第30話 現実に戻る声

……あれ……?


気づいたら、私は誰かの腕の中にいた。


温かくて、震えていて、

必死に支えてくれる力。


「……っ、瑞葉……!」


耳元で震える声。

その声を聞いた瞬間——胸の奥が熱くなった。


(……あきら……?)


ぼやけた視界が少しずつ形を取り戻していく。

教室の天井。

ざわめく声。

誰かが泣きそうな顔で見ている。


でも私の意識はまだ、

“あの世界”に片足を残したままだった。


さっきまで私は——


暗い水の底みたいな世界で、

冷たい光の中、

細い腕を握られていた。


触れているはずなのに、

触れてないみたいに不安定な感触。


(……あの子……)


影の少女。


私の腕を掴んで、

離すまいと震えていた“影の私”。


あの最後の表情が、

胸に焼き付いて離れない。


――行かないで。


そう言われた気がした。


その記憶が押し寄せた瞬間、

頬を一筋の涙が伝った。


「……え……なんで……」


自分でも理由がわからない。

悲しいのか、寂しいのか、怖いのか。

全部が混ざっている。


あきらの腕の中で、

私は小さく肩を震わせた。


「……瑞葉……大丈夫だから……もう……大丈夫だから……」


あきらの声は、

どこか必死で、少し泣きそうで、

それなのにとても優しかった。


その声を聞いた瞬間、

さっきの世界が一気に遠ざかっていく。


暗い世界。

影の少女の細い手。

あの寂しそうな瞳。


(……どうして……あの子、あんな顔……)


胸の奥が、じん、と痛む。


私はあの子を置いてきた?

……捨てた?

そう思った瞬間、

息が詰まりそうになった。


「瑞葉?」


あきらが覗き込む。

心配そうな目で。


言わなくちゃいけない。

でも言えない。


わからない。

何が正しいのかも。


その時——


ドン……ッ

ドン……ッ


また大地が脈を打つような揺れが走った。


教室がざわつく。


「まただ……!」

「外、揺れてる……?」

「速報、まだ出てないのに……」


あの振動は、

影の少女の心の震えだと——

どうしてか、そう思った。


(……あの子……泣いてるの……?)


そう思った瞬間、

胸がまた締めつけられて、

私は無意識にあきらの制服を握りしめていた。


「……瑞葉……?」


呼ばれた名前が、

さっきよりずっと近く感じた。


大地の揺れも、

影の少女の悲しみも、

ここには届かない。


でも——

私はもう知っている。


私の中には、

“もう一人の私”がいて。

その子はずっと、一人で待っていた。


あの手を、

振り払ったわけじゃない。


でも——

掴めなかった。


私は震える声で、

やっと言葉を絞り出した。


「……あきら……私……」


涙がまたこぼれる。


「……あの子を……置いてきちゃった……」

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