるとかどう見てもおかしいだろ』
『だよね。自分以外の絵描きを見下してるとしか思えないし、ブロックしよかな』
『それが一番だな。関わってもろくなもんじゃねぇよ』
カズマとのメッセージのやり取りで奈月は思い切って喜宇雨のアカウントをブロックした。
「絵は良かったのにな……人間性が無理だと作品を見たいとも思えなくなるよ」
溜息を付き、奈月は気を取り直して次描く絵のアイデアを構想していた。が、喜宇雨の批判リプがどうしても心に引っ掛かってしまい、何度もデッサン構図本を凝視しつつも、スケッチブックでデッサンを描く。
「はぁ……どんな絵でも描ける神絵師になりたいなぁ」
思わず自分の画力を自己分析する奈月。絵柄はどっちかというと可愛い系。デジタル絵ではキラキラ感のある雰囲気でどこか儚げな印象がある。アナログ絵では色鉛筆特有の雰囲気による温かみがある絵柄という印象だ。カズマやフォロワーから沢山評価されているものの、奈月自身は自分の絵について別に上手いと思っているわけではなく、理想通りの絵が描けないとかで悩む事だってある。また、描きたくても描けない構図や、思い描いた構図を形にしようにも出来ない壁にぶち当たったりもする。絵描きとしての自分の技量の未熟さを痛感する事だってよくあるのだ。ふと奈月は棚の上にある写真立てを見る。まるで子供の落書きのような、ぬいぐるみみたいな丸っこい柴犬の絵がある。しかも『ハッピーバースデー!』と描かれている。そう、去年の奈月の誕生日にカズマが祝いを込めて描いた絵であった。
(ふふ……今年もカズマはこういう絵、描いてくれるのかな)
カズマの手描きの柴犬の絵を見て思わず笑顔になる奈月。そしてLAINでの悠真のメッセージを見る。
(悠真……あぁ悠真……姉ちゃんの絵、お友達に見せてくれてありがとう……大好き……)
ますます遠くにいる弟を抱きしめたい気持ちになりつつもスマホを胸に抱き、スケッチブックでのデッサンを再開する奈月。この日はデッサン構図だけで終わり、今日はもう寝る事にした。
そして次の日の夕方、仕事上がりでカフェにやって来たカズマは奈月に主人公候補となる女騎士の主人公らしい要素のアイデアを発表する。『とある王国の王女に拾われた孤児』『育ての親となる王女は姫騎士でもあり、主人公は騎士として育てられた』『孤児は謎の刻印を持つ存在で、王国の人や本人は刻印が何なのか知らない』『異国では謎の刻印を持つ者は災いを運ぶ存在とされている』といったものだ。
「へえ……いいね! その謎の刻印がストーリーのカギになりそう!」
「だろ? 我ながら中二病って感じだがそこがまたいいんだよ!」
「ファンタジーに中二要素はあってこそ! ふふふ、ますます滾るね!」
創作意欲を燃やす二人。次に奈月が描く絵は主人公のキャラデザであった。
自宅に戻った奈月は夕食を済ませてからデッサン構図を元に、本格的なお絵描き作業に取り掛かる。もう喜宇雨の事はさっさと忘れよう。あの人がたまたまおかしかっただけで、自分好みの絵を描くまともな絵師は沢山いるんだから。そう思いながらもデッサン構図を取り、入浴を経てペン入れが始まる。その時、通知の音が鳴る。カズマからのLAINであった。
『昨日の喜宇雨さんって絵師いただろ。どうやら墓穴を掘ったようだ』
墓穴? 何の事だと思いつつも添付された画像を見てみると、喜宇雨の呟きログのスクリーンショットだった。そしてこんな呟き内容が。
「底辺のくせに絵描きとかいかにも雑魚って感じでウケるんだけど(笑) デッサン狂いまくってて手の描き方が気持ち悪い絵を描く奴もいるし。私の批評でキレてブロックする雑魚は図星ですかって事で絵を描く資格ないよ。上達する気配のない下手くそはネットに出さずチラシの裏に描いてればいいのに、恥知らずデスネー」
奈月は目を見開かせる。アイコン、ID名も昨日まで見た喜宇雨そのものの呟きログだ。思わずブロックしたばかりの喜宇雨の呟きログをざっと見るが、既に削除されているのか見つからない。画像の呟き内容の発言時間は本日の20時37分。現在の時刻は22時16分。つまり2時間近く前に出た発言だったのだ。
『正直許せねぇと思ったから晒しとくわ。絵師がしていい発言じゃないし、裏垢で呟いたつもりがうっかり間違えて本垢で呟いちゃったパターンだと思う』
奈月は内心怒りを覚えつつも、カズマのメッセージに賛同した。そう、カズマの推測では裏アカウントで愚痴感覚で呟くつもりが、アカウントの切り替えを忘れていて本アカウントで呟いてしまったという事だった。その証拠に呟き内容は削除されている。だが、リアルタイムで目撃していたカズマは絵師としてあり得ない発言だと感じた上、遠回しに奈月の絵を馬鹿にされた怒りも含めて喜宇雨の問題発言を晒した。
「あの、これって絵師がしていい発言ですか? 底辺だと見下した挙句、ヘタクソはチラシの裏に描いてればいいって……絵師がしていい発言なんですか? 少なくとも俺は許せない。俺にとっては神絵師である相方の絵を馬鹿にした事は誰であろうと許さない」
喜宇雨の問題発言のログ画像を添えたカズマの呟きを見た奈月は即座にリポストした。本当にその通りだよ。最初は自分好みの絵を描く素敵な方だと思ってたのに、人間性がここまで腐ってたなんて、腹の底に潜んでいるドス黒い本性を見た気分だ。カズマの呟きは瞬く間に拡散され、喜宇雨に非難が殺到する。
「何なんお前? 何様のつもり?」
「神絵師と讃えられて調子乗ってる?」
「ヘタクソはネットで絵を描くなって言いたいんですか?」
「絵は神なのにあなたの人間性がこれだと魅力すら感じませんね」
「お前って今まで自分よりも下だと思った絵に批判ばっかりしてたよな。本性見て納得できたわ」
非難のリプはどんどん増えていき、喜宇雨は反論すらせずアカウントに鍵をかけ、非公開にしてしまう。それでも非難の嵐は収まらず、喜宇雨のフォロワーも次々と非難している程だった。
「逃げたか……ヘドが出る」
奈月はハラワタが煮えくり返る気分になりながらも、カズマにLAINでメッセージを送る。
『あんなのを素敵だと思ってた自分がバカみたい。本当に本人が描いてるのかも怪しく思えてきたよ』
『ま、何にしても奴はもう終わりだろ。後は気にせず楽しく描こうぜ』
『そうだね。楽しく描くのが一番だよ』
少し間が開くと、再びカズマからの返信。
『俺はお前の絵、大好きだしいつも楽しみにしてる。奈月は俺の中では神絵師だよ。誰かにとっての好きな絵を描いて喜ばせる事ができる絵描きだったら、もう神絵師でいいと思ってる。いや、神絵師に拘らなくてもさ……描きたいものを自由に描けばいいと思ってるよ。絵が描けない俺の考えだけどな』
カズマの一言に思わず心を打たれる奈月。そうか、誰かにとっての好きな絵を描く……私の絵が好きだと言ってくれる人は沢山いる。相方のカズマは勿論、私をフォローして反応してくれる人達の中に、私の絵を楽しみにしてると言ってくれる人もいる。その人達からすると、きっと私は神絵師なんだ。何だろう、何かが吹っ切れた気がする。誰かが好きだと言ってくれるから、誰かがいつも楽しみにしてると言ってくれるから……きっと私は絵描きとして頑張れる。
「……よし、いっちょ再開しますか!」
深呼吸して、お絵描き作業に入る奈月。下書きとなるラフ線画は、剣を持った女騎士のキャラクター。つまり、主人公となるキャラだ。
「あ、これ……思ったよりいいキャラデザになりそう」
ニヤリと笑いつつも、奈月は線画作業に取り掛かる。奈月のお絵描きは、始まったばかりなのだ。そしてカズマはこんな呟きを残していた。
「ずっと前から思ってたんだが、絵は上手くないとネットに出してはいけないとかいう決まり事ってあるのか? 下手な絵はネットに出してはいけないって誰が決めたんだ? 少なくとも俺はそんな決まり事なんて聞いた事がない。俺は絵が描けないけど、絵で仕事するつもりとかプロ目指してるとかじゃなければ上手いとか下手とかどっちでもよくね? お互い楽しく描けりゃあそれでいいじゃん」
カズマの呟きを見た奈月は「本当にその通りだよ。私は趣味で描いてるだけだし、楽しく描ければいいやって考えだから……」と頷くばかりだった。非公開アカウントで雲隠れしていた喜宇雨は数日後に鍵を開放し、問題の呟きは裏アカウント用の愚痴のつもりだったと発言し、周りからの評価に溺れてしまった故の行動だと打ち明け、自分の発言で深く傷付いた絵描きに謝罪していた。だが、炎上を招いてしまった結果、フォロワーからの信頼を失う事になり、絵師としての地位を失ってしまった。そして喜宇雨は絵師としての活動を封印すると宣言し、アカウントは消滅した。
絵描きの界隈にも悪意は存在していた。絵を描く者でありながらも技量と評価に溺れ、他者を下に見るようになり、やがて自分よりも技量が劣る人物を見下す思考を抱いてしまった者。それは界隈における一つの闇ともいうのだろう。
誰かにとっての『好き』を描く人。その『好き』を描く事でその人を喜ばせる事が出来ればそれでいい。その言葉が一人の絵描きの心を大きく動かし、今も楽しく描いている。そして彼女は思う。
誰かが好きだと言ってくれるから、私は絵描きとして頑張れる。上手いとかに拘らず、楽しく描ければそれでいいんだ……と。
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