第23話

 その後、順調に聴取を完了し、最後に本件に関して意味深な発言をしていたというメンバーと会うことになった。

 決してショートケーキの苺のようにとっておいたわけではなく、彼女にだけ別の予定が入っていてすぐ都合がつかなかったためだ。

 赤色担当の満天星空。歌唱力が非常に高く、どこのアイドルグループにもひとりは必ずいる、歌姫枠のメンバーだ。

 名前の由来は『満点の星空』。しかし満天には空一面という意味が含まれているため、空の部分が重複してしまっている。それがわかっていてなおこう名付けてしまうのは、この業界全体のネーミングセンスが独特だからである。つまり字面や語感を何よりも大切にしている。

 彼女の他にもカラーズには、舌切すずめ、嫁入ねず美、天狗くれみなど、童話シリーズを由来とした面白い名前のタレントがいる。

 カラーズは一年に三回、三人一組でデビューする周期を確立しており、コンセプトや統一性を重んじている。

 空模様シリーズのひとりである彼女は、いまオリジナル曲のレコーディングに取り掛かっている最中だった。

 これは次回で三回目となる生誕祭イベントの目玉になるもので、厳密なスケジュールで進捗している。加えてデモテープを元にPVの制作も同時進行されていることもあって、現場はかなり気合が入っていた。

 その空気と様々な想いが二重ドアの先に凝縮されている。

 遮音、防音、吸音を徹底的に追求した狭いブースに、女性が凛として立っている。その正面には譜面台、録音用の高音質マイクとポップガードが設置されている。

 特筆すべきは足が裸足なことだ。ルーティンの一種なのか、歌うときだけ彼女は靴を脱いで綺麗に揃えてから室内の隅に置く。

 この中で産み出される歌声は一生聞かれ続けるものなので、いつものカラオケ配信よりも全てが力強い。一言一句に魂が籠っているような錯覚すら覚える。

 その状態がコントロールルームの窓越しに窺えた。室内に視線を戻せば、ミキシングコンソールの前に座るレコーディングエンジニアがマイクで指示を出している。


「いまところいいと思うけど、満天さん的にはどう?」

「すみません。納得がいかないのでもう一回だけいいですか?」

「おっけー。それじゃあ納得がいくまでとことん行こう」

「ありがとうございます」


 その真剣なやり取りを見て、彼女はもう立派なプロなのだなと私は感じた。小説家がいつから小説家なのかが難しいように、プロの歌手の境界線は非常に曖昧だ。CDを一枚でも発売したらそうなのか、事務所に所属していたらそうなのか、オリジナル曲を出したらそうなのか、利益を生んだらそうなのか、とても茫洋としている。しかしこのご時世、動画をアップし再生数を稼げるならプロと名乗っていいように思う。

 多くの人間のために心を込めて歌うようになったら、それはもうプロだ。


「何気にレコーディングって初めて見ましたけど、こうして見ると完全に本物の歌手みたいですね」


 七瀬が興奮気味に隣で囁いた。


「機材も構造も本物だからな。ここは遮音性だけではなく、反響具合も計算した設計になってる」

「へー、芸能界にいたらそういうことも詳しくなるんですか?」

「若手女優が事務所のごり押しで歌手デビューすることがあるんだ。それでいろいろ話を聞く機会があってな」

「ちなみにあれっていつも何を書き込んでるんですか?」


 リテイクが決まった段階で、満天が歌詞入りの譜面に何かを書き込んでいた。


「自分へのアドバイスだろう。声の強弱、注意点とか。あと歌詞の解釈も」

「解釈って、そんなことまで?」

「基本的に曲は発注して任せているから、提供された歌詞をどう解釈するかで歌への姿勢や気持ちが変わってくる。少しも手を抜きたくないんだろう」

「歌にも真剣に向き合っているんですね」


 感嘆する彼女の視線の先には、怖いくらい真面目な顔がある。


「彼女たちはいくら人気が出ようと、本物のアイドルや歌手にはまだ及んでいないとわかっているんだ。だから少しでも本物に近づけるように日々努力している」

「満点ちゃん配信だとクールなのに、裏では頑張り屋さんだ」

「彼女だけじゃない。みんなそうだ。ファンにいま出せる最高の自分を見てもらおうと、絶えずいつも考えている。たとえプロではなくても、プロフェッショナルなんだ」

「やっぱりこんなことやめたほうがいいですかね……ただ信じて」


 私は、急に顔を曇らせた彼女がそれを言い切る前に遮る。


「信じる信じないで済ませていいものでもない。私は大人数のアイドルグループでひとりも不祥事を出さなかったグループを知らない。未成年で喫煙発覚、過去の援交リーク、リベンジポルノ、プラベート画像流失、必ず誰かはやらかしてきた。発覚前に対処しなかったら、会社そのものの管理能力が問われる」


 七瀬はもう何も言わなかった。そのあと満天が一度だけ休憩を挟み、レコーディングが再び再開され、だいぶ待たされたあと無事に録音作業は終了した。

 時間はトータルで二時間超。これでも新人に比べれば早いほうだ。録音にかかる時間は初心者ほど長くなる傾向がある。

 すぐブースからやり切ったという顔で満点が出てきた。

 低身長、細身、ポニーテール、切れ長の目。生身の彼女が現れ特徴の解像度が一気に上がる。


「終わったばかりなのに申し訳ない。疲れているならもう少し後にするが」

「いえ、これくらいでへこたれていたらライブなんてできませんから」


 私は気遣ったがこともなげに了承を得られたので、そのまま控室に向けて移動を開始する。


「噂には聞いてましたけど、満点ちゃんは本当に裸足で歌うんですね?」

「ええ、昔からの癖で。あれをすると地球と一体化しているような大きな気分になるんです。それには靴が余計で。ほんとは服も脱ぎたいくらいなんですよ」

「ええーっ」

「マネージャーに全力で止められましたけど」


 廊下でそんな女子たちの雑談がありつつ、一緒に控室へ入り、しっかりドアを閉め切る。

 私が席につくかつかないかくらいのタイミングだった。


「先に言っておきますけど、私は無関係ですので」


 そう満天が先回りしてきた。いかんせんここまで身構えられるとリアクションを観察してもあまり意味がない。苦渋を表情に出さないようにする。

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