第12話 影の手


電柱の影が瑞葉へ向かって伸びてきた——

その瞬間、足がすくんだ。


(来る……)


確かな気配がある。

影の中に“誰か”がいる。


——あえる……ね……


耳に残ったその声が胸を締めつける。


瑞葉は一歩も動けなかった。そのとき——


「瑞葉!」


肩をつかむ手の温かさで意識が浮上する。


驚いて振り返ると、

暁(あきら)が不安そうに立っていた。


「……また固まってた。

声かけても返事しねぇし。」


心配の色が濃くにじむ声。

その響きが、影の気配を薄くしていく。


瑞葉は息を整え、かすかに笑った。


「あ……ごめん。考えごとしてて。」


「嘘だな。」


即答。


「……顔、真っ青だぞ。」


瑞葉は言葉に詰まった。


あきらの視線は責めていない。

ただ、本気で心配している。


(……あきら……)


胸の奥がまたじんと熱くなる。


そのとき。


瑞葉の背後で——

影がふわりと膨らんだ。


まるで“誰かの手”が形になろうとしているように。


(触れようとしてる……?)


影の指先のような揺らぎが

ゆっくり瑞葉の腰へ伸びていく。


瑞葉は息を呑んだ。


その瞬間。


「っ……!」


あきらの短い声。


横を見ると、

あきらが胸の辺りをわずかに押さえていた。


痛みというより、“響いた”ような違和感。


「……また、変な感じが……した。」


その言葉と同時に、瑞葉の胸もズキッと痛む。


痛みの波が重なる。


瑞葉とあきらが同時に眉を寄せた、その刹那——


影の手は触れる寸前で、

ほどけるように霧散した。


——さわれない……


少女の声が、悲しげに揺れた気がした。


瑞葉はそろりと振り返る。

影はただ地面へ静かに張りついている。


何もなかったように。


けれど胸の奥の疼きは消えない。


(……触れようとしてた……)


影の少女は、もう“声”だけでは満足できない。

瑞葉に触れようとしている。


瑞葉は震える息を吐いた。


「あきら……」


「……みずは。

何が起きてるんだよ。」


言いかけて、瑞葉は言葉を飲み込む。


(言えない……

影のことなんて……)


沈黙のまま歩く瑞葉に合わせるように、

あきらは意識して歩幅を落とした。


「言いたくねぇなら無理にとは言わない。

でも……一人で抱えんなよ。」


その優しさに胸がまたじんと熱くなる。


(……一人じゃない……

けど……)


心の奥には二つの存在がいる。


——あえる……ね……


呼び続ける影の少女。


そして

——「一人で抱えんなよ」

と言ってくれるあきら。


胸が、苦しくなる。


瑞葉は胸元を押さえ、弱い声でつぶやいた。


「……どうしたら……いいの……」


風がふわりと吹き抜けた。


影は静かに息を潜め、

その奥から微かな声がした。


——まってる……

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