第2章 肉の装丁(そうてい)
第8話 国家の寄生虫
「お待たせしました」
数分後、現れたのは警備員ではなかった。スーツ姿の生活福祉課のケースワーカーだ。
この星を管理するために量産された、公務員という名のロボット。
こいつらは、皆、国家が定めた法を振り
法。ルール。規則。慣例。
どれも中身のない、管理側の都合に合わせた一方的な論理だ。
「別室でお話を伺います……こちらへ」
「ここで話せば良いだろう。なぜ、移動する」
「申請書類やら、色々ありますから。それに昼間っから男性が、ピンクのジャージでは目立ちます。行きますよ」
ピンク――また色か。
この国では性別と皮の色は、リンクすべきらしい。まったくもって理解できない。
私は職員の背中についていき、狭いパーティションで区切られたブースに通された。
「単刀直入に伺います。居所と所持金は?」
「ない」
「では、身分を証明できるものは?」
「あるわけないだろう」
財布の中に入った星野の免許があったが、私は黙っていた。新しい皮を得るのに、古い情報は
あとで捨てておこう。
職員が小さく溜息をつき、一枚の書類を差し出した。
『生活保護申請書』
国家という宿主が、寄生虫に養分を与えるための契約書。
誰が何のために定めたのか不明だが、今の私には都合が良い。
「では、ここにお名前を」
ボールペンを渡される。
私は空欄を見つめた。
『星野聖』というコードネームはもう廃棄する。ただ、そうなると今の私には、個体を識別するタグがない。
ペンが止まっている私を見て、職員が苦笑いした。
「……思い出せませんか? 記憶喪失かもしれませんね。手続き上、仮の名前が必要になります」
――
データベースの病名を参照した。一時的な心的ストレスにより、自己情報を呼び起こせなくなる心、あるいは脳の病。
だが、違う。私はこの星にダイヴしたことによる代償を負ったに過ぎない。
職員がペン先を氏名欄に落とした。
「まさか、お前が付けるのか?」
「もちろんです。思い出せないんですよね?」
慣れた手つきで、何かを書いた。
『白金 太郎』
「これは何だ?」
「白金で発見されたため、この名前で登録させていただこうかと」
ふざけている。では、白金に私のような二人目の生命体が降り立った場合、個体識別をどうするつもりなのか。
容易に想定できる問題に思考が及ばない。典型的な国家のロボット。
私は、氏名を二重線で消した。
「不要だ。名前なら、私が決める」
「は? 何でそんな勝手に」
戸惑う職員を無視して、私は目を閉じた。テレビの中の総理の言葉を
羊を導く牧羊犬。群れを統率する絶対的な管理者。この国を支配するにふさわしい、頂点の響き。
私は目を見開き、書類の氏名欄に文字を刻み込んだ。
『一国 司』
「……イッコク ツカサ、様とお読みすれば?」
「そうだ。いずれ、この国を司る者の名だ」
「あー、はいはい。支配者ね。多いんですよ、そういう方」
職員が呆れたような顔をしたかと思うと、すぐに事務的な無表情に戻った。
多い?
この国は多くの人間が頂点を目指しているのだろうか。その能力も、器もないというのに。
私は自分の呼称について、押し切った。すぐに白旗を揚げた彼にとって、私が何と名乗ろうが、書類上の手続に変動はないのだろう。
「分かりました、司さん。とりあえず、申請は受理します。却下される可能性もあるので、悪しからず。まずは、医療機関を受診しましょう」
「なぜだ? 私の身体は問題ない」
「いえ、お名前が思い出せないことや、身だしなみ、ご発言を総合判断した結果、受診していただきます。それに、その後の就労支援においても、健康状態の確認は必須ですから」
総合判断。くだらない。
この星の人間の思考範囲など、総合と評するほど網羅的にならないことは分かりきっている。
だが、新しい皮と居所を確保するためだ。
従うべきは従う。それが、飼われる側の最善手だ。
「仮に、医療機関を受診した後の流れは?」
「身体や精神に問題がなければハローワークに登録し、仕事を探していただきます。自立して納税することが、国民の義務ですから」
職員が分厚いファイルを机に置いた。
清掃、土木、介護……肉体を酷使する労働の求人が溢れている。
またか。
居場所を与えられ、労働を強いられる。
星野の皮を捨て、神山の仕事を離脱してまで、手に入れる新しい環境。そこに自由はない。
「義務、責務。くどいな」
「お分かりいただけるまで、繰り返しますよ。健康で文化的な最低限度の生活を、我々が保障します」
通り一遍の説明しかしないこの星の人間は、やはり脳死した機械だ。
「……おい、ロボット」
「坂本です」
「私は支配者になる男だ。なぜ、望んでいない仕事を斡旋されねばならない」
「皆さん、最初はそうおっしゃいます。ですが、仕事は社会復帰の第一歩ですので」
坂本と呼ばれた男は表情を崩さない。感情が欠落しているのだろうか。
絶望が、胃の腑を冷たく満たしていく。
――こいつからは逃げられない。
この星という社会構造は、どこまで行っても働かせるために全ての制度が悪用されている。
脳死させ、労働に一生を費やさせる。それが、この国の管理のやり方だ。
ただでさえ、肉の塊に押し込まれて窮屈だと言うのに、制度やルールに首を絞められる。
「……仕方ない。居所が与えられるなら、ひとまず耐えるとするか」
「ご理解いただけましたら、これから私と一緒に病院へ」
「だから、私に病はない。体内をスキャンすれば分かることだ」
「これもルールですので、受診していただきます。心療内科も受けていただきますよ」
坂本に話が通じない。
理解できぬまま、私は公用車のある駐車場へと導かれた。
♢
連れて行かれたのは、区内にある総合病院だった。
消毒液と、死の気配を誤魔化すための芳香剤の臭いが混じり合っている。
人間修理工場。
故障した個体を持ち込み、延命措置を施す場所だ。
「では、こちらで検査着に着替えてください」
私はジャージを脱ぎ、薄緑色の検査着をまとった。
坂本は待合室で待機している。ここからは、白衣を着た修理工たちの領域らしい。
採血。レントゲン。心電図。
次々と、ベルトコンベアのように検査が進んだ。極め付けは、MRI(磁気共鳴画像法)だ。
巨大なドーナツ型の磁石の中に、棺桶のような寝台ごとスライドさせられるらしい。
強力な磁場と電波で、体内の水素原子を共鳴させ、断面図を撮影する装置。
その不快な環境に人間は金を支払う。まったくもって、理解できそうにない。
だが、考え方を変えれば悪くないか。
人間が盲信するMRIは、私の脳の構造までも可視化する。
人間の脳と、私の知性。
その構造的差異がどう映るのか、少しばかり興味深い気もした――。
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