第11話 呼ぶ声


その夜、瑞葉は眠れなかった。


胸の奥の痛みはおさまったはずなのに、

どこかずっと、心臓の裏側をつままれているような違和感が残っていた。


(……なんで……)


暗い天井を見つめていると——


——ぽちゃん。


水に落ちる小さな音が、頭の中に響いた。


「……また……」


目を閉じると、暗闇の向こうに“水面の裏側”のような揺らぎが現れる。


そして。


『……みずは……』


少女の声。

澄んでいるのにどこか濁っていて、泣きそうな響き。


『……こっちへ……きて……』


胸の奥がずるりと引っ張られた。


(行っちゃ……ダメ……だよね……)


わかっているのに、身体の芯がふわっと軽くなる。

思考が溶けていく。


瑞葉は気づけばベッドからゆっくり起き上がっていた。


***


翌朝。

学校へ向かう道は、昨日より静かに感じられた。


どこか遠くで、地面が呼吸しているような、

低く重い振動がしている気がする。


(……地震……じゃないよね……)


胸がざわつく。


そのとき——

影が地面をすっと滑った。


黒い、細い“線”。

まるで水みたいに流れ、電柱の影に溶けた。


「っ……!」


思わず立ち止まる。


街の影が、ほんの一瞬“ざわっ”と揺れた気がした。


(……影が……広がってる……)


鼓動が速くなる。


誰かの視線を感じて振り向くが、人はいない。


ただ風が吹いただけ。


でも——


『……みずは……』


耳の奥で声が震えた。


瑞葉は胸を押さえる。


「……痛……っ……」


影の少女の呼び声が昨日より近い。

近づくだけで胸が締めつけられ、息が苦しくなる。


(……どうして……

呼ばれてる……の……?)


足が勝手に前へ出そうになる。


その瞬間。


「瑞葉!!」


パッと腕をつかまれたような感覚で意識が浮上する。


振り返ると、暁(あきら)が立っていた。


少し息を切らし、眉をひそめている。


「……また様子おかしかっただろ。

急に立ち止まるから、ビビったわ。」


その声に、胸の奥の苦しさが少し薄れた。


「あきら……」


あきらは瑞葉の顔をのぞき込み、目を細める。


「……胸……痛ぇのか?」


「え……?」


「昨日と同じ顔してる。

苦しそうで……見てられねぇよ。」


瑞葉ははっと息を呑んだ。


(昨日……光のあと……

わたしが痛んだあとに……

あきらも胸の奥を……)


あきらは気づいていない。

ただ純粋に心配しているだけ。


影の声がふっと遠ざかった。


(……あきらの声で……

戻ってこれた……?)


瑞葉は胸にそっと手を当て、弱く微笑んだ。


「あきら……ありがとう……」


「あ? なんだよ……急に。」


照れくさそうに頭をかくあきらを見ていると、

胸の痛みがすうっと引いていく。


でも。


その足元で——

電柱の影が“ゆっくり”伸びてきていた。


まだ触れない。

ただ、確かに瑞葉へ向かっている。


『……みずは……

……もうすぐ……あえる……ね……』


影の中で、

誰かが——そっと“微笑んだ気がした”。

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