第8話 童女、老女、女

 おはようございます。朝です。寒いです。

 そして、朝食が終わってほどよく――


「眠い……」


 です。


 昨日は結局眠るのが遅くなり、現在、睡魔との戦いです。寝不足のせいか頭痛もします。

 あちらからすると、まだ早い就寝だったでしょうに。


 結局、昨日のことは屋敷の人には知られていないみたいです。騒ぎなんて全くありませんでした。ふさ江さんは朝食を持ってきたとき、「新しい糸をまだ張らないのですか?」なんておっしゃいますし。


 ――私の留守を誤魔化した。


 その意味を、私はまだ知りません。

 ですが、鬼さんを知り、摩訶不思議現象に巻き込まれた今となっては、何となく想像のつくことがあります。

 


 鬼さんはあの後、糸を懐紙に包んで持って帰りました。わざわざどうして、なんて思いますが、理由は問わず、任せきりです。情けないですねぇ。


 は、そういう不思議なことが当たり前だったのでしょうか。

 昔のあちらを参考にするなら、縁起ものだとか不吉なものだとか、そういうものが文化に含まれていましたけれど。呪術的なものが、もっと日常に近いところにあったのでしょうか。


 私、日本史とドラマの知識しかないのですが、それでも、あちらとこちらで気になることはいくつかあります。


 まず、将軍はいません。皇族の長――天皇、こちらでは帝がこの国の中心で政を動かしています。

 政治形態は平安に似ているようで、宮中文化もあるようですね。

 しかし、一般の庶民の文化は江戸に近いみたいです。家屋や商い、着物の形式から何となく、ですけど。言葉も文字も漢字仮名の文化ですが、日本史で学んだ著名人の名前は一切出てきません。


 こうしてみると、私は単純に「過去に紛れた」のではなく、「違う世界に来てしまった」ととらえた方が納得できました。

 非現実的ですが、ファンタジーに当てはめた方がすんなり受け入れられたのです。

 ……結果、幼子の体で知恵熱を出しましたけど。今考えるだけで頭が痛みます。


 あぁ、それで呪術の話ですね。


 ……わかりません。いったいどういう扱いなのか。鬼さんの存在が一般的なのか。他にも似たような存在がいるのか、などなど。

 そちら方面は、無意識に避けていたようです。私も気付きませんでした。

 よほどトラウマにでもなっていたのでしょうか。


 それでも、まずは三味線の糸を買いに行かねばなりません。結局、昨日は用事を済ませられませんでしたし。

 しかし、どうしましょう。ふさ江さんは、すでに私が糸を買ったと思っており、再び外出すると怪しまれます。


 あぁ、でも。ちょうどいいところに、ちょうどいい高さの文机がございまして。


「ね……む……」


 すみません、限界です。おやすみなさい。


 部屋にちょうどよくある文机に、いそいそと突っ伏しました。


 ***


 がさり、と音がした。

 草を踏み分ける音。


 うっかり深く眠っていたようです。どれくらい時間がたったのでしょう。


 昼にしては、少し肌寒い気がします。まだ体は眠っているようで、頭がぼやけます。


 カサカサ、とまた庭の植物が擦れあう音がしました。


 風は、ありません。

 庭から音がした、ということは――鬼さんですかねえ。ふさ江さんなら、離れの入り口からいらっしゃいますし。


 鬼さん、昨日に引き続き何のご用でしょう。

 これ以上の摩訶不思議は、私の容量オーバーなのですけど。


 ざざ、と今度は土を踏む音。

 だんだん近づいてきているようですねぇ。鬼さんにしては、分かりやすい登場の仕方で――


 ……あれ。今まで私が、鬼さんの訪問に気付いたこと、ありましたっけ。


 彼は足音なんて立てたこと、ありません。立てるはずがないのです。


 では、


 庭にのは、


 ナニ?


「アな、やすイ」


 確認のため起き上がろうとした体が強張り、寝ぼけた頭が一瞬で醒めました。

 知らない声だ。


「守りニ穴とハ。ソりゃア、大事デすナ」


 老女と童女を足して割ったような、いびつな音。

 まるで背筋に氷が滑ったように、体が震え始めました。

 生理的な恐怖、というやつでしょうか。


 相手は誰。なぜ。なにごとですか。


「聞こエまショう? わタクしの声ガ。ワたくシノ言葉が」


 見てはいけない、と誰かが言う。

 答えてはいけない、と私が言う。


 だけど、怖い。

 分からないから怖い。知らないから怖い。

 


 何が起こっている。誰が来ている。何をしようとしている。


「聞コえマショう? 感じマしょウ? 届キマしョウ?」


 顔を上げた。

 相手を見た。

 こちらを向いた。

 目が合ってしまった。


 縁側から少し離れた庭に立っていたのは、ひとりの童女だった。


 ゆぅらり、と上半身を揺らす。その動きにつられて首も揺れ、髪も靡く。

 それだけで、ぞっとする。


 ゆぅらり、と首が傾き、童女の顔がにぃ、と笑う。

 格好もおかしい。こんな寒い日に、真白な肌襦袢一枚。

 見える手首も足首も、ひどく寒々しい。


 薄い布越しに、幼い体の線が透けて見える。


こたエては下さリマセぬカ?」


 童女が一歩進む。

 童女の顔がはっきり見えた。


 否、


 顔は皺の深い、骨の浮き出た老婆。

 しかし、漆黒の髪は艶を帯びた女のもの。


 比べて体は十歳前後の童女のもの。

 見えている皮膚も、遠目にすら瑞々しく、骨ばってはいない。


 いびつ――の一言。

 ゆらり、ゆらり、と生白い首が揺れる。


 来るな来るな来るな。こちらに、来るな。


「アな、悲しヤ。ワタくしヲ拒まレマスや」


 ゆら、ゆら、ゆら、り。


 童女が、老女が、女が、一歩ずつ確実に近づいてくる。

 歩むごとに首が左右に揺れ、そのたびにおぞましさだけが増していく。


「なレドあナウレしや」


 異変だ。異常だ。異形だ。


ことわりりト言うこたえヲ」


 声がいやに近くから聞こえた。


 硬直した皮膚が、首に絡みつく柔らかい指の存在を、伝える。

 瞬きすることを忘れた瞳が、間近に迫る皺だらけの顔を映した。


 「下サれたナァ」


 耳の中に吹き込むように、歪な女の声が脳を揺らした。

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