第6話 実験体
ソレはただそこにいた。
窓のない薄暗い室内、薄っぺらい毛布に目の前の鉄格子。そして……自分を観察する幾人かの白衣を着たニンゲン。
ソレに与えられるのは僅かばかりの水だけ。ソレは水に根を伸ばして渇きを癒やし、古びた魔導灯へと葉を伸ばし薄ぼやけた光で飢えを凌ぐ。
時折、白衣のニンゲンがやって来てソレの右眼を回収していく。
これがソレの世界の全て。
趣味といえばニンゲンの観察か。
ニンゲンはソレが言葉を理解しているのを知らないないのか、様々なことを話している。
「実験体」
「成功例」
「魔喰樹」
これはソレを指す言葉。
「金が無い」
「金眼を゙売る」
「進展がなければ研究が……」
これはニンゲンの現状。
最近、右眼を取りに来る頻度が上がったのはこのせいだろう。ただ水しか与えられていないソレの回復速度は微々たるもので、中々目が再生されないことにニンゲンは苛立っている。
今日もニンゲンがやって来て「実験だ」と言って血を抜いていく。
ソレはただぼんやりとその様子を見つめていた。そこには何の感情も浮かんではいない。怒りも悲しみも、恐怖さえ。
だってソレは知らないから。自身の置かれた状況の意味を、外の世界を。
ただ生きる。
これだけがソレが知る唯一の本能だ。
だからソレは気付かない。終わりの足音がすぐ側まで近付いていることに。
その日もいつもと変わらずに始まった。
ソレは与えられた水に根を伸ばし、チビチビと渇きを癒す。そうして暫く目を瞑っていると不意に右眼が熱を持ったかのように熱くなる。
疑問に思って目を開けたが、映るのは代わり映えのない光景だ。
白衣のニンゲンが実験器具に魔力を通している。
白衣のニンゲンが頭をかきむしりながら書類を書いている。
白衣のニンゲンがブツブツ何事かを呟きながら室内を歩き回っている。
いつもと同じ……だが、どこか違う。
何かが近づいて来ている。
そう感じる。それが何か知りたくて、ソレは蔓を鉄格子に巻きつけてズルズルと移動する。
ガアアアアアアン!
初めて聞く大きな音と共に建物が揺れ、天井から大小様々な石が降ってくる。
ソレは魔導灯に伸ばしていた蔓を戻して、身を守るためにグルグルと体に巻きつけた。
どれくらい経っただろうか。
聞こえていたニンゲンの悲鳴が嘘のように静まり、ただ静寂がその場を支配する。
ソレはそろりと蔓を伸ばす。ゆっくり、ゆっくりと。やがて蔓は崩落した天井から差し込む太陽の光に辿り着き、爆発的に葉を繁らした。
ドクンドクンと心臓が大きな音をたて冷たかった体が温かくなる。
ほうっと息を吐き出した時、知らない声が聞こえた。
「そこにいるのか?」
低く深みのある声だ。
その声を聞いた瞬間に生じた心のざわめきが無意識に葉をサワサワと揺らした。
「見つけた」
ジャリッと小石を踏む足音がどんどん近づいて来てソレの前で止まり、ひょいっと抱き上げられる。生まれて初めて感じる他者の体温にソレは戸惑いを隠せないでいた。
「軽いな」
金色の目だ。ソレの右目と同じ……いや、ソレよりもずっとずっと強い。
――ナカマ、カゾク
不意に浮かんだ言葉にソレは妙に安心して、細い骨と皮だけの手を伸ばした。
「もう大丈夫だ。俺が必ずお前を守る」
金色の炎がソレを包み込み、空虚な穴と化している右目を癒していく。
優しい炎が消えていくのを残念に感じながらも、ソレはパッチリと両目を開く。
1つは金の瞳孔に金の虹彩――金獅子の目。
そしてもう1つは金の瞳孔に緑の虹彩――銀竜の目だ。
互いの視線が絡み合い、カチリと魂が音を立てる。探し求めていたナニカがその瞬間、確かに1つになった。
――ナツカシイ
数千年の時を超え、運命の歯車が動き出した。
「よろしかったのですか?御子さまを金獅子に渡して」
遠く、遺跡群が崩落していくのを見ながら女が呟く。黒い喪服を着た女だ。顔も同色のベールで覆われ、真っ赤な唇だけが暗闇の中に鮮やかな色を放っている。
周りは深い森の中で、女の問いに答えるものも当然いない。だが振り返った女は嬉しげに微笑みながら続けた。
「ええ!ええ!そうでございますね!やはり幼子は大切に揺り籠で育てなくては」
そうして女は恭しく一礼する。
「全てはバレンシアガ様の仰せのままに」
金の獅子と銀の竜 じゃっすん @sabu1115
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