第22話

 目ぼしい情報がないまま、スタジオ入りしたメンバーの調査は恙なく進行している。

 その中には以前少しだけ担当した桜井咲良もいて、彼女は誰よりも快く任意聴取に応じてくれた。


「私が潔白なのは霧ヶ峰さんがいちばんよくわかってるもんね?」


 あたかも元カレと昔話をするかのような明るいテンションだ。やましいことはないのでどうぞなんでも聞いてください、と言わんばかりにくつろいでいる。さっそくお菓子に手を伸ばしている始末だ。

 相違ない。私が傍にいた頃から今に至るまで彼女の配信時間は常軌を逸している。暇さえあればブイチューバーに変身していると言っていいほどだ。

 その神掛かった適正能力は業界全体を見渡しても十本の指に入るだろう。有志により集計されている配信時間ランキングを見ても、大手と並んで、常に五位以内には必ず入っていた。

 普通はこうはいかない。現実における仕事、肉体的疲労、精神的負担、喉のかすれ、体調不良、多くの要因でプロでもそう長くは活動できない。

 よって持続的な配信活動を可能にするには、メンタルもフィジカルも丈夫でなければならない。これは大成するための絶対条件だ。

 その中でも彼女の配信時間は異常だった。後輩からは「いつ寝ているのか?」と不思議がられ、「中の人は二人いるのでは?」とファンの間で実しやかに囁かれているほどだ。

 マネージャーにはタレントの健康管理も任されているので、あまり長くゲーム実況などをすると警告を出す仕組みになっている。彼女はそれすらも跳ね除ける問題児なので、私も手を焼いたほどだった。

 つまり私には遊んでいる暇などないと言いたいわけだった。推理ものでいうなら、アリバイがあるということになる。

 これはとあるファンが告発した、女性アイドルブイチューバーがファンを裏切っているという内容と符合しない。

 少なくとも無理だと私も証言できる。


「それでも形式的なものだ。贔屓目で例外を作るわけにはいかない」


 私は苦笑を噛み殺しながら、あえて厳しめに述べる。


「それもそうだね。じゃあ宣言します。私はファンを裏切ってなんかいませんし、彼氏もいません。これでどう? 満足?」

「もうひとつ。メンバーの中に」

「メンバーの中にもいませんよっと。みんなファンをいちばんに考えてるはずだから」


 はずだから、というのは主観的なものなので過信することはできないが、カラーズの信頼度は徐々に上がっているとは言えるだろう。


「でもあれ本当だと思う?」


 七瀬が桜井の後ろに回り髪型をいじりながら、ぼやくように問いかける。この距離感は専属マネージャーでも無理なので連れてきて正解だったかも知れない。


「私ははったりだと思うけどなー」

「何でそう思うの?」

「復讐したいブイチューバーを特定するために本社前で出待ちするっていうのはわかるんだけど、普通そこまでする人っていないし。いたらかなり目立つよ」

「私もそこは疑ってる。本当は証拠なんてないんじゃないかな」

「ねー。みんな騒ぎすぎだよね」


 さっそく女性ふたりが女子会みたいなノリで軽口を叩き始めたので、私は咳払いをひとつしてから、割って入る。


「普通かどうかではなく、これは執念の問題だと思う」

「執念ね。相変わらず顔と同じで堅苦しいこと言うな、霧ヶ峰さん」

「会社の住所は公開されている。誰でも外で犯人とすれ違ってても不思議じゃない」

「でも売れてない頃ならともかく、本社なんて今じゃそんなに行かないよ。新人ならちょこちょこ行かなきゃいけないだろうけどさ。私たちっていまは自宅かスタジオにしかいないでしょ。そのスタジオの住所だって非公開だし。専用スタジオがあるかどうかもみんな知らないと思う。きつく口止めされてるから」


 顎に指をあてた七瀬が思案顔で彼女の言い分に頷いている。


「でもまったく行かないわけじゃない。スタジオだって地下にひっそり建設しているわけじゃないんだ。情報が漏れてても不思議じゃない」

「何をそんなにびびってるの? あんなのどうせはったりだって」


 いつの間にかロングヘアが三つ編みになりつつある桜井が怪訝な顔をする。三つ編みにしつつある七瀬も、真意を問うようにこちらへ視線を送ってきた。


「それでは、ファンが本社前かスタジオ前で、張り込みをする刑事のように張っていたとしよう」

「無理無理。多くの人が出入りするんだから、誰が社員で誰が私たちなんか見分けつかないって。私たち顔を出してないブイチューバーだよ?」


 たぶんそういう安直な思考に陥っているのだろうとは思っていた。だが私はよく最悪に備えて生きている。可能なら石橋を叩いて渡るのではなく、新しく橋を作って渡りたい人間だ。


「もしいくつか特徴を知っていたらどうだろう」

「特徴?」

「背が高いとか低いとか、すごく痩せているとか太っているとか、胸が大きいとか小さいとか」


 瞬間、あっ、とふたりの女性が異口同音に声を上げていた。


「雑談のネタに、よく配信でみんな自身や仲間の特徴を語っているな?」

「ゆ、ゆってるけど」

「今度は建物から出てくる人間の中からいくつか条件をつけて絞っていこう。まず女性。これだけでもぐっと絞られる。次に配信で話していた身体的特徴。これでさらに絞られる。あとは目星をつけた人間に何かを装って声をかけて、声質を確かめる。それを数か月かけて行う。さて、これで本当に見分けがつかないと言い切れるだろうか。私が懸念しているのは、それくらいなら現実的ではないかということだ」


 世の中には殺したいほど他人を憎む人がいる。そいつがその手間を惜しむだろうか。あのポストを見たときから、その危機感が私の中にずっとある。

 見れば、これまで陽気だった桜井が打って変わって蒼白になっていた。


「で、でもちょっとくらいの特徴だけじゃ。背の高い人だってたくさんいるし」


 彼女は百七十と高身長の部類だが、特定される懸念はそれだけに留まらない。

 しかしそれを彼女たちの前で口にするのは僅かに憚られた。彼女たちとは、カラーズの大半を含める。


「カラーズの中には有名配信サイトの出身者がいくらかいるな」


 桜井の顔がぎょっとしている。このことは彼女たちにとってあまり触れられたくない過去なのかも知れない。憚られたのはそれを考慮してのことだ。

 各社の人気ブイチューバーには、ある配信サイトで活躍していた子が数多く存在する。これは決して偶然ではない。

 この業界の見通しがやや明るくなってきた頃、事務所は演者をオーディションで集め始めた。求めていたのは人気が出そうな有望な人材だ。だがどこも人手不足で、一から育てるというリソースがない。そうなると求人募集にありがちな『経験者優遇』という状態になる。

 そこでマッチしたのが――元から配信活動をしていた『個人配信者』たちだった。

 彼等彼女等は報酬もないのに、自力でスキルを身につけ、配信を続けてきた強者たちだ。即戦力として採用するにはまさに打ってつけだったというわけである。

 要はコスパがよかった。その傾向はもちろん弊社にもあり、カラーズのメンバーの一部はそのサイトから排出されていた。


「いるけど、それが何?」

「その素人時代に顔出し配信をしていたり、何かの気の迷いで数回だけカメラを出したことがあったと聞いた。もしそこで顔や固有の身体的特徴がばれていたとしたら、あの脅迫は一気に現実味を帯びてくる」


 いよいよ彼女が黙ってしまった。さきほどの元気が嘘のように固まっているので、私と七瀬が目を見合わせたほどだ。


「どうした? 大丈夫か?」

「あ、いや、なんでもない」


 声をかけると、私たちの存在を忘れていたかのような彼女は急いで取り繕った。


「もしかして誰か思い当たる子がいるのか?」

「ううん、改めて身バレって怖いんだなって思っただけ。じゃあちゃんと正直に答えたし帰ってもいいよね。予約しとあるから帰って配信しなきゃ」


 気になって追及してみたが、それ以上のことは何も出てくることはなく、「そんじゃお疲れー」と慌ただしく桜井は帰っていく。

 見送る私と七瀬はただ無言で眉根を寄せるしかなかった。


「どうして危険性に気づいたのに上に進言しないんですか? 言ってませんよね、配信で自分たちのことを語るなって」

「あれをするな。これをするな。男の話は一切するな。その上で自分のことや仲間のことまで語れなくなったら何を話せばいい? これ以上、縛りたくないんだ」


 その甘さが私なりの贖罪だった。

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