第9話 解剖学的虚無
技師に促され、私は狭く硬い寝台に横たわっていた。
頭部を固定具でロックされている。まるで囚人の拘束具だ。
「では、動かないでくださいね。大きな音がしますが、大丈夫ですか?」
「鼓膜を破くほどか?」
「それはありませんよ」
「なら、確認は不要だ。意味のない質問はしないで欲しい」
技師が少し乱暴に、防音用のヘッドホンを私の耳に当てた。
仕事に疲れているのか、苛立っているようだった。相変わらず、喜怒哀楽がコントロールできない下等な生物だ。
寝台がスライドし、巨大なドーナツ型の空洞へと滑り込んでいく。
閉所恐怖症の人間なら、パニックを起こすらしいが、私には狭い肉の塊に閉じ込められている以上の恐怖はなかった。
検査が始まった瞬間、工事現場のような轟音が頭蓋骨を揺らした。
傾斜磁場コイルが激しく切り替わる際に生じるローレンツ力の振動音。
心地良い。
騒音の中、冷静にこの装置の原理を分析してみよう。
強力な静磁場の中に人体を置き、そこに特定の周波数の電波――RFパルスを照射する。
理屈は極めて簡単だ。
体内の水素原子核を共鳴させ、その緩和過程で放出される信号を画像化する。核磁気共鳴現象(NMR)の応用。
なんと、未熟で乱暴なアプローチか。
たかが体内の水分分布をマッピングするために、これほど巨大なエネルギーと騒音を撒き散らす装置が必要なはずがない。
アリの巣の構造を知るために、ダイナマイトで山を吹き飛ばすような愚行だ。
生体内の微弱な
そうすれば、単なる形の画像だけでなく、リアルタイムの代謝活動や、神経伝達物質の分子レベルでの挙動が可視化できる。
つまり、自分で体内スキャンをすればいいだけのこと。
だが、この星の科学はまだその領域に達していない。水素原子の影を追うことに必死で、生命活動の本質であるエネルギーの動的な流れを見逃している。
所詮は、高解像度の死体写真を撮っているに過ぎない。
私は声を殺しながら笑った。騒音が追走するように私の笑いを増幅させた。
――三十分後。
轟音が止み、寝台がスライドして外に出た。
「お疲れ様です。これにて検査は終了です」
心なしか検査技師の表情が和らいでいる。
「疲れたのはあんただろう。私は現代医学の限界を知り、笑わせてもらった」
技師の眉間に皺が寄った。
私は拘束を解かれ、再び薄緑色の検査着のまま待合室に戻された。
◇
全ての検査を終え、私は診察室に呼ばれた。
そこにいたのは、初老の医師だった。
記載しておかねば、個体の識別を忘れてしまうためだろうか。これが老い。人間に備わった、致命的な
久住は、デスク上のモニターに映し出されたデータを凝視した。即座に固まり、背中を強張らせた。
私が椅子に座っても、振り向こうとしない。データに釘付けになっていた。
「一国さんでしたね」
久住が、震える声を漏らした
ゆっくりと椅子を回転させ、私と正対する。その顔色は、院内で見た病人よりも蒼白だった。
「脳に欠陥でもあったか?」
「いえ……逆です」
久住が震える指で、モニターの画像を指し示した。私の脳の断層写真だ。
「あり得ない。綺麗すぎるんです」
「意味がわからない。私の脳なら当然だろう」
「見てください、この数値を」
医師がマウスを操作し、詳細データをポップアップさせた。
***
【神経学的検査】
■ 運動神経伝達速度 (MCV): 120.0 m/s
(基準値: 50.0 - 60.0 m/s)
■ 知覚神経伝達速度 (SCV): 100.0 m/s
(基準値: 40.0 - 60.0 m/s)
【血液生化学検査】
■ CRP (炎症反応): 0.00 mg/dL
(基準値: 0.30以下)
■ コルチゾール (ストレスホルモン): 測定感度以下
(基準値: 4.5 - 21.1 μg/dL)
***
「欠損も、萎縮も、腫瘍もない。それどころか、
医師が額の汗を袖で拭った。
「褒めているのか?」
「いえ、怖いんです……」
久住が震え出した。
「血液データも異常です。CRPが0.00。体内には無数の細菌やウイルスがいるはずなのに、炎症反応が皆無。まるで、あなたの免疫システムが、外敵を侵入した瞬間に完璧に駆除しているとしか思えない」
当然だ。
私が自ら体内を監視しているのだから。
神経パルスはロスなく伝達され、不要なストレス物質は生成前に分解される。メンテナンスの行き届いた肉体だと、賞賛されて然るべき。
だが、久住の顔色は、さらに青褪めていく。目の前にいるのが、医学の常識を超えた異物であることに。
「……さらに、不可解な点があります」
久住が、もう一つのデータを指し示した。
「コルチゾールは、ストレスを感じた時だけでなく、生命維持――つまり、血糖値や血圧の維持に不可欠なホルモンです。これが、ゼロの人間は、医学的にはアジソン病クリーゼと呼ばれ、ショック状態で意識を失っているか、死んでいるはずなんです」
「医師免許はあるか? 私はこの通り、生きている」
「分かっています。ですから、怖いんです。一国さんは、恐怖、不安、焦燥といった感情システムが物理的に切断されている。これなら、仮に拷問を受けても動揺しないでしょう。ストレスによる肉体の消耗がありません。あなた、なぜ生きられているのか……」
「私は死んでいるのか?」
「いえ、そんな!」
久住の声が裏返った。修理工は、性能が良すぎるマシンを見るとバグを起こすらしい。
私は立ち上がり、久住を見下ろした。
「健康体の証明は済んだ。ならば、診断書を書け。就労可能とな」
私は久住の襟を引き寄せた。
「それから、特記事項に加えておけ。総理大臣の器である、と」
私は眼球が接着するほど、医師の目を近くで覗き込んだ。
「……あなたは、一体」
久住が息を呑み、慌てて電子カルテに『異常なし』と打ち込んだ。
診断完了。
医学ですら、私の正体を暴くことはできなかった。あるいは、暴いてしまったが故に、見て見ぬ振りをしたのか。
私は診察室を出ようとした。
背後で、久住が大騒ぎしている。
「おい! 今の患者のデータ、保存するな。すぐに消去しろ……あれは、残してはいけない。人間じゃない!」
賢明な判断だ。
私のデータを直視すれば、修理工のちっぽけな脳など、焼き切れてしまうだろうから。
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