第29話 影の少女 — 名を呼ばれた瞬間

瑞葉の腕を、私は確かに掴んでいた。


けれど——

その感触は水に触れているみたいに頼りなくて、

どれだけ力を込めても、本当の“核心”には届いていない。


触れているのに、触れられない。

掴んでいるのに、すり抜けてしまう。


そんな夢みたいな距離だった。


それでも。

瑞葉は確かに、私の世界にいてくれた。

ほんの少しでも、そばにいてくれた。


なのに——


光がふっと揺れて、

瑞葉の腕が指先からほどけるように消えていった。


(……いや……行かないで……)


声にすらならない叫びが胸の中で震える。


どうして?

どうしてまた離れていくの?


あなたは

“私から離れてしまった、たった一つの光”。


私の大切な、

痛いほど恋しい——もう一人の私。


その時だった。


向こう側——

遠く離れた現実の世界から、

鋭く、真っ直ぐで、必死な声が届いた。


——「瑞葉!!」


その声が瑞葉の光をさらっていく。


(……あきら……)


胸の奥がズキンと痛んだ。

この世界にまで響いてくるほど強い声。


あなたのその声は、

私の光を奪っていく。


やめて……呼ばないで……

その叫びがある限り、瑞葉は私の元にいられない。


私は瑞葉を苦しめたくなかった。

ただ会いたかっただけ。

触れていたかっただけ。


だってずっと、

瑞葉の帰りを待っていたのに。


なのにまた——

私から離れていく。


指先から、最後の光がこぼれ落ちた瞬間。

胸の内側に鋭い痛みが走った。


世界がひび割れたように揺れる。


ドン……ッ

ドン……ッ


大地の脈動がこの世界まで伝わってきている。

まるで世界全体がすすり泣いているみたいに。


——違う。

この揺れは、私。


瑞葉が消えた寂しさと痛みが、

世界へ、現実へ、響き渡っている。


「……瑞葉……」


小さく、名前を呼んだ。

届かないとわかっていても。


瑞葉を連れ戻したあの声。

あの少年。


(あきら……)


胸を締めつける嫉妬が走る。


どうして?

どうしてあなたが呼ぶと、瑞葉は戻ってしまうの?


もし——

瑞葉の心があなたに惹かれているのなら……


私は、どうすればいいの……?

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